羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『私の「戦後民主主義」』で思い出された文章

2016年02月11日 13時43分19秒 | Weblog
 今はなくなってしまった出版社である柏樹社から毎月出されていた「柏樹」の1998年3月号No.174に掲載された「野口三千三授業記録」の文章を、最近になって読み返した。ちょうど『私の「戦後民主主義」』に書いた、京都清水寺での体験とそこからつながった話であった。
 辻邦生の『嵯峨野名月記』を読んで、“光悦垣”を見に、嵯峨野へ行った帰りに清水さんに寄せてもらったときのこと。そこから野口先生の煎茶道と庭造りの話を書いている。
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野口三千三授業記録(第25回) 「伝統のDNA」 羽鳥 操

 今にも小雪でも舞いそうな早春の京都を、私は旅したことがあった。二十数年前のことである。その旅のおわりに、十六才の歳から、夏休み毎にお世話になっていた清水寺に立ち寄った。寺の本坊である成就院の庭を拝見しながら、一服のお茶を戴く。清水でなければ味わえない時間をもとめてのことだった。
 洛中を俯瞰する成就院の庭自体は広いとはいえない。しかし、閑雅な趣の庭に初めて立った殆どの人は、思わず息を呑むという。私もその例外ではなかった。二重の籬(まがき)を巡らした庭の向こうには、視覚を遮るものはなく、東山のパノラマが広がっている。庭を見る目は、向かいの峰の中腹に置かれた一つの灯籠に吸い寄せられる。更に、灯籠が人のまなざしを峰の稜線へと導く。「借景」の装置であることに気づく頃には、梢を渡る風の音に、身を委ねてしまうのである。

 鶯張りの廊下に正座する私のからだの芯に、東山三十六峰の冷気が深々と凍みとおる。意識は自然の中に溶け出し、私は山のただ中にいるような錯覚の虜になっていた。ふと、微かな人の気配で我に返った。どうやら墨染めの衣をまとった若い僧侶が、茶を運んできてくださったようだ。ゆっくりした足取りで部屋に入り居ずまいをただし、冬茶碗を両手に抱いた。その茶碗の重さに、意識の重心も今一点に呼び戻された。緑美しい茶が季節を先取りし、命溢れる新緑の頃へと私を誘い出してくれるのだった。

 それまでその時々に供される茶菓は、一度として同じものはなかったが、いつも共通していることは、一服の茶が和菓子の甘さを引き出してくれることであった。ここでいただく抹茶は、舌の上にどっしりとのり、厳粛さを秘めた甘い香りの奥行きは深かった。特別なお茶事ではなく、日常的な来客へのもてなしだから、それほど凝ったお茶であろう筈はない。しかし、京都の人々が、長い時間をかけて育て伝えてきた宇治の味に、いつも私は魅了されていた。

 その時の旅では、自分への不甲斐なさの思いや、将来に対するなんとはなしの不安、わけもない苛立ちが、東京を発つときから私を捕らえて離さなかった。ところがあたたかくもったりとした抹茶によってもたらされる静寂に、全身を委ねているうちに、そうした思いは鎮められていった。

 それから三年ほどして、野口体操を始めた私はある年の正月、野口先生のお宅にお年始に伺ったことがある。当時六十代だった先生は、野口流煎茶道を模索しておられた。茶碗は、銘こそないが、お気に入りの中国の小さな酒杯。急須は舜園作の対の朱泥であった。一つの急須には風神、もう一つの急須には雷神が彫られている。確かその時の先生は、風神の急須を選ばれたと思う。
「普通、一煎目は香り、二煎目は味……、というように、味わい方を区別するんです。でも僕は、味は香りと共にあるし、香りは味とともにあると思っているので、一煎目も二煎目も、どちらも全体を大事にし各々を味わいたいんです」
 酒杯に半分の煎茶。少量の液体は、さらりとした甘さを舌にもたらし、鼻腔を香りにみたした後、味わいを拡げていく。逆説的だが、煎茶は、少量故に、かえって全身を包み込む力を潜めませているように、私には感じられた。

 恰度その頃の先生は、ご自身で「甲骨(文字)病だ」と自称なさりながら、授業のなかで漢字の字源や和語の語源に遡り、「言葉」と「からだ」の関係の裡で動きについて情熱をもって語り、ご自身も自在に運動をこなしておられた。
「どんな抽象語も遡ると身体語にたどり着きます」
 喩えは過激だが、機関銃でも打つかのように、次々と言葉の字源・語源の説明をした後に、必ずご自身の説を加えておられた。思えば、不器用で殆どの動きができなかった私は、そうした先生の言葉への情熱と、動きの理論を構築する論理の展開に導かれて毎週の授業に参加していたのだったが、ダイナミックに生き生きと授業をなさる先生が、お宅では、殊の外、静かな時間をもっておられることを知った。
 そしてそこには、あるがままの自然と共生する庭があった。当時から、庭には、盆栽の鉢植えであろうが地植えであろうが、植物を孤立させた形で完結させずに各々を解放し、全体として溶け合う一つの自然が造りだされていた。
 先生の私的な空間と時間のなかで、私は、野口体操の奥行きの深さの源に、お茶の味わいと庭造りの裡にもあることを得心したのだった。

 それから二十数年が経った今、「借景」という造園法を持つ成就院の庭のことを思い返しながら、野口体操のあり方を解読する一つのヒントを得た。借景は、自然全体を視野に入れることで、人工がもつ危うさを救い、常に全体としての自然の威力を感じさせる。同様に、野口体操は人間の言語文化や、自然現象全体、特に地学の時間空間の拡がり等の借景をもつことによって、からだと動きの問題を、狭い体育の世界から解き放ち、自然と文化・人間の本質を、まるごと全体の世界で探る道を切り開いてきた。

 なんと不思議なことだろう。いや、決して不思議ではない。伝統も生きもの同様にその遺伝子を脈々と伝えているのだから。伝統の遺伝子を乗せて流れる川は伏流となって、あるとき全く関係がなさそうな土壌にあらわれ命を復活する。野口体操は、借景という「伝統のDNA」を乗せた川の流れを受け継ぎ、新しい流れをすでに生み出しつつある。
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