めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

心がいつも満たされない日本人

2018-11-14 18:17:26 | 日本人

白黒、良し悪し、善悪をはっきりとしたがる傾向が有る日本人は、
常に、物事を比較して、より自分の利益や好みに合うものを選ぼうとします。
そして、正しい判断が出来る事を理想とし、自分の考えや行動が、
間違っていないと言う事に拘ります。
その為、新たなる情報に敏感で、自分の持っている情報をより良いものに
書き換える事に専念します。

日常生活に於いても、より便利で豊かに成るにはどうしたら良いかという
メディアからの情報を常に取り入れて、自分自身の知識の更新を行います。
この事は、近代日本に於いては、極めて顕著であり、小さい頃から育てられた
消費経済社会における生き方に則っていると言えます。
自分の生きる価値観を、経済性に依る比較で考えれば、常に新たなる消費物質は
売れ続ける事と成り、生産者にとっては、安泰の世界と言えます。

しかしながら、この経済性に生きる為の価値観を持てば、自分自身が生きて行く
基準が、常に変動する事と成り、世の中の動きに翻弄される危険が有ります。
現に、日本人は、様々な知識を持っているにもかかわらず、簡単に、社会の動きに
動かされる傾向が見られ、自由主義社会であり、個人主義が浸透して来たとは言え
現実の社会の流れに対しては、従順に反応するのです。

この事は、日本人が、幼いころから勉学に励む一方、その目的が個人としての
人間性を高める物ではなく、社会で生きて行く為の術に注がれていた事に因ります。
学校成績を上げ、より有名な高校や大学に通うのも、一人の大人としての成長と
言うよりも、より社会的に高い地位に就き、経済的に豊かに成る為であるからです。

つまり、日本社会は、その様な考えを持つリーダー達によって作られていて
将来豊かな生活をするには、個人の人格を高めると言うより、経済性豊かな人間に
成る事が第一目的であるからと言えるのです。
人間としての価値は、如何に社会的に地位を成し経済的に豊かであるかというのが
多くの日本人の心に在って、その目的を叶える事が出来れば、自分自身の個性も
我儘も生かす事が出来ると思っている人が多いのです。

人間的豊かさを育てずに、経済的豊かさを目指したことから、日本人の苦悩が
始まったと言えるのです。
なぜ、発展途上国に比べて遥かに豊かな生活をしているのに心が貧しい人が多く
更には、対人的にトラブルが多く、他人を信じられない日本人が実に多いのです。
経済的に豊かに成りさえすれば、自分ば認められるとして、人が羨む生活をしても
その外見的な豊かさは認めても、本当の自分自身が認めてもらえず、豊かな時は
幾らでも他人が集まって来たのに、ひとたび経済性を失うと、あっと言う間に、
蜘蛛の子を散らす様に、自分の周囲から他人が居なくなってしまう現実が有り、
経済的に豊かであっても、心は常に孤独な日本人がとても多いのです。

この事は、社会的と言うだけではなく、家族に於いても見られる事が増えていて
血が繋がり同じ屋根の下で生活していても、その繋がりは、経済的な部分であり
心からの信頼関係からの繋がりが見られない家庭も増えているのです。
かつて、他人を看たら泥棒と想えと言う言葉が有りましたが、家族であっても
信頼がおけないとする家庭が少なくないのです。

SNSの普及により、世界中が繋がっているように見えて、実際は、更に一層
対人的な繋がりが得られず、単なるネット上の知り合いと成っている事が多いのです。
どんなに多くの人から、いいね!をもらえても、それは、街ゆく人と挨拶をする位の
その場限りの関係である事が多く、決して自分自身の心と繋がっているのではなく
自己満足の数字に過ぎないのです。
多くの人が孤独であるがゆえに、自分の発信した文章や写真に、誰かが見たと言うだけで
心の満足としたいのです。

華やかな芸能界に身を置くタレントで有っても、心許せる友はほんの数名と言われ
毎日幾多の人達に合っていても、誰一人、本当の自分を知っている人がいないと言うのが
現実であり、この事は、多くの日本人が日常的に感じている事なのです。
共通の楽しみを確認し合う事しか出来ず、個人個人の心の底の悩みや思いを口にできる
気の許せる人が身近にいないのが現代人の特徴とも言えます。

その為、多くの人達は、メディアで紹介された流行の物を手に入れたり、タレントが
美味しいと食レポした食べ物を求め、その楽しさに同調したいとするのです。
深くは繋がれ無くとも、お互いに喜びや楽しさを感じられる有名歌手のライブに、
数万の観客が押し掛けるのも、隣の人とは赤の他人であっても、同じ喜びを共有している
と言う事で満足を得ていると言えるのです。

テレビで紹介される品々を手に入れるのも、人々が殺到するイベントに無理をしても
出かけようとするのは、何とかして、自分の行っている事が、他人の喜びを通して
正しい事だと言う安心感と喜びを得たいとしているのです。
しかし、本当の喜びは、他人とは違った個人の喜びを感じさせてもらわなければ
満足には値しないのです。
誰もが認める喜びは、一時的には楽しくても、個人個人の心に刺さるものではないのです。

もちろん、多くの人から慕われるタレントや歌手にしても同じ事が言えて、自分の事を
本当に知って喜んでもらっていると言うより、自分達のパフォーマンスを喜んでいる
と言うのが解っているからこそ、より孤独を感じている有名人は多いのです。
例え何万人もの人が自分のパフォーマンスを喜んでくれたとしても、それは、単に
経済効果に過ぎず、本当の自分を知って喜んでいるのではないのです。

ほんの数名でも、本当の自分を理解してくれる人がいなければ、生きている喜びは得られず、
常に、社会的価値によって、自分を慰める事しか出来ないのです。
しかしながら、経済的な豊かさを手に入れた人を見れば、持たざる人達は、同じ様な生活をすれば
姿をすれば、自分も幸せに成れると思ってしまうのです。
これこそ、経済社会のマジックであり、多くの人達から本当の幸せを奪ってしまう理由なのです。

経済社会に於いては、他人の価値を求めるより経済的価値を優先する人が多ければ多い程
この社会を動かしている人達の富が増すのです。
一見華やかで豊かな社会に見える現代は、人々にとって幸せな社会と思いがちですが、
実際は、一部の豊かな人達にとって幸せな社会なのです。
一生懸命働いて、自分の欲しい物を手に入れると言う事は、それを提供する富裕層を豊かにする
と言う事であり、本当に自分の心が満足するという物ではないのです。

新たなる魅力的な物が生れれば、それまで自分が信じた価値は失われ、また、新たなる物を
手に入れる努力をしなければ成りません。そう、生きている限り永遠に続く、豊かな人達への
奉仕と成っているのです。
本当に自分が必要としているものかの見極めができず、他人と比べたりメディア情報に答えを
委ねたりする事で、自分の心を本当に満たす物を見つける事が出来ず、常に比較する事で
心が休まる事は有りません。

どんなに働いて経済的に豊かと成ったとしても、自分の得たものより更に経済的価値が有る物が
見つかると、それまで心酔していた物は、一瞬にして色あせてしまいます。
自分の心の満足の基準が、自分自身の心に無い事に依り、常に不満が生じるのです。
物の価値と言うのは、人其々であり、其々の思いで違ってくるのが普通です。
どんなに社会的に価値のある品であっても、別の人にとっては何の価値もない物は幾らでも有り
その人の心から生まれる価値観によって計られるのです。

そして、その心は、人の成長と共に育てていかなければならないのです。
その為に、学問が必要であったり、社会性が必要であったりするのです。
自分が最も信ずる自分自身の大切な心を育てる為に、其々の生き方考え方が生れるのです。
同じものを手にしても、心の成長と共にその価値観は変わって行きます。

昔から物を大切にすると言うのは、自分の心の成長に関わって来るから大切にするのです。
何の他愛の無い物でも時が経つにつれて特別の存在になる事も有り、他人だけでなく
関わる全ての物に対して、心を通してやり取りをする事が大切です。
価値が有る無しを他人に決めれれ、思うが儘に消費経済に身を投じる事は、本当に自分が
求める物を見失ったり、自分の心を育てる大切な時間を無くしてしまったりするのです。
人に対しても自然に対しても、自分自身の心からやり取りが出来れば、本当の素晴らしさを
感じたり得たりする事が出来るのです。

その感動を得る為には、自らが深く関わり、様々な見方を育てていく事が重要です。
答えは、一つではなく無限にあり、物の価値も時と場合によって大きく変わって行きます。
自分の心を育てるのに最も的確なものを手に入れる事が大切です。
メディアによる情報も便利ですが、その答えは、自分の答えとしてしまうと、経済社会の
呪縛にはまり、単に、豊かな人々の思惑踊りと成ってしまうだけなのです。
人生を楽しく豊かにする為には、自分の関わる人や環境に対して、本当の自分自身が感じた
価値観や考えで対峙して行く事が大切で有り、現代人に多く求められる課題でも有るのです。

 



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