羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

華やぎ扇子

2014年09月12日 09時42分57秒 | Weblog
 おねえちゃま、と呼んでくれる女友だちから、文扇堂のお扇子をいただいた。
「おー、あなたも還暦」
 五歳下の午年。
 こちらからお祝いも差し上げないのに、ステキな記念品をいただいた。
 縁のある女性が扇面を描いているとか。これがものすごく洗練されている。
 歌舞伎の扇をたくさん手がけていらして、勘三郎さんの追善の扇面も彼女の筆によるものと、添えられた手紙にあった。それだけでもドキドキ、嬉しい!

 骨は黒漆塗り。特有の手触りが心地よい。
 要は白で、一点、色がきいている。
 扇面の表は馬の顔で、一見、それとはわからない。これほどの抽象で、馬をあらわす裁量はすごい。たとえば漢字の文字の画が相当に失われても、判読できるように、これは漢字文化圏に育った文化に違いない。
 他には、白地に鼠色の目がひとつ、顔の輪郭と思しき柔らかな曲線、淡い黄色がかった肌色が耳を少しだけ見せている。そして、なんといっても馬だから、太さと長さを変えたたてがみが象徴的に描かれている。それだけの意匠だが馬と判る趣向。
 表扇の右上には、裏全面の赤が斜めに回り込んで、細く指し色されている。
 上品でつややかな雰囲気が漂う還暦の祝いにふさわしい扇子だ。

 僅かにただよう漆の匂い。歌舞伎の華やかな舞台が、手に持った扇の中から立ち現れる。
 日本舞踊を習っていた幼い日々、名取りのお姉様方が黒漆の舞扇を手にして踊る姿に憧れたものだ。
 最初にして最後、たった一度だけ渋谷にあった東横ホールで、「藤娘」を地方さんを背に踊ったことがある。
 その時だけ許された黒漆の舞扇の感触をふと思い出した。我が父の交通事故を機に、七つの年でやめさせられた日本舞踊だった。それでも四、五年は、祐天寺にあったお師匠さんのご自宅にあるお稽古場に通っただろうか。舞台は小さなからだに大きかったことを思い出す。

 扇子は、時間と空間を自由に行き来させてくれる。
 文化が今でも息をしている。粋を生きるとは、そういうことだ。
 
 この場を借りて、お礼です。
 

 
コメント
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