羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

上野寛永寺〜科学博物館〜花のお江戸上野公園

2018年03月31日 07時13分17秒 | Weblog
 3月29日、この日しかない、とおもいたって、野口三千三先生のお墓参りに出かけた。
 昨年は、東京藝術大学・体育館で行った「野口体操の会」創立総会の前に、ご参加いただいた会員の方々とお参りをした。
 真冬のように寒い一日だった。
 小雨模様の中での移動となったが、迷子も出さず無事に全ての行事を滞りなく終えることが出来た。

 うって変わって、春に三日の晴れなし、という諺はどこへ。
 今年は桜の開花の日から連日のこと晴天に恵まれた。

 人気のない寛永寺第二霊園は、静寂そのもので荘厳と言ってもよい雰囲気に包まれていた。
 静かに手を合わせ、1年間のご報告をさせていただいたが、68年生きてきた私の時間の中でも、3本の指に入るくらいに大きな変化の年となった。
 反省することは色々あったものの、全体を振り返ってみると、なかなかいい一年であった、と思える。
 そして、この1年間ほど、多くの方々と新たに巡り会い、助けられて、これまでにない動きの兆しが見えた年はない、と思える。

 墓地を出て、10時に科学博物館で開催されている「人体ー神秘への挑戦ー」展示会場に入った。
「春休み」「満開」「パンダ」全てが揃ったこの日、上野科学博物館内は、子供からお年寄りまで人で埋め尽くされていた。
 展示されている標本・書籍・パネル等々、素晴らしい。
 こうした一級品を見せるためには、展示方法に工夫が欲しかった。たださえ人混み状態なのだから、迷路(人体の形の部屋のようだが)にしない配置にできなかったのだろうか、と素人ながらもひとこと言わせてもらいたくなった。
 
 野口先生存命の頃から「人体」に関連した特別展は何回か開催されてきた。
 その都度、欠かさず見てきたつもりだが、とりわけ「独立行政法人化」されてから、人集めに必死になっているような気がしてならない。
 言葉は悪いけれど、受けを狙った”これ見よがし傾向”が見受けられるようになった、と思うのは私の偏見によるものだろうか。

 実のところ入場制限はかけられないとしても、「立ち止まらないでください」と声かけアルバイトを立たせなければならない状況の中で見せるのは、如何なものか、と思えてならなかった。
 展示物の中には、現物の標本が混ざっている。かつて生きていた人や動物、つまり生きものの体の一部なのだから。
 精神を上に置き、肉体を貶める意識はないとは思う。ただし、精神の精華としての芸術作品を上に置き、科学研究の成果である標本を下に見ているとは思わないが、隣接する国立博物館の展示理念との違いを否応なしに比較していまうのは、これまた私の偏見だろうか。
 尊厳が失われた神秘は、神秘でもなんでもない。
 ひとえに惜しい。

 それでもみる価値はあります!
 どなたにでも手放しですすめられませんが、春休みをはずしてぜひ行ってみてください。
 今までにない標本や書物に出会えることは確実です。

 さて、博物館を出ると、春爛漫。
 上野公園の桜は見事に咲き乱れ、花見客が押し寄せ始めていた。
 思いきり胸を張って息をし、春の空気を吸い込んだ。
「野口先生、巣鴨であったり、新宿だったり、上野だったり、お花見によく出かけましたねー」
 小さく声に出して、語りかけた。
「亡くなった井上さんには、上野大仏の仏頭を教えてもらったんですよ」
 あの時も満開の桜だった。
 鬼籍に入った野口体操の一人一人を思い出しながら、桜並木には近寄らず遠巻きにそっと眺めて、ゆっくり上野駅に向かった。
 ちょうど正午。
 上野駅公園口周辺は、人人人で溢れていた。

   *******

 
 本日は、土曜クラスのレッスンに、特別展「人体」公式解説書を持って行きます。
 解剖の歴史から始まって、一番新しい「人体の見方」までが網羅されていて、読みごたえ・見応えがあります。
 
 では、3月最終日、よき一日となりますように。
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