昨日のブログで、肩の不調に触れたら、それを読んでくださった方からFBに「50肩になやまされています」というコメントをいただいた。
本日は、私の解消法について書いてみたいとおもった。
はじまりはこうだ。
日常生活の動きの範囲では、少し、というか少しよりはもうちょっとはっきりと違和感を感じる程度だった。
気づいたのは68歳の誕生日を迎えた4月8日頃だったと記憶している。
翌週の月曜日、10日のことだった。
いざ、ゆっくり体操をしようとはじめたとき、はっきり左肩が肩胛骨の周辺を中心に、二の腕にかけて痛みを感じた。
「このままにしたら70肩になってしまいそう」
からだの芯から、警鐘が鳴った。
そこで痛いところに直接に手を加えるのは控えた。
まず、「安らぎのうごき」(床に腰をおろして開脚し、骨盤を傾け、おへその下からはじめて鳩尾、胸、最後に額をつける順序)で骨盤の中から腿の付け根、そして内転筋群を中心にほぐすことをはじめた。
「安らぎのうごき」と交互に、脚を前後に開いて裏筋を伸ばす感覚をつかみながら、股関節周辺や腿の付け根を伸ばすうごき。
伸ばされ加減を調合しながら、左右に別れた腰の中身を、半分ずつほぐし・伸ばすことを行った。
さらに「真の動き」(仰向けになって両足を頭の方に持って行く)である。
イメージだけれど、背骨全体で呼吸するようにしながら、静かにじわじわと、重さで伸ばす動きを、前の二つに加えていった。
このうごきのときには、腕を頭の方に伸ばしている。が、今度ばかりは痛みからそれができない。
そこで痛みを逃がす道を探りながら、肘から曲げる角度を調節し、そのままの位置に据え置いた。
右の腕は頭の方へとすっきり伸ばし、肩胛骨に重さをかけていた。
左右対称ではなく、非対称での動きとなる。
そのほか「野口流ヨガの逆立ち」は、腕や肩や肩胛骨周辺に痛みを感じなかったので、やり続けていた。
むしろ、この逆立ち姿勢で、腹式呼吸(横隔膜式呼吸)を繰り返すことによってからだの芯がほぐれていくような実感が得られた。
他にもできる野口体操の動きは、無理のない範囲で行っていた。
以上が主に行った体操である。
全体を通して言えることは、脚腰をほぐし・伸ばす時に、野口体操では“ゆする”ことを行う。するとその波はゆるやかに肩から胸の内側へと伝わって、痛いところを労りながらほぐす効果もあったと思う。
その他、日常生活でのからだの使い方を見直した。
まず、母との関係である。
トイレに誘導するときなど、腕を伸ばす傾向があったが、肘を胴体に近づけて鉛直方向を大事に感じていた。当然、母との距離が近くなった。
そのことがきっかけとなって、できるだけ肘の位置が胴体から離れないあり方を探った。肩から肘のぶら下げ状態を確保するからだの使い方であった。
たとえば座ってパソコンのキーボードを打っているうちに姿勢が崩れてくる場合。
椅子に腰掛けて本を読んでいるうちに猫背になってくる場合。
つまり姿勢が悪くなって来たことを感じたら、まず立ってしまう。
立って腕をぶら下げてみる。肘の位置が胴体に沿うようにすると姿勢はすっきりよくなる。
パソコンは中断しても、読書は立ったまま読み続けることはできる。本をもつ腕はやはり肘を胴体につける位置で保つ。
この間の2週間と4日、授業やレッスンはあったことがよかったと思う。
痛い動きは避けるようにしながら、殆どの動きは一緒にやっていた。
どのクラスも新学期がはじまったばかり。
はじめて出会う学生や受講の方々に、気遣うことは多い。
気遣う間は、痛みを忘れている。これがいい。
その他にも気持ちのいいことがあった。
多摩モノレールの多摩動物公園駅の一つ先にある大学に週に一回通っている。
八王子は都内よりも遅い満開の桜から、新緑へと木々が変貌を遂げる時期だった。
そうした風景の中に、馬場から出て来た馬に出会う。乗馬部の学生がまたがっている。目を閉じると、ヒズメの音が近づいてくる。その音を耳にしながら、多摩丘陵の山の木々を抜ける風をからだに通してみる。
そっと目を開けて、すぐ間近にせまった屋外プールを見ると、すでに水がはられていた。
初夏への備えがはじまっている。水のさざ波を横目で見ながら、体育館へと入っていく。
こうした授業の行き帰りの味わいは、短時間であっても、からだを内側から活性化させてくれる力となってくれることが実感できる貴重な時間だ。
都会の真ん中にある大学では、到底のこと味わうことができない。
清々しいとはこうした感覚だった。
そんなこんなで内側からと外側から、肩の治療を行った、という次第であります。
違和感を抱えた左肩ではあったけれど、穏やかに治療できたことに、今は安堵感で満たされている。
日常に大きな支障が出てくる前に気づき、体操によってよい方向へとからだを導くことができた。
プラスα。
弱いストレスは受けていいよ!
『HSPと分子シャペロン』のストレスの定義から、生命を守るからだにそなわった力を知って、それも安心材料になってくれたように思う。
お蔭さま、という言葉が以前に増して、身にしみる。
68年生きてきて、いろいろあったし、あるけれど、何とも素敵な人生をもらった。
ちょっと しんみり!
月並みだけれど、日常の何気ないことが、これほど愛おしく思えることが、幸せかもしれない。(なんちゃって!)
本日は、私の解消法について書いてみたいとおもった。
はじまりはこうだ。
日常生活の動きの範囲では、少し、というか少しよりはもうちょっとはっきりと違和感を感じる程度だった。
気づいたのは68歳の誕生日を迎えた4月8日頃だったと記憶している。
翌週の月曜日、10日のことだった。
いざ、ゆっくり体操をしようとはじめたとき、はっきり左肩が肩胛骨の周辺を中心に、二の腕にかけて痛みを感じた。
「このままにしたら70肩になってしまいそう」
からだの芯から、警鐘が鳴った。
そこで痛いところに直接に手を加えるのは控えた。
まず、「安らぎのうごき」(床に腰をおろして開脚し、骨盤を傾け、おへその下からはじめて鳩尾、胸、最後に額をつける順序)で骨盤の中から腿の付け根、そして内転筋群を中心にほぐすことをはじめた。
「安らぎのうごき」と交互に、脚を前後に開いて裏筋を伸ばす感覚をつかみながら、股関節周辺や腿の付け根を伸ばすうごき。
伸ばされ加減を調合しながら、左右に別れた腰の中身を、半分ずつほぐし・伸ばすことを行った。
さらに「真の動き」(仰向けになって両足を頭の方に持って行く)である。
イメージだけれど、背骨全体で呼吸するようにしながら、静かにじわじわと、重さで伸ばす動きを、前の二つに加えていった。
このうごきのときには、腕を頭の方に伸ばしている。が、今度ばかりは痛みからそれができない。
そこで痛みを逃がす道を探りながら、肘から曲げる角度を調節し、そのままの位置に据え置いた。
右の腕は頭の方へとすっきり伸ばし、肩胛骨に重さをかけていた。
左右対称ではなく、非対称での動きとなる。
そのほか「野口流ヨガの逆立ち」は、腕や肩や肩胛骨周辺に痛みを感じなかったので、やり続けていた。
むしろ、この逆立ち姿勢で、腹式呼吸(横隔膜式呼吸)を繰り返すことによってからだの芯がほぐれていくような実感が得られた。
他にもできる野口体操の動きは、無理のない範囲で行っていた。
以上が主に行った体操である。
全体を通して言えることは、脚腰をほぐし・伸ばす時に、野口体操では“ゆする”ことを行う。するとその波はゆるやかに肩から胸の内側へと伝わって、痛いところを労りながらほぐす効果もあったと思う。
その他、日常生活でのからだの使い方を見直した。
まず、母との関係である。
トイレに誘導するときなど、腕を伸ばす傾向があったが、肘を胴体に近づけて鉛直方向を大事に感じていた。当然、母との距離が近くなった。
そのことがきっかけとなって、できるだけ肘の位置が胴体から離れないあり方を探った。肩から肘のぶら下げ状態を確保するからだの使い方であった。
たとえば座ってパソコンのキーボードを打っているうちに姿勢が崩れてくる場合。
椅子に腰掛けて本を読んでいるうちに猫背になってくる場合。
つまり姿勢が悪くなって来たことを感じたら、まず立ってしまう。
立って腕をぶら下げてみる。肘の位置が胴体に沿うようにすると姿勢はすっきりよくなる。
パソコンは中断しても、読書は立ったまま読み続けることはできる。本をもつ腕はやはり肘を胴体につける位置で保つ。
この間の2週間と4日、授業やレッスンはあったことがよかったと思う。
痛い動きは避けるようにしながら、殆どの動きは一緒にやっていた。
どのクラスも新学期がはじまったばかり。
はじめて出会う学生や受講の方々に、気遣うことは多い。
気遣う間は、痛みを忘れている。これがいい。
その他にも気持ちのいいことがあった。
多摩モノレールの多摩動物公園駅の一つ先にある大学に週に一回通っている。
八王子は都内よりも遅い満開の桜から、新緑へと木々が変貌を遂げる時期だった。
そうした風景の中に、馬場から出て来た馬に出会う。乗馬部の学生がまたがっている。目を閉じると、ヒズメの音が近づいてくる。その音を耳にしながら、多摩丘陵の山の木々を抜ける風をからだに通してみる。
そっと目を開けて、すぐ間近にせまった屋外プールを見ると、すでに水がはられていた。
初夏への備えがはじまっている。水のさざ波を横目で見ながら、体育館へと入っていく。
こうした授業の行き帰りの味わいは、短時間であっても、からだを内側から活性化させてくれる力となってくれることが実感できる貴重な時間だ。
都会の真ん中にある大学では、到底のこと味わうことができない。
清々しいとはこうした感覚だった。
そんなこんなで内側からと外側から、肩の治療を行った、という次第であります。
違和感を抱えた左肩ではあったけれど、穏やかに治療できたことに、今は安堵感で満たされている。
日常に大きな支障が出てくる前に気づき、体操によってよい方向へとからだを導くことができた。
プラスα。
弱いストレスは受けていいよ!
『HSPと分子シャペロン』のストレスの定義から、生命を守るからだにそなわった力を知って、それも安心材料になってくれたように思う。
お蔭さま、という言葉が以前に増して、身にしみる。
68年生きてきて、いろいろあったし、あるけれど、何とも素敵な人生をもらった。
ちょっと しんみり!
月並みだけれど、日常の何気ないことが、これほど愛おしく思えることが、幸せかもしれない。(なんちゃって!)