偶然か必然かはわからないが、青柳氏との出会いがなければ「野口三千三は野口三千三にはならなかった!」
それが、野口ノートから言葉を書き写しながら得た実感だ。
パソコンに打ち込むのではなく、あえて手書きすることで判別が難しい文字を読み解くことができる。
「言葉にならないところに体操の本質がある」
かたくなにこだわっていたという野口。
ところがどっこい、ノートには“体操観・自然観・実技の工夫”などたっぷり綴られている。新しい発見の興奮が、ビシビシ伝わってくる。
断片に過ぎないノートの言葉から、1967年『現代の眼』に「体操による人間変革」を書かせて掲載し、5年後の1972年に『原初生命体としての人間』として上梓する。その間に「野口体操」の礎が築かれた、と言っても間違いない。
著者と編集者の協働作業は、体育・体操を専門とする野口をしてその領域から飛躍させる道を啓いたと確信した。
60年代〜70年代は、騒然とした時代だった。
当時、野口がいう「からだの動きの実感から得られる思考」、ここに照準を合わせた向こう見ずな編集者が彼の他にいただろうか。いたかもしれないが、臆病から行動に移せなかったのだろう。
青柳氏曰く「哲学する身体」。彼は、筆者と共に呻吟した編集者であるが、その時代とその先の時代を見据えるジャーナリストでもある。
青柳氏あってこそ、野口三千三は野口三千三として存在している。
本の力、ここにあり!