めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

情報に翻ろうされる人々

2015-05-16 13:18:51 | ネット社会

私達は、日頃から精神的肉体的に、自分に必要な物を取り入れ
生命を維持しています。
食が断たれると、直ぐに生命維持が危うくなり、命を繋ぐことが
難しくなります。
その為、生まれてこのかた、習慣として毎日食べ物飲み物を摂取する事が
何の疑いも無く行われているのです。
この事は、生きて行く限りは、誰もが必要不可欠であり、この食に関する
あらゆる事業が太古の昔から発展しているのです。

しかしながら、この食に関して、私達は何の疑問を持たない事により、

本当に自分にとって必要な物かそうでないかの判断が無くなっています。
つまり、生命を維持するだけに必要な食品が、嗜好を伴って、必要以上の
摂取が問題となっているのです。俗に言う食べ過ぎとそれに伴う様々な
病的疾患や、美容的問題が発生しています。

私達の生活は、生命維持が保障されると、そこで食品摂取が止まるかと言えば

様々な誘惑や欲求により、そのラインを難なく無視して、自分の許容範囲を
超えてしまうのです。
この問題は、大量に食べた事ではなく、自分の身体の許容量を知らないために
起こった悲劇でもあるのです。

もう一つ、精神的な事として、多くの情報を自分に取り入れる事による問題が

現代人を苦しめます。
ネットの発達により、増々多くの情報が手に入り、それに対応する為に
様々なストレスを感じる人々が増えているのです。

仕事にしても遊びにしても、むやみに情報を得すぎる為に、いかに処理するかで

いつも心は苦しむ事となるのです。
特に、仕事に於いては自分の意思で動くと言うより、会社や周囲の動きに合わせ
むしろ、自分の考えを抑えて取り組まなければなりません。

取り込みたくない情報である仕事を大量に抱え込むことは、大きな負担となります。

その為、逆に、なんでも取り入れられる、自分好みの情報に身を隠すべく
ネットに依存する人々も多いのです。
この様に、精神的肉体的に、人々は多くの情報や食料を取り入れる事により、
一見、自分の脳力が増している様に思い込み、その結果、病への道を歩むのです。

私達は、自分が一体、本当はどの様に思って居るのか、自分の思いは何なのかを

常に見失わない様にしないといけません。
1人1人この気持ちは全く異なり、相入れる事は、例え恋人同士、家族、夫婦、兄弟
であっても異なっているのです。
しかし、この自分を主張する事は、集団で生活する人類にとっては問題です。
全体として種を繋いでいくには、各人が他の考えや物を受け入れる体制が必要です。

しかし、得てして、自分の存在は、周囲の環境や人々によって確認させられる為

自分の思いが否定されることが多いのです。
更に、大人に成ると、周囲への配慮が働き、増々、自分の本音を否定しがちです。
子供の時の豊かな感情が、社会人になると、まるで能面の様になってしまうのです。
とは言っても、自分をごまかしたり、自覚しない生活が続くと、人々の心は萎えて
自分自身の人生の価値を見失いがちとなります。

誰しも、魅力は、その人から現れる表情行動に現れます。

その個性的な内面を見せられると人は魅力を感じ、その人の存在を認めます。
これを利用したのが俳優であり芸能人であるのです。
しかし、これは、あくまでビジネスとしての魅力であり、多くの大衆は騙されるのです。

とは言え、この魅力的な存在がもし自分であったらと思うと、誰もが憧れるものです。

ならば、そうなればいいのです。
自分自身は、一体どうしたいのか、どうありたいのか、何をしたいのかについて、
外部の情報からではなく、自分自身に向き合って、その存在を知ることなのです。

世の中には様々な魅力的な事があり、特に都会ともなれば、人々の憧れの物や

人で溢れています。
そんな憧れを求め続けると、その魅力と自分自身のギャップに疲れてしまいます。
私は誰れ!俺は誰なんだ!と自らに向かい合って、本当の自分を知る事が
大切です。





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