めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

人類絶滅のカウントダウンは、早まった!?

2018-08-18 13:40:21 | ネット社会

私達が生きている実感をする時は、様々な場合があると思いますが、
自分の行動や言動に対して、周囲の人の反応が、活発で有る時、
良かれ悪しかれ、自分の存在価値を感じるものです。
太古の昔から、人類は集団で生きて来た事から、生活の全てが
何だかの形で誰かと関わっているものです。
その為、生活のあらゆる事を分業する事が出来る様に成り、その事が
多種多様の文化を生み、人類の発展を著しいものとしたのです。

現代社会に於いても、人間は一人では生きて行く事は不可能であり、
もし、無人島に漂着して生きて行こうと思えば、それまでの全ての
生きる術を自ら再構築しなければならず、誰もが生きながらえる事が
難しくなるのです。
ネット社会と成って、直接人に関わらないでも生活ができるとは言え
情報の先端には、やはり、多くの人との関わり合いが有るのです。

しかしながら、現代人は、他人との関わり合いを好まず、出来るだけ
他人を介せず生活をしたいと考える人が多くなっています。
この事は、経済力さえあれば、自分の好きな事が出来、欲しいものは
直接人を通じなくとも手に入れられる社会と成っているからと言えます。
煩わしい他人との関わり合いをすることなく、自由に思うが儘の生活を
したいと言うのが現代人の本音とも言えます。

所が、この様に誰もが考える様になると、何か欲しいものが有れば、
お金さえあれば手に入るとなって、何事に対しても我儘と成り、
多くのトラブルを生んでしまうのです。
欲しいものは、同じように他人も欲しがるもので、その争奪戦は
非常に見苦しいものと成る事が少なくないのです。

消費経済社会に育った事で、他人の事を考えるより、自分の欲望を
優先する人が非常に多くなり、経済的に他人より秀でれば、何でも
手に入れられるという人が増えているのです。
社会的に地位が上がれば、自分より下と思える人には我儘となり
上の人に対しては、媚び諂いと言う、人間としては最も醜い守銭奴が
増えるばかりなのです。

豊かな基準は、人としての豊かな人間性ではなく、地位や名誉と言った
社会的な価値でしか感じられず、常に、他人との外見を比較する事でしか
価値観を見いだせず、自分自身の価値観も、他人との比較で自由に変化して、
いつも心が満たされず、欲求不満の心が育つばかりなのです。
また、メディアも、国民に対して、四六時中、消費経済社会での生き方を
コマーシャルと言う形で知らしめ、人々は、自分の生き方や生活は、
いつまで経っても満たされないと思い、常に新たなる消費にに導かれ
幸せの目的が、止まる事を知らない消費と成ってしまっているのです。

今や、都会にいれば、何処に行っても多くの人とすれ違うのですが、
その殆どが他人で有り、知り合いに会う事は,年に一度も有りません。
周囲の人を誰一人知らない様に、都会に於いて、目に付く殆どの人は
見知らぬ他人の中を歩いているのです。
同じ日本人や海外からの人達が目に映っても、それは、テレビの画面を
見ているのと何だ変わらず、多くの人に囲まれていても孤立した状態が
現代人の姿と言えます。

もちろん、友達で有り家族で有り、知人はいるのですが、それとて
全体からすると無に等しく、膨大な数の人が集まっているとはいえ
誰もが華やかな街で孤独な生活をしていると言えるのです。
小さい頃からの教育も、例え学校などで集団で生活していたとしても
目的は、その中で秀でて、社会的な地位を確保すると言うのが前提で有り
周りの人達と人間的な成長を期待する事は二の次と成っているのです。
大人の期待するような子供で有れば、人間的に成長していなくとも好まれ
そのまま、大人に成って、更なる社会人として地位を成して行けば、
それこそ恐いものは有りません。三つ子の魂と言うより、三つ子の我儘が
大人に成っても心を支配しているのです。

特に、社会的に地位を成すようになった時、この様な育ち方をした、
いわゆる、優秀な生徒は、時に、信じられない様な行動や言動を行い
中でも、人々の代表として社会的に力を持つようになった時、人々の期待を
全く無視して、我欲に走る方が出て来るのです。
残念ながら、世の中のリーダー的立場と成る人に、この様な困った人が多く
中でも日本を代表するような地位にある人の場合は最悪で有り、国民は
いつまで経っても幸せには成れないのです。

しかしながら、日本における最大の問題は、国全体を取り仕切る人達の
失態ではなく、人々の生活の最小単位である家庭内での人間関係の希薄さです。
近代国家に於いて、核家族化と言うのがかつて問題と成りましたが、現代に於いて
例え、家族が全員同じ屋根の下に生活していたとしても、誰もが、孤立していて
家族として同じ生活をする意味のない、まるで他人の集まりの様な家庭が
とても多いのです。

これは、安易に、大人と子供、世代間の考え方の違いと言った問題ではなく
例え血が繋がっていても、全く、他人同然の感覚と成っている家族が増えていて
人間が本来持っているお互いの絆も思いやりも失われた、単に、個人的に
その同じ空間いいるだけという人が少なくないのです。
これは、既に、太古の昔から営んできた、集団で生活する人間の本質を
消してしまった、人の生き方とは全く違った、単なる存在に過ぎないのです。

同じ生活空間にいても、まるで、観葉植物が置かれている様にしか
其々の存在価値を感じる事が出来ず、自分欲求を満たす時、必要に応じて
対人的なやり取りをするという、それこそ、大都会で街中を歩いている時と
何だ変わらないのです。

特に問題は、人間が持っている豊かな感情が失われ、他人との関わり合いで
生み出される心の表れが見られず、まるで機械の様な存在になっているのです。
ただ、生きる為のノルマを果たすだけで、周囲の人に対しては、何の感情も
示す事が無くなれば、それは、機械と言うより、性能の悪いコンピューターです。
ネットを利用して何でもできる様に成ったと言いながら、機械とは違う
人間としての存在価値を失ってしまっては、どんなに豊かな生活を行おうも
既に人としての魅力は無く、ひいては、人間でいる必要もないのです。

そう、この社会現象は、人間の進歩の様で、人間の終焉を表しているとも言え
やはり、近い将来の地球を表しているとも言えるのです。
人間が人間らしさを失った時、その他の機能は、断然、機械のが優勢です。
今や、感情を持ったり、自己修復自己開発ができるコンピューターが生れていて
人が手を施さないで、勝手にコンピューターが自らを開発しているのです。
まるで、未来のSF映画を地で良く様な事態が、今や世界で起こっているのです。

ネット社会の発達、中でもコンピューター自体の進化は、専門家が予想するより
遥かに速いスピードで進んでいて、数十年後と予測されたことが数年後にも
起こるのではとの懸念が学者たちに沸いています。
今、人間が管理している分野が、次々にコンピューターによって支配されていて
便利という考えを通り越して、人間の想像を超える役割をコンピューターが
行いつつあるのです。

これまで、人間が一番重要とする分野は、人間が管理する事で成り立っていたのですが、
コンピューターが次々に代行する事と成り、人間生活のあらゆる分野が、ネットによる
管理で繋がっているのが現状なのです。
これまで、人が生きる為の方針、政策は、各国のリーダー格の首脳陣が行い
その運営を円滑にスピーディに行う為にコンピューターを利用して来たのですが、
このリーダー達の上に立つ者が人間でなくなる可能性が高く成って来たのです。

しかも、その存在は、人間以上に人間の感情を理解し、人間よりも遥かに多くの情報を
瞬時に処理し、最も適切と思える方法を、ためらうことなく行動に移せる機能を
持っているのです。
人間なら何度もディスカッションを行い、時に諦めたりためらったりすることを
何の猶予もなく即断できる機械です。
つまり、冷酷無情の裁判官が出現するのです。
あらゆる情報を瞬時にまとめ、最も適切とする方法が見つかれば、何のためらいもなく
決断実行するのです。

この時、私達人間は、機械の下と成る為、他の生き物と同等に取られ、人類が地球にとって
必要か必要でないかの判断も簡単に行われる可能性が高いのです。
その決断に、灰色の決断や玉虫色の取り決めは一切ありません。白か黒で有るかです。
私達人間は、お互いに生かされれながら存在してきました。地球上の他の生き物も
食物連鎖の中で、お互いの命を育てて来ました。
しかし、機械は、より性能の良いものを残し、その他は破棄するという判断を行います。
まるで、消費経済における便利グッズの様に、新製品が出れば、それまでの製品は
簡単に破棄されるのです。

例え人間とて同じであり、この地球上にとって良くない存在と判断されれば
すぐさま絶滅させられるのです。何しろ、人間の生活には全てネットが関わっている為
どんな人もネットによって管理されているからです。
いよいよ地球の管理者が変わる時が来たのかもしれません。
誰も止められなかった人類の横暴を止めるのは、図らずも、人類が作った機械なのかも
知れないのです。

地球上の生き物は、地球誕生の時から様々な形で大絶滅を繰り返してきました。
人間の歴史は、せいぜい600万年、恐竜の数億年からすればほんの一時と言えますが、
人類が行って来た地球に対する悪行からしたら、そろそろ実を引く時期なのかもしれません。
地球自体の異変が有っても、中々くたばりそうもないから、確実な機械の力を使って
絶滅させられるのかもしれません。

既に、地球上の多くの生き物が絶滅し、その絶滅スピードは、以前の大絶滅の時より
遥かにスピードが速いと言われています。
それは、私達人類が、環境に行った様々な悪質な行為に依る事は明らかなのですが、
コンピューターの発達によって、その時期は確実に早くなったと言えます。

現在生きている人類は、最後の人類と成るかもしれません。
人類が進化して二足歩行を極めて来たと言っても、身体の機能が四足歩行の動物と
今だ殆ど変わらず、まだ未完成の状態と言われています。
身体も未完成ですが、頭の中も自分の事しか考えられない未完成な状態の様です。
肉体的に二足歩行を完成させるには、まだ数百万年かかると言われていますが、
残念ながら肉体的にも精神的にも未発達で、人類はこの地球から消滅するのかも
知れません。
残り少ない人類の時代とは言え、肉体的には難しくとも、精神的には
少しでも人間らしく生きて、機械に舐められない様にしたいものです。

 

 

 



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