羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

デジタルイミグラント!?

2014年01月30日 09時01分31秒 | Weblog
 インターネットをはじめたのは1995年か96年ごろだろうか。当時はISDN回線でインターネットを使っていた。このISDNは、すぐにADSLに取って代わられた。我が家も変更したのは2001年頃だったと記憶している。そして9年前、自宅改築を機に光回線を導入した。
 まさに、私は、デジタルイミグラントなのかな、と思うようになって久しい。
 デジタルイミグラント(digital immigrant)、つまり“immigrant”の意味そのままに、「移民」なのである。この言葉は、アメリカのリサーチ会社ガートナー最高顧問の Peter Sondergaard が名付け親である“デジタルネイティブ”に対する言われ方だそうだ。
 まず、デジタルネイティブには、第一世代と第二世代がある。
 第一世代は、「現実の出会いとネットでの出会いを区別しない」「相手の年齢・所属・肩書きにこだわらない」「情報は無料と考えている」「インターネットオークションにも積極的」といった傾向を持つ世代を指す。
 第二世代は、「ブログ」「SNS」「動画サイト」「ソーシャルメディア」「クラウドコンピューティング」を使いこなして青年期を過ごしている世代を指す。
 私が接している大学生は、デジタルネイティブ第一、第二世代である。

 そこで、私のように40代半ば過ぎて、他国文化から移住し、石橋を叩きながらSNSに対応し、クラウドの便利さも利用しつつ、長年暮らしたIT普及以前の“前祖国文化”とも行ったり来たりする暮らしをしている人間を、どうやらデジタルイミグラントという人種に入れるようだ。
 もとは野口体操の資料整理と社会化をするためには何をしたらよいのか、と考えてたどり着いたデジタル文化環境である。
 完全移住とまではいかないが、青息吐息状態で移住者として生活をしている実感はある。

 さて、今週はWebで成績を入稿した。Web入稿システムにかわってから、今年で3年目くらいだろうか。おかげさまでずいぶんと手慣れて、迷うことなく入稿に成功している。
 そこで勢いついでに気を良くして、週刊『地球46億年の旅-150のストーリーで読む』「太陽と地球の起源」創刊号 朝日新聞出版をテレビコマーシャルで見つけて、さっそく書店に走った。
 スマホ対応ということで、「動く地球史再現CG」専用アプリを無料ダウンロードする。そして《かざしてみよう》という絵にスマホをかざすと、絵が動き出すしくみになっている。
 ところがこのアプリを使えるのは、iPhoneではiOS5以上の環境が必要であることが判明。私の古いiPhone4
iOS4では、バージョンアップしないとダウンロード出来ないことが判明した。
「いっそ、iPhone5に機種変更しようかな~」
 思い切って近所のSOFT BANKの店をたずねた。ところがである。順番がまわってくるまでに1時間以上も待たされるのだ。
「ダメッ!」
 すぐさま諦めて自宅に戻り、今のスマホをiOS7にバージョンアップすることにした。
 これが地獄。
 4から一気に7まであげてしまったから、オー大変!
 iOS7の世代は、文化が違った。
 その上、上手くバックアップを戻すことができないハメに陥った。
「エッ、スマホが使えなくなっちゃうー」
 焦りましたね。
 そこで、再び電話。片手に受話器をもって、Appleコールセンターの指示を受けながら、iTunesにバックアップをとってあった中身を、そっくりiPhoneに戻す作業に着手。3人目の指導者はスペシャル技術者のようだった。そこでようやく完了。
 詳しい話は抜くとして、おかげさまで目的地に到着できた。はやる気持ちを抑えて、『動く地球史再現CG 太陽誕生の場面』にスマホをかざしてみた。
 いや いや いや、動くのであります。
“出版社も必死だね” なんて憎まれ口を叩きながら、“結構、短いんだ” なんて思いながら、繰り返しみてしまった。
 小・中学生向けの雑誌だろうか。中高年が見て読んでも面白い。なんといっても最近のいちばん新しい研究を載せている。本とスマホの動画をドッキングさせた新しい方向には、新鮮さがある。しかし、来月になってくるSOFT BANKの請求金額は、相当に跳ね上がっているのではないか、と想像すると正直ヒヤヒヤものだが、何でも体験してみることに意味がある。
 これがデジタルネイティブ第三世代の誕生なのだろうか。

 ただ、昨年だったが、「タブレット端末による長時間子守りは危ない」と小児科医が警鐘を鳴らしているニュースが流れた。
 また、幼児期にタブレット端末で文字を習うと、紙と鉛筆では書けなくなるお孫さんの話も伺った。
 きっとお絵描きだって、同様かもしれない。

 四半世紀になるデジタル機器とのつきあい方を考えたいために、手元に置いてみた週刊『地球46億年の旅』だ。歴史は繰り返す。野口先生の時代は本だったが、こんなことをおっしゃていた。
「全てはできなくても、出来るだけ実際にものに触れて、体験し実感し、その上で図鑑を見よう」

 先生が隕石、鉱物、化石を集められたのも、そうした切実な思いからだった。更に、贅沢なことに「標本は一つではいけない」ともおおせになった。なかなか許されないことだが、留意しているのと、いないのとでは、学びの質に相当な違いが生まれる。
 教育現場にタブレット端末が導入されはじめ、普及のスピードはますます加速していく。
 旧文化に生まれ育ったデジタルイミグラントとしては、使い方や関わり方の行く末を案ずる老婆心は抑えられそうもない。
 いつの時代も、物事は裏表、功罪相半ばするのが現実社会なのかなぁ~、と思っています。
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