めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

常に心が不安な日本人

2017-07-26 15:51:10 | 日本人

近頃の日本人は、本当に憶病になりました。
いつも何かに怯えている様で、日常生活に於いても社会生活に於いても
心が満たされる事無く、目に見えない恐怖から逃れるかのように働いています。
しかし、世界の国々の中でも、先進国の1つとして、経済的に豊かな生活を行い、
外見的には、決して苦しい生活には見えません。
何でも欲しいものが手に入り、思い通りの楽しい人生を送っている人が多い様に
思われますが、何故、満たされていると思われるのに、人々の心には恐れと不安が
無くならないのでしょう。

この事は、日本人が、何を持って満足し、安心して生活できるかと考えると
現実の問題が浮かび上がって来ます。
日本人に限らず、人間は、自分一人で生きている様で、実際は、人間によって
更には、大自然によって生かされています。
特に日本人は、太古の昔から豊かな大自然の命によって生かされ、その恵みに感謝する
人々の豊かな心で育って来たのです。
日常的に大自然に触れ合い、自分達が生かされている事を実感して生活していました。
更には、人々の関係も、お互いに助け合い慈しみ合う事に依り、人間関係を豊かにする事で
生きる意味と自分の存在意味を感じていました。
この、自然と人間同士の豊かな関係が、日本人の、繊細で心豊かな人間性を育てて来たのです。

しかしながら、日本人としての心の基盤が失われている事が、多くの人々の心の不安と成って、
先の見えない恐怖を生んでいるのです。
多くの人々が生活する大都市からは、ことごとく大自然は失われ、人工的な公園や緑地帯、
見てくれのウォーターフロントは、決して人々の心を癒す物では有りません。
更に、小さい頃から、対人関係は、比較対象として優劣の関係を求められ、お互いの評価は
経済的外見的な評価でしか成り立たず、人間関係は、自分にとって、単に、
プラスかマイナスかの、利益不利益の評価しか出来なくなってしまったのです。

自分に経済的にプラスと成る者には、人間的な評価を与え、そうでない場合は、見下すと言う
学校に於いても社会いても、極めて私欲の絡んだ人間関係と成っているのです。
その為、他人は、いつ敵に成るか味方に成るか、常に、不安定な状態であり、社会的に
簡単に立場が変わる事に依り、心の繋がりまで発展する人間関係が薄く、利害関係のみが
人々の繋がりと成って、人は、安らぎの関係とはならず、常にプレッシャーを生む存在と
誰もが感じる様になっているのです。

その為、対人的なやり取りが非常にたどたどしく、社会的地位や職種、更には財産の有無と言った
外見的な要素での繋がりと成り、人々の心のストレスは溜まる一方なのです。
肝心な国の政策は、あくまで、企業優先の、営利を求める社会事業が多く、人々の心の苦しみを
開放するような策は全く議案にすら上らず、国民は、経済的に豊かになれば、幸せになると言った
いつまでもバブルを忘れられない考えしか浮かばないのです。

それ故、国民は、自分や家族の身を守るため、社会的な安定と自分達の神経質な程の保身を図るのです。
メディアが紹介する健康グッズは瞬く間に売れ、様々な保険は、殆どの国民が取り入れようとしています。
身体に良いと言われれば、その食品は、あっと言う間に全国的に不足し、健康に良いとされる運動が
テレビで紹介されれば、猫も杓子も、翌日から日常生活に取り入れられます。
人々の生活の中は、情報によって得られた、自分達を健康で豊かな生活に導くとされるグッズで溢れ
テーブルには、連日、健康になると言う様々な食品が並びます。

更には、健康になる為と、身体の至る所をチェックし、メディアで紹介された健康を害する様々な病に
自分がならない様、検診に明け暮れ、様々な健康のための薬を取り入れます。
しかし、日常的に、自分の健康管理を行うための方法が多種にわたるにつれて、本当に効き目があるのか
不安と成り、またもや新たなる食品や薬を求めます。
しかし、多くの国民は、自分自身のこれらの行為が、一番、自分の心を無駄に弱め、健康な身体を
自ら痛めていることに気が付きません。

様々な病になる事を前提に考える事で、既に心は、不安に満ちた不健康な状態と成っていて、
多くの健康グッズを求めたり、健康になると言う運動や生活を行おうと考える事で既に
健康になるどころか、自分が恐れている日常に近づいている事を知りません。
最近の調査によると、病院に行く回数を減らし、薬を止めた人の方が、心も身体も健康になっている
という報告がありました。
医師にいつも診てもらっていれば健康になると言う考えが、実際は、不健康と成ってしまうと言う
思いがけない結果も生まれているのです。

日本人は、対人的に非常に神経質に成っている事から、益々、対人的なトラブルが増えています。
他人と出来るだけ関わらない事で、余計なトラブルや誤解が生じない様にと考えるのでしょうが、
人間同士の心の繋がりを断つことは、更なる大きな問題を生んでしまう事が有るのです。
人との関わり合いで円滑に行われる対人関係が無くなってしまうと、其々が、勝手な思いで
他人を判断する事に依り、更なる争いが起ったり、間違った解釈により、相手の心を傷つけ
大切な関係を壊してしまう事も多いのです。


昔の人が、穏やかに対人的なやり取りができたのは、常に、相手の気持ちを察し、相手がどの様に
考え、自分に何を求めているかを日頃から感じる事で来たからです。
また、不満や不安が有れば、どの様に対処したら良いかが解り、周囲の誰かが、心の不安を
取り除くことが出来たのです。
家族に於いても友達関係であっても、常に、全員が個々の存在を認め、心の中を察する事に依り
様々なトラブルや不安を回避できたのです。

今や、ネットの発達により、様々な情報が手に入る一方、対人的には、例え家族であっても
希薄である場合が少なくないのです。
単に、利害関係だけで繋がっていて、心の中で繋がっていない人間関係は、家族と一緒に住んでいても
仕事をしていても、精神的には独りぼっちであるのです。
この事は、子供の頃からの育て方にも問題があり、小さい頃から、社会的に豊かな生活をする為の
経済至上主義の教育が主体となり、対人的な心の教育があまりにも貧弱である事にも依ります。
成績が良ければ、優れた学校に進学出来れば、対人的な問題があっても許されると言う風潮が
大人になって社会人と成っても、様々なトラブルを生む事と成り、増して、社会的に地位の有る
職種に就けば、その行動の横暴さは、多くの人々の心を踏みにじるのです。

経済的に豊かと成っても、本当に心を許し、自らを戒めてくれる友や知人がいる方がとても少なく
人間的な繋がりが、利害に依る繋がりに取って代わられ、経済力や地位によって、人としての
許されない行動すら、何の罪悪感を感じることも無い人間と成ってしまうのです。
日本社会のトップを握る人たちだけでなく、殆どの国民が、利害関係を主体にする生活を送れば
その誰もが、心を癒す事も休まることも無く、どんなに経済的に豊かとなったとしても
常に、心から不安はぬぐえず、更なる、豊かな生活を求めても、一向に心が休まる事は無いのです。
自分の心が少しでも安心するのは、誰かに勝った時、更には、自分より上と思える人が、失脚し
自分よりも下になったと思った時だけなのです。
しかし、この喜びは、自分よりも上の人がいる事を確認した途端消え失せ、またいつもの、
不安な生活と成るのです。

もし、豊かな生活を送れる様になれば、社会的に高い地位が得られる様になれば、誰もが幸せになり
心も安心できると言うのなら、人を傷つけたり、騙したりする必要な無いはずです。
多くの人々を落胆させたり、常識では考えられない自己中心の行動は行わないはずです。
しかし、氷山の一角とは言え、次々に、聞きたくない見たくない、見苦しい事実が公表されます。
つまり、いつまで経っても満足できず、陰で隠れても、私欲を満たす事が止められないのです。
端で、それを戒める人も無く、身勝手な行動は、多くの人々を傷つけ、落胆させます。

この事は、資本主義経済の日本に於いて、国内至る所で行われている事であり、
経済を主体として発展して来た日本の恥部ともいえるのです。
より豊かな生活が幸せと考える事に依り、様々な犯罪行為が行われ、人よりも少しでも
利益を得るべく、正当な手段を取る事無く、欲望に任せたままの結果が、
昨今の日本の現状なのです。
経済社会を作る様々な施設は、ほとんど全てが、利益を目論む為に造られたものであり、
多くの人々に、経済社会での楽しみ方を提言します。

しかし、利益を生むために、施設を作る人たちの欲望の目論見から生まれた物は
人々に、餌の様にばらまかれても、本当に人々が求めているものとは言えないのです。
ファションと同じく、より多くの収益を得るために、考え出されたものであり、
そのコマーシャルによって、その価値や有用性を植え付けられるものの、実際の所は、
多くの国民の本当に求める物とは違っているのです。
楽しむためには、更なる出費を強要され、本当に心から満足できない事で、
多くの人々は、欲求不満な毎日を送っているのです。
人として、日本人として、本当に心癒される社会が作られない限り、
日本国民は、かつての様な、心豊かな人生を送る事は出来ないのです。




 

 


 

 

 

 

 

 

 


 



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