めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

猛暑の帰省

2018-07-21 11:10:36 | 日本人

半年ぶりに帰省しています。
東京の生活に慣れていると、故郷に降り立つと
余りにも静かで、まるで無音室に入ったように
何も聞こえてきません。
夜遅く帰って来たせいかもしれませんが、駅から
自宅までの道のり、人っ子一人出会えません。
しかし、空気が澄んでいるのか、歩く正面に見える
星の光が、東京では考えられない程強く感じられます。

実家に帰ると、90を超える両親はすでに就寝中でしたが
物音に気付いて、のこのこ起きてきました。
一年中ほとんど二人で暮らしている事から、家の中は
二人が利用する場所以外は、まるで廃墟の様です。
自由が利かない体であり、時折ヘルパーさんが片付ける
と言っても、広い田舎の家は、殆どが手つかずと
言っても良く、兄弟全員が、遠く離れた地で生活していて
中々帰ることが出来ず心苦しく思います。

とは言うものの、老人力と言うのは、我々が思うよりも
力強いもので、不自由な身体を一生懸命動かして、
家事をこなしていく様は、頼もしくさえ感じます。
家の近くのマーケットを覗けば、そこは、高齢者ばかり
日本は、高齢者で溢れているのを、改めて実感します。

しかしながら、高齢者たちが老後を安心して過ごせるような
施設や制度は出来ているのですが、たとえ長生き出来たと言え
生きがいを感じる生活が出来ない高齢者が多いです。
人は、高齢者に限らず、自分がこの世に生きている意味や
価値が感じられないと、例え衣食住が満たされても、
心から幸せを感じないものです。

特に、社会からリタイアしたと思われている高齢者にとって
自分の存在理由や意味を感じられないと、寂しさを感じます。
高齢者だから大切にすると言うのではなく、高齢者であっても
家族の為に、地域の為に、社会の為に役に立っていると
感じる事が、生きがいを生み、しいては健康に繋がるのです。

それにしても、今の日本社会は、何処にいても心から癒される
場所が有りません。
にぎやかで華やかな場所は、常に消費を求められ、健康で
豊かな生活を送るには、それ相応の財力が要求されます。
例え何でも手に入ると言われる日本社会に於いて、誰もが
望むものを手にするだけの資金が必要です。

つまりより多くの消費が出来る人が、日本社会に於いて
安心で健康で豊かなな生活を手に入れること出来るのです。
その為、多くの方が、生きるための目的を、より多くの
資産を手にする事とするのです。

また、日本社会が求めるのも、より豊かな消費が出来る人
であり、利益を求める人たちも、どの様な過程で消費する
資産を手に入れたかと言うより、自分たちの利益をどれだけ
多く得られたかと言う点に目的を置いています。

豊かな消費経済社会と言うのは、個人としての価値と言うより
常に社会に対する価値が求められることから、日本人の心に
生きている満足感や価値観を得られないのです。
この事は、決して、高齢者だけの問題とは言えず、今や、
日本社会全体の問題としてすべての世代に於いて存在します。

子供たちの教育は、人間としての豊かな感性を育てると言うより
将来求められる資格や地位を目指して、他人より秀でる事を
求められます。弱者に対する思いや周囲の人に対する思いやり
と言うより、まず、自分の欲望を優先する様になるのです。
今の日本社会は、経済的に秀でなければ、豊かな生活は
保障されず、他人の事を構っていられないのです。

幸い、小さい頃から、この社会目的に従って、周囲が望む
社会的地位を得られた方は良いのですが、残念ながら、
殆どの方は、自分の生活を維持していくだけで精一杯なのです。
より多くの支出を求める経済社会は、例え、所得が増えても
それに応じて出費するように出来ていて、余程の高額所得を
得られない限り、余裕を持った生活は出来ません。

日本における豊かな人は、ほんの一握りと言えます。
殆どの国民が、そんな方々を支えるために、自分の
地位と財産、そして家族を守るために頑張っているのです。
巨大なピラミッドの頂点を見上げながら、ただひたすらに
周囲を見る余裕もなく働き続けているのが、日本人の実態です。

定年を迎えてリタイアしても、失業しても、病に伏しても
上を目指すことが出来無くなれば、人間としての価値を
見出すこともできず、転げ落ちてしまうのが日本社会です。
高度成長を遂げたとする日本人の家庭を見れば、それまで
買い求めた便利グッズや生活用品で一杯です。
そのどれもが、なくてはならないものと言うより、
メディアやほかの家庭との比較として買い揃えた物です。

まさに、便利で豊かな物を買い揃えれば、幸せになると
信じて疑わなかった証拠と言えます。
日本中、どこの家庭にも、同じような商品が溢れていて
その価値は、自分自身が本当に必要としたものと言うより
人が持っているから、メディアが薦めるからと言った、
本心を満足させるものとは言えないものばかりです。

しかし、この満足できないと言う事が、消費経済に於いては
重要であり、常に、欲求を完全に満たせないことが、
更なる消費を促し、提供者の思う壺となっているのです。
常に、自分の心と対話するのでなく、他人と比べる事で
いつまでも欲求不満の状態が消費者を不安にさせるのです。

幸せになる為と言いながら、一生満足できない生活が
例え経済的に豊かになったとして、幸せでしょうか。
現代日本人は、物で心を満たそうとして、いつまで経っても
幸せになれない民族になってしまったのです。

一生懸命、会社のため家族のため働いて来て、定年になれば
悠々自適の自分の心を癒す老後を楽しもうとしても、
自分の存在価値が認められず、国からは、便利な生活を
施されても、本当に心から満足できないのです。
日本の高齢者も若者たちも、心が満たされない人が
余りにも多いのです。
しかし、経済的に豊かになれば幸せになるとするリーダーは
まさに、豊かな経済社会を勝ち抜いた人であり、日本人の
大多数の気持ちは到底理解することは不可能なのです。

政治家としてのパフォーマンスは長けても、国民の真意を
感じられないリーダーたちでは、国民は、単に、選挙の時の
頭数にしかすぎず、声を大にして訴えた選挙の時の理想論は
魚釣りの撒き餌でしか有りません。
かろうじて生かされている多くの国民は、ひとたび惨禍に
見舞われれば、経済的基盤を失うだけでなく、生きる為の
強い心の繋がりを持たない為に、非常に大きなストレスを
被る事となるのです。

国のリーダーたる人たちは、国を支え続ける国民の生活を
守るだけでなく、心の平安を守る義務があります。
例え、経済的基盤を失っても、基本的人権が守られ
また新たなる生活が得られるまで、安心して生活出来る
心のケアを提供しなければなりません。
経済的援助を行ったとしても、人々が、未来に対して不安な
毎日を送らなければならない様では、国民を代表して
政治を行っているとは言えないのです。

今や日本国民は、災害に合わなくても、未来への不安を
抱いている人が実に多いのです。
経済的に豊かであっても、家族や地域の人から孤立していたり
自分の思いを語れる人が周囲にいない場合が少なくなくて
生きる事に寂しさを感じる日本人が多くいるのです。

例え、ネットの発達で、世界中の情報を手に入れられたとしても
身近な人からの情報が全く得られなくて、孤立している人もいて
逆に、SNSを使って、多くの人に自分の存在を知ってもらうことで
孤立から逃れようとしている若者は多くいます、
今や、都会の様に、多くの人々が集まっているとは言え、知る人は
殆どなくて、経済的基盤を失えば一気に被災者たちと同じ状況に
なってしまうのです。 

日本人が日本人として誇りを持ち、未来への夢と希望を語れる
多くの友や家族を持てる日はいつ来るのでしょう。
例え、地球温暖化で、人類が滅亡の日を迎える時が来ようと、
信頼できる友と深い絆で結ばれた家族に囲まれていたいと思います。

 



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