羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

本気度

2016年01月12日 07時38分07秒 | Weblog
 今朝は、昨日とは打って変わって冷たい雨。雨だけでなく、シャリシャリと音を立てる小さな氷の粒が混じっていた。
 野口先生が晴れの天気を呼び寄せて、どんどん焼きを見せてくれたのに違いない。
 青い空にくっきりと浮かぶ山の稜線。
 上毛三山の赤城、妙技、榛名に加えて、大宮から乗車した「新潟行Max305」二階建て列車の中からは富士山、群馬に近づくにつれて行く手左前方には同様に白く雪を冠した浅間山かと思われる姿が見えていた。
 火山は裾野が広い。山麓がどこまでの広がり、美しい姿である。
 前回には見られなかったが、利根川も深い青をたたえている水が流れているところを上毛大橋の上から眺めることができた。

 この辺りは日本の多くの地方都市、市町村のご多分にもれず、一人一台の車社会である。車を持たなければ不便で仕方がない。上越線・吾妻線が停車する群馬総社駅の時刻表を見ると、東京在住で殆ど旅に出ない私にとっては唖然としてしまう。昼の11時台は1本しかなく、ほかはせいぜい2本なのである。
 ところが高崎駅では、上下線とも新幹線の接続はよくできているダイヤだ。
 路線バスに至っては2時間に1本という状況。
 たとえば、先生のご実家、大泉寺、大久保宿養蚕農家群、そこを繋いでいる伊香保までの旧街道を始発から終点まで、一度は乗ってみたいと思っているのだが……。これはちょっと無理かも。

 さて、さて、これからまだ最低で3回は、群馬を訪ねたい。
 いつになるのかは分らないが、近藤さんにご一緒していただき、町役場、先生が通ったり教えたりした小学校、上毛新聞社等々を回るのが一回。
 地芝居を見たり調べたり、最終的には佐治さんにも群馬縁の主だった所の写真を撮っていただきたいし。
 春夏秋冬、四季の空気・風・水、幸いというか何というか、空っ風にはあっていないのでどんなもんだろう、と思ったりしている。

 ここからは我が家の事情。
 昨日は連休最後の日ということもあって、混雑を予想してはやめに帰路について正解だった。
 勿体ないといえば言えるのだが、はやり一人残して行く母のことを思うと仕方がない。
 前日から母と過ごす時間を増やして、話をし、当日はお昼のお弁当をつくっておく。
 夕方はやめには帰宅し、夕飯はしっかりあたたかいものを食べてもらう。
 これだけははずさない事にしている。
 出かけるときも、相当な覚悟をして「さぁ~、出かけるぞ!」と心のうちに秘めて、準備をする。
 その本気度を察してくれているらしく、気持ちよく朝も早くから朝食を食べてくれる母だった。
 はやめに帰るということがお年寄りにはよいようだ。寂しくなるのは夕方から夜なのだから。

 そうした母への気遣いから、時間短縮の為に新幹線を使っている。たった二回のことなのに、乗り換えもスムーズにいくようになって、乗り換え時間内で買い物やトイレタイムもしっかり計算できるようになっている。万々歳であることも書いておきたい。
 そして在来線から下車したら、自分の足で歩いて土地勘を磨く。歩けるうちが花というものだ。
 時間をかけて、回数をかけて、通うしかない。といいながら、旅をするのは楽しい。知らない町を歩くのは楽しい。
 名所旧跡でなくても、ごく日常の暮らしの場、失われた過去の残像を求めて、歩くのはオツなものだ。
 吉岡町を例に採るならば、明治期に日本からの輸出額の半分を生糸が担い、そのうちの三分の一が群馬県産だった。養蚕農家としてはかつての吉岡村(駒寄・明治)はその中心でもあった。その産業はいまでは殆ど失われてしまった。
 現代日本の中心産業は生糸から自動車にとって変わられた。一方でアメリカではデトロイトが無惨なことになったことも記憶にあたらしい。トヨタに追い上げられたGMの姿は、映画『グラントリノ』でしっかり描かれていたし。
 世界を見渡せば、一つの産業の隆盛は、百年というところだろうか。時代の変化の中で、産業構造が大きく変化し、人々の暮らしぶりは時代とともにあることが、群馬の養蚕農家群をたずねてみると具体的な姿・形として目の当たりできるところがすごいと思う。
 昨日も、大きな家の敷地の一部に、桑の木を残している家を見つけた。正確には数えなかったが、その本数たるや20本くらいだろうか。
 かつて見渡す限りの桑園が赤城山や榛名山の山麓に広がっていた風景を想いながら、その残された桑の木に、やるせない気持ちが沸々と湧き、思いを寄せてみたくなった。
 
 そして高崎駅で求めた駅弁は、デコイチをデザインしたものだった。
『D51 498 上州D51』デコイチの顔が描かれた黒く丸いお弁当箱に、箸まで黒でD51 498 と印が入っている。
 観光用に春から秋に運転されているデコイチである。好きな人にはたまらない駅弁らしい。
 こうしたノスタルジーを味わうのも、旅の味わいなのだ、とどこかの観光案内にしっかり書かれているのと同様な思いをさせてもらったが、実は複雑なのである。
 さっ、今度は5月。
 野口三千三を巡る旅は、東京は初台である。
 昨日のうちに、ダンス公演「江口・宮アーカイブ『プロメテの火』」の切符を、セブンイレブンにとりに行った。

 
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