羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

足元を確かめつつ

2005年09月28日 10時38分58秒 | Weblog
 野口先生が、野口体操を生み出すきっかけが「敗戦」ということを話すと、学生はキョトンとした表情をみせることが多い。
 おそらく先の大戦・太平洋戦争は、私がイメージする日清日露戦争くらい、過去の歴史のことのように感じているからに違いない。
 1980年代に生をうけたわけだから仕方がないといえば言える。
 
 私も、すでに56歳。
「人生の後半生を歩き始めたなぁ」と感慨に浸るのは、学生に向って「戦争」と言葉を発したときである。
 
 時代の隔たりがあっても、若い人たちに、野口体操を伝える場を戴いたのは嬉しいことだし、貴重な時間なのだと授業が始まるとつくづくと思う。
 先生が亡くなった当初、野口体操が残っていけるのか、見当がつかなかった。
 しかし、こうしてさまざまな場を戴き、人に出会い、いい関係が築けることに、時々、ふり返ることがある。
「これでいいのか…」と。
 野口先生は、慎重にことを運ばれる方だった。
「一歩手前・すこし足らないくらいがいいのよ」と、ご自身の足元を、常に確かめておられた。

 そうした姿勢が自然に保たれるのは、
「やはり戦争体験ではないのか」と、戦後生まれの私は
「想像することをわすれないよう」に、と思いつつ、後期を乗り切りたいと祈ってブログを書いている。
 
 昨日、山手線のなかから見た、彼岸花の姿と赤さが、写真で切り取ったように目に焼きついている。
 忙しくて、とうとうお墓参りに行かれなかった。
 すでに、秋の彼岸は終わってしまった。
 
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2 コメント

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Unknown (戦争を知らない中年)
2005-09-28 23:03:06
 当然。「敗戦」です。

 どうして日本人は都合の悪い事は曖昧な表現や真実と違う表現をするんでしょうか?

 私は「敗戦記念日」でなければ、真の反省は生まれないと思っています。

 人が人を殺してはいけない事を守れば、戦争なんて無くなると思います。

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Unknown (少し若者)
2005-09-28 10:52:51
「敗戦」ですか。ふつう終戦…終戦記念日とかって言いますよね。敗戦と終戦ではイメージちがいますね。
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