羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

かいこの村

2016年01月05日 13時37分23秒 | Weblog
 『かいこの村』撮影・熊谷元一 1953(昭和28)年 岩波写真文庫、その〈復刻版〉1988(昭和63)年の本が、昨日郵便受けに投函されていた。Amazonに申し込んだら、山猫山という古書店から届けられた。
 昭和28年、私が4歳だった当時の「信州伊那谷・会地村の養蚕農家の一年」を撮影したモノクロ写真集である。
 その谷は諏訪湖から天龍川に沿った谷、西は中央アルプス、東は南アルプスに挟まれている、と書かれていた。

 ページをめくると、信州と上州の違いはあるが、野口先生の実家の暮らしが、垣間みられる写真が次々に現れる。
 戦後の農村だとしても、江戸から明治、大正、昭和の戦前と、殆ど変化はないだろうと想像される。
 養蚕農家の地道な作業に明け暮れる日々が、しっかりおさめられているのである。

 ページをめくるたびに、「大変な労働だ!」と、溜息がでてしまった。その労働の見返りに、お米以上の現金収入が得られる。美しく絢爛豪華な絹織物文化を底辺で支える農家の仕事ぶりは、真逆にも真逆、いたって地味な重労働なのである。
 命ある虫、その虫を大切に育てる。しかしその命を奪うことで、絹糸を取り出す。
 文化とは、磨き(身を欠き、身を殺ぎ)、自然を傷つけることで成り立つ行為である、と改めて伝わって来る写真群だ。
 
 最後の方には、「田舎芝居」「地芝居」の写真が5枚ほど掲載されている。
《この村の芝居の傅統は古く、文政十一年と」記された緞帳がそれを物語っている》
 文章が添えられている。文化・文政期は、地歌舞伎が盛んになった時代。
 農民たちがくつろぎ、楽しんでいる様子を観ることができて、ちょっとホッとした。
 さらにおわりに近いメージには、子供が楽しむ「どんどん焼き」などもあった。

 私は、複雑な思いで何度も見直した。
 これがカラーであったら、印象が違うだろうなー。
 これが現代の感性で撮られていたら、違う印象を受けるだろうなー。
 ありえないことだけど、バリを撮り続けている佐治さんが撮影したら、モノクロ写真でもきっと違うおおらかさがうつしだされるのではないだろうか、などと無理な想像を巡らせてしまった。

 昭和28年ごろの感性と写真機が写し出す世界は、いかにも!なのである。
「僕は、養蚕農家の三男坊として生まれて、農家だけはしたくなかった」
 そうつぶやかれた野口先生の思いが、ずしずしと伝わってくる力が、この写真集にはある。
 
 先生はここから出立して、群馬の中心から東京へ。
 戦後を生き抜き、半世紀、野口体操を育て上げた。
 大層なことだった、ご苦労なことだった、と改めて胸に迫るものがある。

 初めて群馬のご実家周辺をたずね、帰宅して母に一日の報告かたがた話をした。
「野口先生は大変だったわねー。えらいことだったわねー」
 母が浮かべた涙の意味が、さらに深く理解できたような気がしている。

 静止画像であっても、その当時の生の記録が残っている。
 そのことの意味を、しみじみ噛み締めている。
コメント
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