民主主義国家とは、いったい何なんだろうか!?
個人の意見が守られ、多数意見を総意とみなし、少数意見は守られる、
誰もが人間としての個人の尊厳を持つことが出来る、自由な国家?
そんな謳い文句の様な国はもう存在しないのかも知れない。
個人の情報は筒抜け、何か自己主張するにも、ネット上に現れる
目に見えない人たちの考えに従わなければ、有無を言わさず、
強烈にバッシングを受け、社会から抹殺される。
誰もが、監視され、洗脳され、自分の意思の様に思われる誰かの
総意?であるネット情報に従わされて、情報を発信する人たちの
手駒の様に操られる、そんな世界を想像しただろうか。
便利と言う麻薬に酔いしれ、生活を豊かにすると言う甘言に騙され
生活の全てをいつの間にか社会の常識に委ねる事が、いかに危険で
恐ろしい事か、多くの方々は気が付いているのだろうか。
ネットや情報番組など、メディアの総意をそのまま受け入れ、それらの
誰もが共通の考えにそのまま何も考えず乗ってしまう、更には、
そんな自分に満足を求めている事に違和感を感じないのだろうか。
衣食住に対する価値観は、すでに、情報の確認をすることにより
あたかも自分の考えで成し得たような錯覚をしてしまう事が、いかに
自分たちの未来を危うくするかを考えて欲しいものです。
映画が上映される前に、沢山の情報をメディアから与えられた人達は
画面に映し出される様々な情報の中に、自分が前もって得られた
見どころを確認する為に注意を払います。
誰かが、映画のこの場面が素晴らしいと評価すると、その場面を探し
確認した事だけで、映画を鑑賞したと思い込んでしまいます。
食事に行く時も、情報番組の食レポや評論家の意見をそのまま
鵜呑みにしたまま、その味を頭に於いて確認をします。
しかしながら、すでに、頭の中に、料理の味が決まっている事から
例え、本当は別の味でも、頭の中の味を感じてしまいます。
様々な生活の場面で、今や、人々の知識は、自分で体験したり
考え出したものではなく、情報から得た知識や感覚がそのまま
自分の考えになり、常に、確認作業であったり、情報収集が、自分の
考えや方針の全てであったりもします。
ネットの発達により、情報が瞬時に多くの人に伝わり、その内容は
発信者の考えと言うだけでなく、そのまま自分の考えに置き換える
人々にとっては、価値観が同等と成ってしまいす。
その為、情報の発信如何によって、世の中があっという間に変わったり
人々の考えが、一色に変えられたりしてしまいます。
これは、本当に恐ろしい社会と言えます。
かつて、ナチスドイツでヒットラーという独裁者が行なった恐怖の洗脳は
まさにネット情報の様に人々の心に浸透し、その結果、どれだけ多くの
人々が惨殺され傷つけられたか、時代は違っても、この恐ろしい状況は
今や、ネットと言う更に巨大な情報のマフラーで、次第に人々の首を占め
社会を、一部の人々の独裁へと導いているとも言えるのです。
今や、家族の絆が弱くなり、友との関わり合いも軽薄と成り、
多くの人々が、周囲の人と直接自分の考えを交える事が難しい時代です。
そんな中、ネットは、宗教の様に、人々の心に深く浸透し、その情報は
バラバラの人々の心を、一手に集めてしまう巨大な力と成っています。
楽しく自由で、誰もが平和に暮らしていると思われる日本の社会で
刻々と目に見えない呪縛が人々の心を支配しているとしたら、
情報に操られ、御互いに監視し合い、バッシングしあっている今の日本は、
東京オリンピックに向けて、海外の方々を、お・も・て・な・し、を考えている程
悠長な事態ではない事を知っていなければなりません。
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