めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

被災者の心が見えない支援

2014-03-11 15:25:35 | 地域振興

今日、三年目のあの日を迎えました。
仕事場で大きく揺れる床の上で感じたあの恐怖、
思い出すだけで体中が締め付けられる思いです。

その瞬間まで何事もなかった東北の静かな街に、
突然地獄の日々が訪れました。
体験者でなければ解からないその恐ろしさは
何年たっても消える事は有りません。

私も、小学校の時に伊勢湾台風の水害で
家族全員が真っ黒な濁流に流される恐怖を
味わいました。

幸い、家が流されることもなく、我が家に避難して
助かった親戚家族と共に助かったのですが、
翌日、屋根の上から街を眺めると、ほとんどの家が
視界から消えてしまっていて、昨日まで一緒に遊んだ
友達が何人も亡くなってしまいました。

規模こそ違いますが、町内の人々の3分の一が
一晩で消えてしまった事の驚きと悲しみは、今でも
消えることなく鮮明に残っています。

3年の年月が、その苦しみを癒してくれる訳ではなく
その千日を超える日々が、重く人々の心の中に
昨日の事の様に刻み込まれているのです。

そんな中での復興事業計画、あれだけ多くの瓦礫が
殆ど撤去され、街に大型重機が入って、日々その姿を
変えています。

しかし、人々の心は殆ど進んでいません。
目の前の景色は変わって行っても、心の苦しい思いは
一向に癒されない方が多いと思います。

私の故郷も水害に負けない巨大な堤防が作られ
街中の多くの川が埋め立てられ、整理された道路が
作られました。町中を取り巻く巨大な堤防の中で
あれから数十年が経ちました。

外部資本により、多くの施設や建物、高速道路が出来、
今では、昔の面影は全くありません。
美しい水郷の自然は殆ど埋め尽くされ、多くの住宅が
他の市町村と変わらない風景で並んでいます。

私が小さい頃遊んだ川は、どす黒くいつも濁っていて
街中を下水道が流れている様です。
また、外からの移住者が多くなり、しかも、マンションなど
田舎にはかつて考えられなかった住居も増えて
そんな新しい人々との交流もありません。

台風で流された街並みはその後家が立ち並びましたが、
今では典型的な過疎状態で、街を挙げての夏祭りも
寂れてしまいました。
我故郷は、昔の原風景を探すのに苦労する程変わってしまい、
人々の気持ちも都会人の様に希薄になってしまいました。

東北の被災地に多くの資本が投入され、以前にも増して
津波に対して安全で立派な街が出来上がったとしても
人々は津波以前の故郷をいつまでも懐かしむでしょう。

失った物は人々の命と財産だけでは有りません。
巨大堤防の建設予定地の前で、見えなくなってしまう海を
悲しげな眼で見つめるお年寄りの姿が、癒されない人々の
気持を表しているように思えてなりません。



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