羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

劇団四季メソッド

2013年07月24日 08時45分57秒 | Weblog
『劇団四季メソッド「美しい日本語の話し方」』浅利慶太著 文藝春秋社刊 を読んだ。
 114ペページに、平幹二朗と市原悦子が演じたラシーヌ『アンドロマック』の舞台写真が掲載されていた。
 上演は、完成して間もない日生劇場が会場だった。素晴らしく綺麗で、まだ色も匂いもついていない真新しい空間で演じられたシーンが、次々と、ありありと思い出された。

 後に「家政婦は見た」で、茶の間でのイメージが定着した市原さんだ。当時とて、王女役には風貌に違和感があったのだが、それを数分のうちにかき消した彼女の演技力に“凄さ”を感じた、ことも思い出した。
 この本を読んで判った。それを可能にしたのは、彼女の「言葉の力」だった。この本によれば「フレージング法」ということになる。これは音楽の演奏法の学びと同じことを行っていたことを知った。

 さて、いちばん興味を持てたのは、第五章「劇団四季の歴史ー言葉に対する探求の積み重ね」の章だった。
 そこで感じたことは、劇団がたどり着いたところは、「現代版グローバル歌舞伎」ではないのか、という思いだ。
 もし、これから100年とは言わないが50年継続できたら、エンターテーメント劇団として海外に売り出せる可能性を秘めている。(すでに韓国では韓国語、中国では中国語で行われているらしいが)こうした「クールジャパン」があってもいいじゃないかって、勝手なことを想像している。
 
 しかし、“(演劇で)食べられる”とはこうした道だけなのだろうか? と問いかけたくなる。
 演劇とは何か、という問いなのかもしれない。(私の範疇は超えています)
 とはいえ、グローバリゼーションとローカリゼーションの融合というテーマが、劇団四季がここまでやってきた証明があった上で、この問題が俎上にのったと言えるのかもしれない。

 はてさて、結局、最初にこの本を書店で手に取った思いはどこかへいってしまった。
 8月8日の鴻上対談が頭にあったのだけれど……。今までこうした方向に関心が向かなかったが、ちょっと世界が広がってきたかな。
 
 ところで、御歳80歳になられた浅利さんまでこうした本を出版されるということは、グローバル化の時代に、日本人のプレゼンテーション能力が、仕事人にも一般人にも、より求められるようになった証拠だろう。
 思えば、(たしかに)、演劇を専攻する学生たちが潜在させている表現力は、他学部の学生にはなかなか見られないものがある、と常々感じている。
 いちばんは「表現」ということがビジネス界にとって、無視できないことになってきて、「売れる本をつくろう」という出版社の生き残り作戦もあって、この手の本が書店の目立つところに並べられるようになって久しいことを痛感した。
「身体表現」「文字表現」「PC表現」「映像表現」「動画表現」……、基本として問われるのは、「言葉の編集力」ではないだろうか。それは読書と五感+第六感を磨く身体に寄り添うことによって身につくことに違いない。
 
 たぶん、この本は、手に取った読者にとって、単に「表現法」を知るだけでなく、新しい企業を起こす心得のようなことも読み取れるようなつくりになっているところが、「劇団四季メソッド」なのだと思った。
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