若者が多く集まる東京であっても、サラリーマンが会社で働く頃
街を歩くと、右を見ても左を見ても高齢者ばかり目に付きます。
かつて、巣鴨がお爺ちゃんとお婆ちゃんの聖地と言われた事が有り
巣鴨に行けば、まるで、原宿の様に、高齢者で溢れていました。
しかしながら、最近は、山手線のどの駅に降りても、巣鴨と変わらず
日本が本当に老人大国となってしまった事を実感します。
お爺ちゃんお婆ちゃんが長生きしている幸せな国だと思いきや
この高齢者の多くが、膨大なる老齢年金と高齢者福祉に依る恩恵を受け
その為に、国の財政がひっ迫していると言う事実が有ります。
長年、国の為に働いて来た高齢者の為の便宜を図ると言う事は
国としての当然の行いとは言えますが、今や、その財源は乏しく
若い働き手を激減させた我が国において、高齢者対策は、更なる
難題を生み出し、日本経済は、戦後最大の危機を迎えているとも言えます。
一見、世界的な高度経済成長国家として国民は幸せであると思いがちですが、
現実に生きている国民の多くは、生活に余裕を持つことも出来ず、
明日の希望も持てない、日々の暮らしに追われている人が多いのです。
消費経済を成り立たせる為、様々な出費を強いられる生活は、消費の為
必要経費を稼ぐ為に、毎日頑張って仕事をしていると言う人が少なく無く
個人的な余裕を持った生活を出来る方が非常に減っているのです。
一部の富裕層は、バブル以上に所得を伸ばし、その反面、殆どの国民は
毎年の所得減少と必要経費の高騰で苦しんでいるのです。
どんなに働いても楽に成らず、ストレスばかりが溜まると言うのが
庶民の生活であり、海外の方から見た豊かさとは違う、現実の苦しさが
殆どの国民に募っているのです。
国民所得を上げれば、人々は楽な生活が出来るとし、より仕事量を
増やす事に依る過剰労働時間が、数々の労災を生み、人々の心と身体を
蝕む結果と成っています。
私達は一体何の為に働いているのでしょうか。
若者達は、増え続ける高齢者を支える為に、多額の税金を払い続け
高齢者は、退職しても、死ぬまでの生活保障があるとは言えず、
新たなる職を求める方が多いのです。
生活基盤と言うのは、人間の基礎代謝と同じく、生きていく上での
基本であり、無くてはならないものです。
その基盤がしっかりしている事で、様々な事に挑戦が出来、新たなる
希望ある未来が開けるのです。
ところが、現在の日本は、この基本的な生活を提供できません。
生きていく上で最低限度の生活と健康の保証が出来ていないのです。
国民は国の宝であり、国民が健康で不安の無い生活が出来る事が
国が発展する為に一番大切な事と言えます。
しかし、この、人間生活の底辺で、多くの人々が苦しみ、
自分の未来と夢を築けないのです。
若者達が結婚に踏み切れない原因の一つが、安定した生活保障が
考えられない事に有ります。
年々下がる出生率も、結婚できなければ、下がるのは当たり前です。
中国の一人っ子政策の様に、子供達を大切に育てようとしても、
実際の数が増えて来なければ、将来的に国家の力は衰えるのです。
今、国会で審議している多くの議員は中高年であり中には高齢者もいます。
彼らは、生活を満たされた高齢者たちです。未来を不安視することは無い
選ばれた人達なのです。
自分達の置かれた経済的に豊かな環境を高齢者の幸せな生活と考える為
国民に経済的に豊かに成れば幸せに成ると、安易な考えを持ち出します。
ならば、国民一人一人が、高齢者が、議員たちの様な豊かな生活をすれば
同じように幸せに感じるかと言えば、それは、NO!です。
成れる訳もないし、なりたくも無いと言うのが殆どの国民の思いでしょう。
国民は、置かれた環境で、幸せを感じたいと言う事が解っていません。
確かに、経済的に豊かで便利な生活が出来れば、生活の心配も無く
気楽な人生が送れるかもしれません。
しかし、多くの国民は、自分の選んだ、自分だけの価値観を感じられる
心躍る人生が歩みたいのです。
十人十色と言う様に、人の生き方は、様々であり、誰の人生が一番と
言う物では有りません。自分自身を褒めたい程、自分の心が満足できる
生きていて良かったと思える人生を歩みたいのです。
それを、ただ所得を増やし、経済的に豊かで便利な生活をすれば
幸せに成ると考える甘ちゃんで坊ちゃんの考えでは、決して
日本国民は幸せに離れないのです。
人間は、美味しい餌を与えておけば満足するような単純な生き物ではなく
国民をペットの様に、餌を与えておけば満足する様に考えて居るからこそ
相変らずの愚策しか生まれて来ないのです。
自由主義社会ですから、当然競争社会と成り、所得の差は生まれるのは
当たり前の事であり、経済的に豊かな人と豊かで無い人が出るのは当然です。
しかし、人は其々の立場で、幸せに成る権利が有るのです。
所得差身分の差で、幸せの程度が決まる様であってはならないのです。
どんな職種どんな環境を選んだとしても、そこで自分の能力を発揮し、
自分とその周囲の人々を幸せに出来る事が大切なのです。
ある意味、人の価値には、差別が有ってはならず、如何に其々の考え立場を
理解し、異なった考えの人が創り上げる社会が一番の理想と言えるのです。
御上から決められた薦められた事で本当の幸せは掴めないのです。
私達人類が繁栄できた最大の理由は、様々な環境や人間関係に多感に反応し
自分達の生き方を変化させてきたことに依ります。
人と自然、人と動物、人と人が、違っている事を理解し、その中で如何に
幸せに生きて行くかを考えて、人間として進化し、環境を変えて来たのです。
つまり、同じ行動、同じ環境、考え方を強要される事が一番つらい事なのです。
人間は、共同生活をして進歩した動物です。
しかし、他の動物と違ったのは、共同生活で得た知恵や知識を、新たなる
未来生活に変えて行ったことです。
動物は、何千年も同じ生活をし、同じ行動を取りますが、人間は、次々に
生き方を変える事に依り進化できたのです。
人間の最大の力は、新しい物を受け入れ、新たなる喜びを見出したことです。
この事は、誰もが、多くの所得を得たいだけでなく、それを利用して、
興味の沸くもの、知らないもの、新たなるものに触れて体験したいと言う
強い願望があるのです。
この願望を満たす為にも、生きて行く基本的な生活人権が守られる事が
生活して行く上で大切なのです。
国家の国民に対する政策の理想は、国民全ての基本的な補償を行う事です。
その時、一人一人のオリジナルな能力が発揮され、国の発展は保証され
人々の幸せは、強制される物でなく、個人のものとして得られるのです。
北欧などの一部の国では、国民の基本的な生活が保障され、死ぬまで
安心して自分の人生を楽しめるようになりました。
当然、他国に無い程の高い税金を払ったり、国民としての多くの義務を
全うしなければなりません。
しかし、日本の様に、どんなに働いても、一生不安な生活を強いられる
見た目の豊かな国ではないのです。
未来の国の在り方としては、更なる国民の経済負担が無くなる様に
より高レベルの審議が続けられていると言いますが、日本に於いては
豊かな人は豊かな生活を維持できても、貧しい人はその環境から
どんなに働いても抜けられないと言うのが実情です。
日本が、見た目の豊かな国から、本当に国民が日本に生まれて良かったと
思えるような国を目指すまでは、金儲けが出来れば幸せに成るとする
世の中の事が解らないお坊ちゃんお嬢ちゃんの政治ごっこに
付き合わねばならないのが、日本人の最大の不幸と言えます。
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