数値化できないもの?
本日の日経新聞記事より
見出し:リモート不安、ITで打開 心の健康数値化
むすび:不安を感じたらIT(情報技術)でツールでストレスを測り会社に伝えたり、自らコミュニケーションを求めたりすることが有効になる。
全てが数値化されていく未来の社会が、人間にとって幸せなのか?
数値化されないものやことは、存在する価値がないのか?
そもそも自然現象は、すべて数値化されうるものなのか?
IT 情報技術、AIの機能が、万能の神になるのか?
テレワークなど考えも及ばない20年前に、唾液でストレス度を測り高い値がでたら、美しいものを観たり聴いたり、森林浴やマインドフルネスや野口体操やウォーキングをすすめるある企業のプロジェクトに関わったことがあった。
早すぎたのかもししれない。女性の心身の健康に焦点を当てたプロジェクトは、粘って粘って粘り抜いて6年間つづけてたが、結局うまくいかなかった。
その時ある人が言った。
「プロジェクトを成功させるには、つぎ込む資金が少なすぎる」と。
何とも違和感を感じた。
億単位のお金がかかっているのに、それでも足りないという感覚。
お金をかければいいてもんじゃないだろうっ、て!
そして、コロナ禍の今の状況の中で、この記事を読んで思った。
これからは、ますます数値化が世の中を席巻していく。
それでいいのか。
「あなたの『抑うつ尺度は』44です」40過ぎたら要注意!会社に報告。こうした結果が表示されるツールを利用する会社があるという。
一人一人に備わった、好き嫌いや快・不快の感覚、感情の波・渦・螺旋が巻き起こす心情的カオス、人生の微妙な機微、若気の至り、各世代の人の身勝手さ、どうにもならない不安感、止めどなく溢れる情熱、恋は盲目、夫婦の行き違い、末尾に「◯◯値」や「度」や「%」の記号がつく“数値化の対象”になっていく世の中がすぐそこまできているとしたらなんだか味気ないどころの話ではない。
芸術はいらない?
お金にならないパフォーマンスは、消えて無くなる?
ますます格差が広がり、断絶の溝が深まる社会になりはしないか。
例えば、大学のカリキュラムも、数値化できない課目、オンライン授業にそぐわない課目は廃止しとし、わかりやすく数値化可能な課目でそれに適した教員で構成し、企業の下請け・職業訓練大学校になっていくのか。
そこにハマれない人間は、落伍者というレッテルがはられるとしたら、それこそ悪夢だ。
価値観の変化に乗れない人間に対する優生思想が蔓延ってくるに違いない。
そんな未来を語る本を読んだことを思い出した。(『ホモ・デウス』だったかな。)
昭和の人間としては、何とも寂しいより、危機を感じる。
これって老婆心!
これって時代遅れの戯言!
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