羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口体操巡礼の旅−3−「酒と薔薇の日々」ではなく「反省と介護の日々」

2017年04月07日 04時07分08秒 | Weblog
 鴬谷駅で「野口体操の会」のプラカードを見た瞬間、二つの思いがよぎった。
「わざわざ、つくってきてくれたのだ!」
 気合いの入れ方が違う、と嬉しくもあった。
 嬉しさをともなってよぎった思いのひとつは、これがあるとはぐれる人を出さずにすむだろう、という安堵感である。
 裏腹に、デモ隊に間違われないか、という危惧もあった。

 私の悪い癖−1−、性善説に傾いて、危惧の方はひとまずおいた。
 喪服に「◯◯家」のプラカードならともかく、カジュアルな服装の集団に分けのわからない体操の会のプラカードは、墓地や寺には似合わないことを、間もなく思い知らされることになるのだった。

 いきさつから話はじめたい。
 霊園に着いて、管理事務所で花をもとめ、用意してきた線香に火を灯すための器具を貸してくれた。ここまではとても親切だった。
 はじめて見たこの器具は、水戸黄門の印籠のような雰囲気を漂わせている物だった。
「さすがだわ。徳川菩提寺だけのことはあるのね」
 内心思ったが、言葉にはしなかった。
 用意されているはずの花だったが手順がここでくるっていた。
 そこで火付け道具と一緒に、一足先にお墓に持って行ってもらった。

 いざ、野口先生のお墓に向かおうとしたときのことであった。
「ちょっと待ってください」(女性)
 プラカードを見て、人の多さに気づいた管理事務所の女性の顔が歪んだ。
「こんなに多くの方が団体でお参りされるときは、お寺に許可を得てください」(女性)
「先日もお話しし、つい先ほどもご挨拶をしております。そういうことなら、以前伺った時に言ってくださればよかったのに。聞いていません。とにかく誰かを寺に向かわせますから、ここのところはお参りをさせてください」(羽鳥)
 どんなに言葉で説明しても、私たちの出で立ちやプラカードを見てしまった彼女の脳のなかをクリアにすることはかなり困難を伴っていた。
 それでもお互いに一歩も譲らず、すったもんだの末に話をつけて、皆さんには先に行っていただいた。
 このやり取りがビデオにしっかりおさまっていた!
 その上、ご丁寧なことに、ピーターが撮っている映像にも、國廣さんのビデオ映像にも皆さんの後を一人追う姿が映っている。
 背中には不愉快な思いに苛立った「気」がにじみ出ている。
 腰はプリプリ・プンプン上下し、脚には力が入っている。
 背中や後ろ姿で芝居をするというのはこのことだった。
 いやいや、芝居ではありませんのよー。

 私の悪い癖−2−、落ち着きを失うこと中途半端な気持ちのまま行動をとってしまうこと。
 この場で、半分だけディレクターに変身していた。この半分がいけない。

 実は、お参りをはじめる前に、花束を私に渡してくれるという、ちょっとしたセレモニーをすると聞いていた。
 記憶が定かではないのだが、映像を見てがっくりした。
 記憶が抜けていても不思議はない。
 花束贈呈がそっくり抜けて、どさくさのなかで、そそくさと手を合わせて次の方にその場を譲っている。
 それも傘をさしたままの自分の姿がしっかり残っているではありませんか。
 オー、ミゼラーブル。

 ここまでくると単なる愚痴をかいているーってことになりそう。
 マインドフルネス? 精神を落ち着かせてから書けばよいのかも。
 でも、ご免。つづきを書かせてください。

 その後の映像を見ると、すでに半分でなくディレクターに、徹しようとしている私がいた。
 先へ先へと手配をするために、歩き出しているのである。
 体育館での手配や配置、体育小屋見学の場所の変更から、いざ公園へ。
 さすがに、ここではプラカードの威力が発揮される。
 後ろを振り返ると、よーく見えて、無事に皆さんが歩いてこられるのが確認できた。

 この日に知ったこと。
 プラカードをかかげることで、「ここに集まって」と、内側の人々をまとめる力は予想以上に強いこと。
 また、外に向かっては、他の人に関心を持ってもらう効果が大きいことも知った。
 これはよい方向の関心を持ってもらえる。つまり、訴える効果は、大きいということである。

 一方で、保守的な由緒正しいお寺の番人の方には、場違いなことをやられてはたまらない、治安を乱されてはたまらない、という恐れを抱かせる力が、予想以上にあることもわかった。
 因みに帰りがけには、連絡不足の手違いをわざわざ謝りに来てくれたが、出だしのつまずきは、私にとって気分の悪さとして残った。今となっては、よき教訓として残ったのだが。
 
 さて、さて、「プラカード考」だ。
 主義主張を訴える手段として掲げ、大勢の人間がそれに連なる行為は、自分たち以外の人にとっては、或る種の危険なかおりをふりまくということを知っておいた方がよさそうだ。
 デモ隊を冷ややかに見る人がいる。
 デモ隊を危険思想の集まりと見る人がいる。
 最初に消し去った危惧は消し去らずに、墓地では掲げ方をちゃんとお伝えしておかなければいけなかった。
 実際に、残された映像をみると、それほどショッキングには映っていないので、ホッとし安心もしたのであるが、しかし……。
 職務に忠実な管理室の女性の目には、驚異と映るだろうと予想しておくことが肝心だった。
 しかし、喪服に「野口体操の会」のプラカードを持って、一歩、社会にでたら、これこそ警官隊がやってくるかもーなんてねー笑っちゃいますよ。

 私の悪い癖−3−、相手に任せたら最後まで確認をしない傾向があって、再確認は常にすべし。
 野口先生に羽鳥がいたようには、私には羽鳥はいない。いつも中途半端な気持ちで何かをしている。
 実に、よろしくない。
 そういえば、野口先生ご存命中は、企画したことを実行するときはいつもディレクターに徹して、先回りをしていたことを思い出す。それはそれで楽しかったなぁ〜!
 先生を引き立てるため “ 涙ながらの努力をしていた ” とは言いがたいが、裏方に徹してその場での手配を怠らなかったような気がする。

 かくして、2017年4月1日、「野口体操の会」はプラカードのもとに船出したのである。
 苦さとともに、その実感がじわりと身にしみてくる。
 そして思う。
 できるだけ早い時期に「野口体操の会」を若い方々に引き継ぎたい。
 しばらくの間は、企画者として、ディレクターとして、徹することとしてもである。

 今週は、プラカードを掲げる象徴的な意味をしっかり噛み締めながら、野口先生がユニフォームを避けたその思いも忘れずに、皆さんを危険にさらすことなく舵取りができるといい、と反省の日々を過ごしていた。

 すべてが裏表。
 よきことあらば、あしきことあり。
 大変貴重な学びをさせてもらった。

 こうして、あの日以来、「ひとり反省の日々」をおくりながら、ときに母につらく当たりそうになるのを抑える「介護の日々」も重なっている。
 多くの方が同じような境遇を生きているに違いないが、そうだとわかっていながら、
「もう、やってられないッ」
 そう思う日もある。

 すべて、これでいい!ってことはないのだ。

 今日もこれから母をひとり家において、体操のレッスンに出かける。
 国立の桜並木は、きっと美しいことだろうなぁ〜。
  
      つづく
コメント
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