めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

便利な社会は、人類消滅の始まりか?

2017-03-01 16:08:55 | ネット社会

人に自分の思いを伝える事は大切な事でありますが、
本当の自分の気持ちを伝えられなくて、苦しむ人も多く
多くの人の中で生活していながら、お互いの意志の疎通が
スムーズにいかず、様々な誤解やトラブルを生んでいます。

ネットの発達が、世界中の情報を誰もが手に入れる事を可能にし
世の中は、溢れるばかりの情報の洪水と言っても良いでしょう。
人々の知識は、本人が欲するだけ、いくらでも知ることが出来、
生きてく上で何の苦労もいらない時代と言えます。

しかしながら、これ程豊かに情報が溢れていながら、多くの人が
自分からの情報発信が上手く行かず、常に、欲求不満の状態で
苦しんでいる事を本人すら気が付いていなのが問題です。
何でも知ることが出来、世界中の出来事を瞬時に把握できるのに
何故、自分の考えが正しく人に伝えられず悩む人が多いのでしょう。

特に、生まれた時からネットが完備している環境に有った人たちは
コンピューターが日常の機器であり、生活の中に当たり前に存在し
まるで空気の様に、在るのが当たり前の状況に育ってきました。
その為、自分が生活するにあたって、携帯スマホと言った電子機器は
自分の手足の様なもので、思うがままに扱えるようになっています。

その為、自分の興味関心の対象に対しては、あらゆる情報を瞬時に
手に入れることが出来、自分が考える一番有効で楽しい情報を
知る事が出来るのです。
簡単に自分の思いが達せられるとあれば、これ程にも楽しい事は
有りません。

当然、人間関係も、全くトラブルなく、スムーズな意思表示が出来
より充実した毎日を送れると思われます。

所が、そんな楽しいはずの彼らが、日夜、心の中が満たされず、
むしろ、何でも手に入る環境に居ることで苦しんでいるとは、
誰もが思いもしなかったと思われます。
知る事、伝えることが、一番的確な表現で行え、誤解やトラブルを
生む余地は無くなっているのではと思いがちですが、ネットが
広がる以前に増して、更なる苦悩が人々に襲いかかているのです。

ネットから得られるあらゆる情報は、世界中の人々に瞬時に共有され
誰もが知ることが出来ると言う事は、情報のやり取りは、送る以前に
一番相応しい答えが有り、それを選択出来る事が重要となるのです。
つまり、情報発信者は、次なる答えがどの様な形で返って来るかを
予想しているのです。

受け取った側は、発信者の思いに沿う様に新たなる発信をする事で

二者の関係は保たれるのです。
この事は、社会的な商業的なやり取りに於いては、非常に有効であり
ミスのない共同事業が行われるのですが、対人的には、様々な問題や
トラブルを生じているのです。

特に若者たちの間でのトラブルは、お互いの情報交換が、常に、

お互いの関係を保つ為に共通のルールが作られていて、そのルールに
乗っ取て内容を発信しなければならないのです。
問題は、友達同士の繋がりは、お互いの本心ではなく、情報交換の
内容を保つ為の関係なのです。

お互いのテリトリーには決して立ち入らない様、更には、個人的な

感情や考えと言った自分の考えを持ち込まないで、ネットやメディアからの
情報からの判断でやり取りが行われます。
まるで、商売をしている仲間同士のやり取りの様で、お互いが利益を
得ることは有ってもリスクは決して追わない様にしているのです。

当り障りのないビジネスライクの人間関係が、若者たちに多く、

集団で行動していても、お互いの心の繋がりは薄く、言葉で交わすより
電子機器を使ってやり取りをする方に重きを置きます。
その為、対人的なやり取りが苦手となり、相手の気持ちを察する事や
相手の心を癒す気持ちが育ちにくくなり、誰に対しても、マイペースな
個人感情から出る、単発な言葉しか発せられなくなってしまうのです。

この事は、お互いに相手の本当の気持ちを知る事が難しく、例え

スマホを使ったとしても、そこに並ぶ文面は、当たり障りのないもの
と成ってしまうのです。
本当は、心の奥底を癒して欲しいのに、相手に対する言葉や態度が
相手の心を察する事が出来ない事から、優しい気持ちを受け取る事が
難しくなっているのです。

人は、キャッチボールの様に、お互いに投げ合ったボールの強さや

種類によって、同じように投げ返すものなのです。
この投げる自分のボールが無くて、ネットやメディアから得られる
情報を投げている為、お互いに本心が解らず、沢山の友を持っていると
言いながらも、本当の友は、非常に少なかったり、居なかったり
するのです。

この事は、友達同士だけでなく、日常の環境に於いても、少なからず

この傾向があり、家族間、学校内、仕事仲間と、殆どの環境に於いて
多くの人々が、見た目と全く裏腹の深い孤独を抱えているのです。

私たち人類は、類人猿から進化して、言葉を持つ事に依って、

自分の思いを周囲の他人に伝える事が出来る様になりました。
生きて行く上で、自分が何を欲していて、周囲の人たちに
何をして欲しいかを伝えることで、人類は、急速に進歩したのです。

所が、現代は、余りにも情報が氾濫し、その情報が、ネットや

メディアを通じる事で、人々に日常的に浸透しているのです。
その為、自分は、自分の考えで生きていると思っていても、
自分の考えは、何かの情報をそのまま受け入れている事が多く
人と人との関係も、単に、情報交換である事が多いのです。

かつて、大女優が、日常の行動も言葉も、それまで演じた作品の

何処かの場面であり、自分の言葉が、セリフである可能性が高い
と言って悩みを告白しているのを見ました。
自分の行動、言葉と思っていたものが、実は誰かが作ったもの、
そう考えただけで恐ろしくなると言っていました。

数十年前の話ですが、今や、ネット社会で生きる人たちの

行動や言動が、本心から出たものではなく、ネットや情報に操られ
無意識の内に動かされているとしたら、この何でも手に入る
知る事の出来る現代は、如何に、恐ろしい時代であるかと言えます。

私達の生活は、様々な情報をもとにして行われているのは事実ですが、

個人のとしての価値や存在理由が消え、単に、情報伝達中継点の一つ
としてネット社会に組み込まれているとしたら、そして、個人としての
考えや行動が、実は、いつの間にかに巨大なネットワークで管理され
日常生活をコントロールされているとしたら、手放しで喜んでいる場合
ではないのです。


今や、国民総ナンバー制が実施され、誰もが、管理される様になりました。

私達が選挙で選んだ人達や、世の中を良くしようとするリーダー達に
私たちが幸せになる様に考案されたと思っていると、いつの間にかに
完全に、生活すべてを管理されているのかも知れないのです。

しかしながら、科学者たちは警鐘しています。

近い将来、この管理しているリーダーが人間でなくなる事を。
人間に代わる人工頭脳が、人間を管理する時代が来ることを。
多くの人々が、科学の進歩によって、便利で豊かな社会がやって来ると
考えていますが、機械は、私たち人間の様に、不完全な存在を、はたして
容認するでしょうか。

地球の大自然をことごとく破壊し、何千年に渡って戦いを繰り返す人類を

許すと言う人間的な判断をするのでしょうか。
この世で一番厄介で、破壊的な生き物は人類であることは明らかです。
少なくとも、人類が居なく成れば、地球の環境は、間違いなく良くなります。
たった一種類の生き物で、地球環境が破壊されるより、一種類の生き物を
抹殺する事で、地球の数百万の種を生かす事の方が重要としたら。
今や、着々とその日の為に、コンピューターは進化しているのかも
知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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