羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

間をあけ間をまつ

2006年01月11日 06時21分38秒 | Weblog
 文字列を反転して、Back space を押す。
 すると、一瞬にして、文字は消える。
 これで失敗したことが何回かある。
 反転するところが不注意からずれてしまって、消したくないとこにかかったことに気付かないまま、消してしまった。
 消しゴムで消すのなら、そんな間違いは起こりえない。
 泣いてみても始まらない。また、一から打ち直すのだが、同じ文章は再現できないことが多い。

 そこで最近は、或る場所にクリックしながら、長い距離にわたってマウスを右や左に・上に下にずらす場合には、手を放す直前に息を止め、クリックしている指を離す前に短い間をあけてから、指を離すようにしている。そして息が入ってきたのを、味わってから、キーを押すことにしている。
 
 それからというもの、間違って複数行を消すことがなくなった。
 手間をかけているのだが、記憶を辿ってあとから書き直す手間を考えたら、この方法は実にいいと思っている。
 つまり「間をあけ、間をまつ」のだ。
 (思い出すことがある。昨年のみずほの株取引の発注ミス)
 日常化した自分の行動は、あまりにも無意識で行ってしまうことが多い。そこで一呼吸おくことで「間をあけ、間をまつ」ことで、自分の意識をそとに取り出す時間になってくれる。
「時間」というより「瞬間」と言ったほうが適切なのだが。

 このとき、息を吸って止める「保息」と息を吐いて止める「止息」が、「間」ということだ。
 キーボードを打つ手を一瞬間休める。すると自分から紡がれる言葉を見直すことになる。自分の行動を外から眺めることができる。
 
 村上陽一郎という科学史家がおられる。彼は、話をされるときに鼻から息を吸い込んで「保息」を短い時間とられることがしばしばある。つまり、言葉を止める瞬間をつくっておられる。対談のときは、相手の眼をそっと見ておられる。
 そこで次の言葉を選びながら、話を展開されていく。非常に短い時間のことだが、このタイミングをはかる感性が絶妙な話し方をされる。
 私もこころみようとするのだが、そうした「間」をつくるのがこわいのか、いまだに上手く言ったためしはない。

 最近になってようやく、パソコンで文章を打ち込んでいるとき、やっていることに気付く。やっているというより、何気なくそうしてしまう。
 かりに客観があるとすれば、この「間をあけ間をまつ」時間こそが、主観から客観へ通う狭い通路ではないかとこのごろ思うことがある。
 簡単には「客観」とか「主観」とかいえないのだけれど。キーボードに向かっている自分の意識の動きを言葉にしてみると、こんな感じなのだが、上手くいえないもどかしさがある。

 というようなわけで、パソコンとのキーボードとのかかわりには、こうした技術的なことも含めて、面白い発見がいまだにある。

「間」とは、ときに時間のことであり、ときに空間のことでもあり、双方の境界をいったりきたりするリズム感そのもの。
 日本文化は「間の芸術」といわれるが、間がよかったり、間が悪かったり、「間の感性」はなんの世界にも通じる高度に洗練された「呼吸」だと思う。
人生の達人は、「間合い」をとる感覚に秀でている。
そういえば野口先生は、緩急自在に「間」を楽しんでおられた。
こんな言葉があるかないかは知らないが、先生は「間取り名人」だった。
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1 コメント

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意識と無意識 (MAR)
2006-01-14 23:25:51
>一呼吸おくことで・・・意識を外に取り出す・・

という部分に 思い出すことがあったので書いてみます。



不思議研究所のHPで ベンジャミン・リベット著『マインドタイム』の内容を紹介していました。



リベット氏は 脳の現象の時間差を測ったそうです。



車を運転していて 子どもが飛び出した時、ドライバーは0.15秒でブレーキを踏めます。

でも 意識が子どもに「気付く」のは子どもが飛び出してから0.5秒後だそうです。



あらゆる行動は無意識に始まり、それが0.5秒してから意識に登るということです。



また、人が何かを喋る時、自分では「あらかじめ意識で構成して」喋っていると思っていますが、それは「あらかじめ無意識の領域が勝手に構成して」その0.5秒に意識に登っているのだそうです。



人は 喋ってみないと自分が何を言いたいのかわからないし、書いてみないと自分が何を書きたいのかわからない生き物らしいです。



だから人は それぞれが得意な方法で おしゃべりしたり、書いたり、演奏したり・・・して 自分を表現しようとするのだと思いました。自分が何を表現したいのか知るために。。
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