羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

イブのレッスン

2016年12月24日 10時16分34秒 | Weblog
 本日は、朝日カルチャーセンター年内最後のレッスンになります。
 クリスマス・イブというのもはじめてかもしれない。
 例年のこと最後は「ジングルベル」のフォークダンスでしめくくることが多かったが、クリスマスを過ぎて最後のレッスンの日もあった。
 三十年はたっているだろうか。
 ある日のこと、野口三千三先生が北欧風の色合いと柄の紐と金色の鈴を持って来てくださった。
 紐は、幅2センチ・長さ1メートル75センチ。鈴は直径1センチ5ミリで、数は40個。
「ジングルベルはオノマトペなのよ。しゃんしゃんしゃん、とかリンリンリンでね、ジングルっていうのは帯状のものに鈴を沢山つけた時になる擬音語だよ」

 一個のすずではあまりいい音には聞こえないが、40個の鈴が次々伝えられて時間差と音程の差で柔らかな・いい雰囲気を醸し出してくれる、と言葉を添えて紐と鈴を置いていかれた。
 さっそく教わった通り針と糸で鈴を縫い付けてみた。
「わ〜、やさしいいい音がするわー」
 この鈴を鳴らしてジングルベルのフォークダンスをするというわけだ。

 先日、今年度で終わる大学の2クラスと今年度から始まった1クラスで、しめのフォークダンスを楽しんだ。
 男女が組になって、クラスによっては男子同士だったり、女子同士だったり、男女の比率がまちまち。
 はじめのうちこそ照れながら踊っているけれど、エンドレスで踊り続けるうちに、楽しさが若さの身内に広がってくるのがにじみ出てくる。
 だんだん上手くなって、息を弾ませ、輝く笑顔(笑)で、拍手でおわる。

「日本の盆踊りと違って男女が向かい合って組む。だから戦後の体育教育のなかでフォークダンスを導入した方がいいと僕は思ったんです。男女が組めるなんて、戦前・戦中から思えば、夢のまた夢なんです。もっと言うと、最初から最後まで同じ人を踊らなければならないと苦痛だけれど、フォークダンスのいいところはどんどん人が代わっていくことなんです。ちょっとこの人とはあわないな〜、とおもっても少し我慢をすれば大好きな○○ちゃんがもうじきやってくるって、いう楽しみがあるんです」
 野口先生らしい!
 ちなみに師範学校の時代に陸上部と体操部の他に、合唱部にも所属しておられた、と伺ったことがある。
 一年に一度、女子師範の女子学生といっしょになって、混声合唱曲を歌う機会があるから、というのが入部の理由だったとか。近い将来に妻となる女性と一緒に歌ったとおっしゃる。で、その女性は声が美しく、ソロを歌うこともあった、と記憶を引き寄せて話してくださった。出来すぎた話のようだけれど、まんざらでもなさそう。真偽のほどは確かめられませんわ。

 さて、1945年敗戦と同時にやって来た、連合国軍 GHQ (CIE) の指導のもと、全面改編された学校体育指導要綱の話を学生にきいてもらって、その上で踊ってもらう意味は、今だからこそ大切なんじゃないか、と思う。
 
 今朝は、今年の授業で使っているうちに、細めの帯からはずれてしまった鈴一個を縫い付けて、一応、朝日カルチャーに持っていこうと思っている。
 踊るか、踊らないかは、皆さんの様子を見ながら、といったところだろうか。
 
 今年も暮れていきますのう。
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