めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

災害復興事業に見える日本の現実

2018-06-18 09:46:57 | 地域振興

ここ2,3日、関東で地震が増えていて、昨日は、家族で
近いうちに大きな地震が来るかもと話をしていた矢先でしたが、
朝目が覚めると、テレビからレポーターの興奮した声で、
大地震の発生を伝えています。

嫌な予感はしていましたが、まさか、大阪とは、いつもながら
大きな地震は、想像もしないところで起こります。
還暦のお祝いで大学の同級生が集まったとき、東日本大震災の
話題となった時、熊本の友人が、熊本には地震が無いからと
言っていたのに、その二年後、彼のマンションが被災し、
住むことが出来なくなりました。

また、私が中学高校時代を過ごした福岡でも、福岡東方沖地震があり
学生の頃は、福岡は地震が無いところと誰もが思っていました。
日本に住んでいる限り、一生を通じて一度は大地震に見舞われると
言われるほど、現在の日本列島は、危険な状況となっていると
考えられます。

しかしながら、これまで、何度となく震災の悲惨な姿を見て来たのに
私達は、基本的に無防備と言わざるを得ません。
もしもの時の為に、訓練を重ねたり、食料や水を蓄えたとしても、
それが役に立つかどうかは、時の運としか言えないのです。
素晴らしい防災施設の中で生活していたとしても、一日中その中で
いつも暮らしている訳も行きません。

また、今回の大阪の大地震を見ても解る様に、人々の生活は、あらゆる
公共機関に委ねられていて、通勤通学時間で遭遇したり、何だかの理由で
様々な地を訪れている事もあり、その地域に於ける安全対策は殆ど
把握していないと言ってもいいのです。
ただ、群衆に塗れて、言われるがままに街の中を右往左往する事と成れば、
第二第三災害に見舞われないとも限りません。


災害は、情報として知らされるのと実際に体験するのでは、全く違っていて
現実のインパクトは、想像を絶するものと言えます。
当然、被災をして家族や我が家を失うとなった場合、その苦しみと悲しみは
体験した者しか理解できないのです。
東日本大震災を始めとする日本各地で起こった震災や気象災害で多くの被害を受け
いまだ仮設住宅に住まざるを得ない方々は、例え、衣食住を与えられたとしても
心に残った大きな傷跡は一生拭いきれないと言えます。

日本は、過去の歴史を見ても、正に災害列島と言わざるを得ない程の被害を
毎年受け続けています。人畜に被害を与えるだけでなく、自然環境を大きく変え
その後の生活を大きく変えざるを得ない事も珍しくありません。
日本中で起こる大災害は、日本人の中に、被災者だけでなく、被害を受けなかった
多くの国民にも、様々な心の傷を生んでいるのです。

この現実は、今後も繰り返されると解っていながら、殆どの対策が後手後手に
回っていて、被災者達に十分なケアが成されていないのが大きな問題です。
ただ、資本を投じて、衣食住を復活させたとしても、人々の心を癒すには
見た目だけの復興計画では、いつまでも、人々を苦しめる事になるのです。
新たなる生活を始めた方の中には、災害を被った以前の生活よりも遥かに
経済的に豊かな生活が出来たとしても、心の底に深く負った傷は無くならず
いまだ多くの方が苦しんでいる現状を考えなければなりません。

災害を想定して、如何に早く経済を立て直すかという部分は、幾重にも
対策は講じられているのですが、被災者に対する心のケアに対しては
殆ど行われていないと言ってもよく、災害対策事業だけでなく、日本の
福祉事業と全く同じで、施設を作ったり、お金を投じれば、人々は、
喜ぶとする日本のリーダー達の心のお粗末さを感じます。

物を与えれば喜ぶとする考え方は、消費経済社会で、社会的価値を求め続け
経済的価値しか喜びを感じられないリーダー達の考え方と言えます。
経済社会でリーダーと成ったのだから仕方のない事と諦めれば良いのかも
知れませんが、それでは、苦しんでいる人達を救うことにはならないのです。
被災地に、多くの資本を投じ、建設業者を喜ばせても、出来上がった街が
勝手な思い込みで作られた外見だけの施設や住居で有ったら、誰もが、
表向きは喜んでも、心の底では、何の幸せも感じなないのです。

莫大なる国家予算を投じ復興した東日本の被災地は、見た目美しく
近代的な街並みに成ったとしても、その姿に、もう故郷は有りません。
何処か知らない新しい街が作られ、それが故郷だと言って与えられて
本当に喜んでいる人はほとんどいないのです。
災害の後を、新たなる街に作り替えて喜んでいるのは、建設事業で
膨大なる利益を得た人達と、それを推進した人達だけです。

また、それらの街を見て、心から訪ねてみたいと思う県外の人は少なく、
被災者たちを助けたいと言う善意の気持ちから、東北に行ってみたりと
思う人が多いのです。
東北にしかない風土とその地に生まれた人がいたからこそ、その地独特の
魅力があり、リピーターが首都圏から多く出かけていたのです。
確かに、地震に強い津波に強い街を作ると言う最大の目的は有ったでしょう。
しかし、果たして、その地に住む人達の事を本当に考えた街並みで有り、
新たなる施設なのでしょうか。

被災地に次々に生まれる街並みや周囲の光景は、どの街を見ても違いが無く
極端に言えば、これまで多く被災した日本中の復興地の街と変わりません。
被災を免れた美しい自然を破壊し、安全にという名目で作られた堤防は
どう見ても海と人々を隔てる巨大な刑務所の壁で有り、莫大なる資本を投じ
莫大なる利益を得た方々のほくそ笑む顔が目に浮かびます。

多くの被災者は、自分達を助けてくれたからと感謝の気持ちを持つのですが、
本心は、何故、もっと地元の人の気持ちを考えた街づくりをしなかったのか
という、落胆の気持ちがとても強いと思えます。
この事は、日本中の復興作業を行った街に共通の事で有り、災害が新たなる
事業を生み、多くのお金を生んだというだけで、本当に被災者の事を考えて
いなかった事がよく解ります。

半世紀前に、伊勢湾台風の被害で町全体が水没して多くの町民を失ったわが故郷も
復興事業の後、かつての面影は全て消え、巨大な堤防が街を囲み、どちらを見ても
巨大な刑務所に入れられている様です。
美しい水郷の街は、全て埋められ、汚い下路と成った川がいつもどんよりと流れ
多くの土地には、新興住宅地が生れ、他の地域から入って来た人が地域の歴史も
文化も全く無視した街を作ってしまいました。

地元民はどんどん去り、今では、残された田畑が、荒れ地と成って残されています。
美しい城下町は、至る所で櫛の歯が抜けた様に旧家が壊され、景観を無視した
圏外の人達が全く違った街並みを作っています。
ただ、街の周囲を流れる大河はいまだゆったりと流れていますが、私達が育った
水郷の故郷は、全くその形成も無く、街の活気すら感じられません。


その当時は、どんな台風が来ても水没しない立派な街づくりになると言う予定でした。
しかし、新たなる街が出来て半世紀、いまだに過疎が続き、荒れ果てた故郷には、
中央の資本で作られたコンビニが一日中明るい光を放っているだけで、
私達の住む町内は、どんどん過疎化が進み、地元民は高齢者ばかりと成りました。
夜ともなると、街灯以外は特別明るい照明も無く、人っ子一人歩かない街並みの外に
不夜城の様にコンビニの光が白々と光っています。

夏になると、喧嘩祭りと言われる程鉦や太鼓の音がうるさい祭りに、全国から多くの人が
集まり、美しい自然と華やかな祭りが沢山の観光客を呼びました。
災害に見舞われた事は仕方のない事としても、その後の復興事業は、謳い文句とは裏腹に
私達の故郷を破壊してしまったのです。
今の不幸事業も、当時に比べてはるかに近代的な物と言えますが、そのコンセプトは変わらず
多くの資本が動き、故郷とは程遠い街が出来上がっている様に思えます。

何も、前と同じ物にしろとは言っていません。少なくとも安全で安心な街を作る事に
反対する人はいません。
しかし、その内容と言えば、当の、住民の意向が感じられず、一方的な業者と国との話し合いで
利益を求める為の復興事業と成っているのが問題なのです。
これまでの復興事業は、被災者たちが本当に求める物ではなく、事業者と国や公共機関が
自分達の意向を全面的に押し出した物であるのが問題と言えます。

災害に遭われた方々は、普段の生活が出来なくなるだけでなく、心が傷ついているのです。
誰もが助け合って頑張ろうとはしているのですが、一人一人の気持ちは弱っているのです。
ただ、家が壊れたり街が破壊されただけでなく、それ以上に、自分の故郷が失われた事に
酷く傷つくものなのです。
助けてやるのだから文句言うな、と言った上から目線と、助けてもらっているから
我儘を言ってはならないという気持ちが、両者の間を益々広げてしまうのです。

復興事業に限らず、日本で行われる様々な事業は、本当に国民の事を考えているのではなく
常に、利益を伴った事業として人々を二の次に考えて来た傾向が有ります。
その為、経済的に発展したとはいえ、様々な負の遺産を生み、多くの公害を生み、
美しい自然を破壊して来たのです。
日本で行われる様々な事業に、国民が心から幸せを感じられない限り、いつまで経っても
満足できない、幸せを感じられない国民を生む事になるのです。

 







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