羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

トイレと金木犀

2006年09月21日 20時06分19秒 | Weblog
 今日から後期の授業が始まった。
 2コマを終えて、4時30分すぎに、トレーニングルームのある建物を後にした。
 前の道をまっすぐ道路まで出ずに、右に曲がる。“すずかけの小径”を通り抜けようとしたとき、忘れ物をしたのではないかと思い、右手にある古い木造の洋館建ての前庭に立ち止まった。そこにちょうどいい形の四角い石を見つけたからだった。
 その上にリュックを乗せ、ファスナーを開けた。
「入っている」
 胸をなでおろす。
 
「行きはよいよい・帰りは怖い」
 家を出るときには、ちゃんと収まっていたのに、帰るときには荷物はリュックからはみ出しそうになるくらいだ。びっしり詰め込まれている。同じ分量のもののはずなのに、ぎゅっと力を入れて押さえつけていないと、ファスナーは閉まってくれない。
 注意深く・丁寧に、閉める作業を始めたそのとき、いい匂いが鼻の先に漂い、次の瞬間には鼻腔の奥に達した。しばらく手を止めて、匂いを味わった。

 目を上げるとかなり成長した一本の庭木が視覚に飛び込んできた。
 赤黄色い花が、咲いている。
「金木犀だ!」
 この匂いをある子供が「トイレの匂い」だといった。おそらく芳香剤に金木犀に近い匂いを使ったのだろう。なんとなく寂しい。人工的な香料の匂いが、はじめに記憶の穴に入ってしまうとは。できれば自然の匂いを楽しんでほしいのよね。
 
 確かに金木犀の匂いは強い。それ故、好き嫌いが激しいらしい。しかし、これほど秋を感じさせてくれる樹木はないとおもっている。かなり離れたところからも、風に乗って匂いが運ばれる。永井荷風『断腸亭日乗』にも、秋の匂いとして金木犀について記述がある。

 匂いの記憶をお土産に、いい気分で校内を後にした。
 長い地下道を抜けて、一気に階段を昇った。
 ちょうどそのときホームに滑り込んできた山手線の電車に乗り込んだ。
 ささっと見回すと、3人がけの席の真ん中が空いていた。
 左隣には、ベビーカーに男の赤ちゃんを乗せたお母さんが腰掛けていた。 
 右隣には、中高年のサラリーマン風の男性。彼は一心不乱に本を読んでいる。
 
 何が彼を夢中にさせるのかと、好奇心から覗き込むと
「トイレ掃除をしていた芸能人」
 小見出しがあり、芸能人の名前が10名ちかく載っている。
 その本は、トイレ掃除にまつわる話らしい。
 人が嫌がる仕事を、黙々とこなすことができることが成功の秘訣らしい。
 なにより「トイレ掃除」は、運がつくらしいですよ!

 そこでも金木犀の匂いのことを思い出した。
 この匂いがトイレの匂いというのでは、やっぱり問題。
 トイレの芳香剤は、いったいどんな匂いがいいのかな~と、新宿駅までの間、電車に揺られながら、知っている匂いを鼻の記憶の中から取り出して、あれこれこれ選んでしまった。
 
 我が家では、昔からトイレに芳香剤は使っていない。窓を開けて風を呼び込むことができるからだ。こうして換気ができるトイレはありがたい。換気は「換気扇」もいいが、小さい窓でも自然の風が通るのがいい。しかし、最近の建物では、それが難しいことが多い。
 それに昔はトイレの窓から外を見ると、「やつで」と「南天」が周辺に植えられて、目隠しになっていた。それらの木々の葉の間を抜けて入る風は、気持ちよかった。
 それもこれも懐かしい風景と記憶になってしまった。

 トイレの掃除は、やるべし! 
 隣の男性は、その本をずっと読み続けていた。
 果たして彼は、自宅のトイレ掃除をするのかなぁ~?
「おっと、新宿だ」
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