羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

グローバル化と新型インフルエンザ

2009年04月30日 08時58分02秒 | Weblog
 地学が描き出す世界には、国家を中心として引かれる国境線はない。
 しかし、かつて地球上に存在したゴンドワナ大陸の残像を、化石や鉱物や砂といった自然のモノによって見つけることは出来る。
 そのときの国境線、いや、同質生物線・同質大陸線なるもので線を引くとすれば、現在ある国境線とは異なる線引きになる。

 例えば、民族とは別に、同じ宗教、文化、言語によって線を引こうとすることは難しい。あっちこっちに点在しているからだ。
 国境線の上に何枚もの文化・宗教・言語等々の共通線を、複雑に入り乱れた形で幾重にも重ねていくことになるだろう。

 さて、昨年秋に起こった金融危機は、アメリカンスタンダードが世界を席巻したグローバル化によってあっという間に世界を飲み込んだ。
 この場合無理やり経済国境線を引くどこの話ではない。
 全世界がアメリカ発の危機に見舞われてしまったのだから。

 今回も、追い討ちをかけるように蔓延しそうな新型インフルエンザをグローバル化した世界に拡大していくのをなんとか食い止めようとしている。
 
 そこで思う。
 かつて人の移動に時間がかかった時代があった。
 シルクロード、ぺーパーロード、ラピスロード、仏教ロード、……、陸上・海上で人々が交易することでさまざまなロードが存在した。
 植民地化によっても人もモノも病原菌も世界を巡った。
 しかし、今に比べればスピードは遅かった。
 
 たとえばスペインから運ばれた梅毒はインディオたちを容赦なく襲った。
 たとえばアメリカの兵隊がスペインに持ち込んだウィルスは‘スペイン風邪’と名付けられたが多くの人の命を奪った。
 この風邪の名称は、アメリカの面子にかかわるとして‘スペイン’にぬれぎぬを着せた命名だった、と日経新聞‘春秋’で読んだ。
 それほどに不名誉なことであるなら、スペインだのホンコンだのと国の名前を付けるのは止めたらどうだろう。
 21世紀の時代であっても、文化の違い、医療体制の違い、封じ込め作戦の迅速さや方法の違い等々、あって当然のことなのだから。

 ところで厳しい検疫を始めた成田空港でのインタビューニュースをみた。
 二日ほど前のニュースだったと思う。
 日本に旅行できていて帰国するメキシコ人家族の少女に、成田空港で記者がインタビューしていたものだ。
「今は、まだ、メキシコに帰りたくないの」
 少女は、そう素直に答えていた。
 そして、昨日のニュースだが、夫をメキシコに残してきた日本人の妻の表情も、帰りたくないと答えた少女の表情とそっくりだった。

 果たして、ウィルスの猛威はどこまでが自然の範疇に入り、どこからが人為的に増幅されていく猛威なのだろう。
 以前、朝日カルチャーセンター土曜日の野口体操クラスに参加されていた40代前半の男性が漏らした言葉が思い出される。
 彼は、会社で中間管理職として、グローバル化の波に最前線で戦わざるを得ない立場におかれていた。
「個人的には、もう、大変で、鎖国して欲しいんです。……実際には出来ませんがね……」
 彼の悲鳴を聞いてから、一年後には、金融危機が起こり、実体経済まで危機に瀕した現在の状況に陥ってしまった。
 今となっては、この言葉は、危機を予測したご神託のように思える。

 すでにフラット化する世界は、今までにないスピードで変革をもたらした。
 そのスピードについていけないのが、‘自然のからだ’で生きる人類ではないのかなぁ、と、オバサン的発想で危惧している。

 この上なく便利なところにある我が家には、二週間分の食料の備蓄も、50枚ものマスクも置いてないわね。
 さぁ、今日は、これから授業だ。
 手洗いの仕方くらいは、学生に教えなければいけないのかぁ~。
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