めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

ネット社会は、もろ刃の剣

2016-09-02 12:55:56 | ネット社会

ネットによる情報は、世界のあらゆる事を知る事が出来
更には、誰もが簡単に自らの情報を発信する事が出来ます。
この事に依る私たちが受ける恩恵は多大であり、従来では
考えられない程の量の情報享受が出来る様になりました。

コンピューターの一般利用が始まって、高々20年程ですが、

この間の世界の発展は、過去100年よりも勝るとも言われます。
しかしながら、このネットによる発展は良い事ばかりでなく、
私たちの生活は、便利と思われるネットによって、様々な
支障を生じて居ます。

最大の問題は、私たち個人個人が簡単に多くの情報を得られる様に

簡単に他人から個人情報を引き出される可能性が高くなったことです。
誰もが、自由に誰からも拘束されずに便利な生活を送れると思いきや
知らない内に自分の行動が誰かに伝わっていたり、生活全般を
管理されている事も有るのです。

今や、この事を公的に行おうとしているのが、政府が遂行している

国民総ナンバー制による管理社会です。
生活の便利さを謳ったこの制度は、国民が生活するうえで便利と言う以上に
私たちの生活を、いつの間にかにのぞき見されているようなもので、
自分たちの生活すべてを知られていしまう事と成るのです。

プライバシーに関しては、決して問題はないと関係者は言いますが、

今の社会、本気で調べれば、簡単に生活の全てを知られる事は明らかで、
いずれ、国民の生活行動が、幹部の都合のいい様に作られる時代が
来るのかもしれません。

所で、ネット社会で問題となるもう一つの事は、ネットを使っての

個人攻撃です。
最近、頻繁にマスコミで取り上げられる芸能人のブログ炎上は、
第三者からの、一方的な誹謗中傷に満ちています。
この、書き込みが問題なのは、どんなにひどい事を書こうが
書いた本人には、何のおとがめも無い事です。

人は、誰かを批判したり意見する時は、お互いの立場を知って

相手の動向を探りながら、最も適切と思われる言動を行います。
それは、自分の言葉や行動が、常に正しいとは言えず、逆に
自分の考えが間違っている事も有る為、最低限、相手の事を考え
例え喧嘩であろうと、後の事を考える習慣が有るのです。

しかし、ネットの世界では、どれ程相手を傷つけようと、どれ程

非難されようと、自らの存在を明かす必要がない事から、
自分の心は傷つくことなく、際限なく人を傷つける可能性が有るのです。

近年多いご近所トラブルにしても、始まりは、知らない人からの電話が

多く、名前を語らない事から、その行為はいつまでもエスカレートします。
そして、誰からのクレームか解ったとしても、その行為を止めなかったり
更には、犯罪に発展する事すらあります。

今の世の中、不平不満を何で解消したらいいか解らない人が多くなっています。

自らを反省して、解決するのならまだしも、自分の辛い思いを人にぶつけたり
更には、精神的肉体的に人を傷つけたりと、益々陰湿な方向に向かっています。

この事は、単にネットを使ったり、様々なメディアを使って、人を傷つける人が

多くなったと言う問題より、それ以前に、人々が、対人的に関わる事を止め
自らの世界に引きこもって生活できる様になった世の中の変化に起因しています。
更に、家庭生活に於いて、家族間の関わり合いが希薄になり、大人も子供も
自分の世界だけで生きて行ける社会構造が生まれて来たことが大きいです。

この延長に学校生活が有り、友達関係、社会生活が広がってきているのです。

一人一人が、自分の中で判断しながら、自分の都合に合わせた生活を求めると
人との関わり合いによって学ぶ、お互いを感じる能力に欠けてしまいます。

一緒に物事を進める事も、けんかする事も、すべて他人行儀の関わり合いとなり

殆どの人が、関わる以前に、相手を傷つけない代わりに、自分も傷つきたくないと
考える防衛線を張っての生活となってしまうのです。

自分の思いをはっきりと主張することも無く、自分がトラブルに巻き込まれない

生活や仕事を常に考える日常が続けば、当然、心の中の本音がストレスを感じ
何かに思いをぶつけたくなるものです。
そんな時、相手に対して酷い言葉や文面を発しても、自分の存在が知られなければ
自分のストレスは発散しても、傷つけられることは無いのです。

しかし、人間はそんなに単純ではなく、長い人類の歴史の中で、他人との関わり合いで

文化発展させ、文明を築き上げて来たのです。
例え、少人数の家族や友達の間であっても、お互いに思いをぶつけあい、
関係を深める事に依って、人生を充実したものとしてきたのです。
単に、自分の感情を癒すために人を傷つけた位で、本当に満足はできず
更には、自らの成長にはならないのです。

私たちは、どんどん便利な社会に生きる事に依って、何事もこの便利さで

解決できると思いがちです。
しかし、便利な社会を作ったのも人間です。人間の英知が、人を幸せにするために
作り上げてた社会なのでです。
便利な社会が、人を苦しめ傷つけることはあってはならないのです。

私たちの社会はどんなに進歩しようと、人と人の間に争いを持ち込む事は

有ってはならないのです。
今や、人々は便利な社会を利用する事で自分たちが幸せになると過信しています。
ネット社会は、もろ刃の様に、便利であるとともに、非常に危険な要素を
持ち合わせている事を、常に念頭に置いて生きて行くことが大切です。



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