羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ご町内の瀬戸物屋事情

2013年03月16日 09時19分14秒 | Weblog
 いよいよ春の植え替えの時期を迎える。
 来週から、ほぼ一週間をかける予定をたてた。松と槙柏は5年前に植え替えて、今年がその時期になった。全部をやる心づもりは、いまのところついていない。来年でも良さそうなものは先送りしたいと思っている。
 さて、事前に残っている土の様子を確かめて、いつもいく瀬戸物屋に「赤玉土」の小粒と中粒、それに「桐生砂」を頼みに行った。ここは代々続いていて、この町でも古い商店である。瀬戸物以外にも盆栽鉢や植木鉢も揃っていて、その関係で土等々もよい製品を取り揃えている。主人は、知識もたくさんあって、いろいろと教わることができるので大変ありがたい。

 帳場で支払いを済ませるタイミングで、おしゃべりが始まった。
「土をおろしてくれる問屋が、癌でだめになって、残っている分はまだあるんですが、今年で終わりかもしれません」
 その言葉がキッカケになって、瀬戸物屋事情を伺うことになった。
 店屋も問屋も窯元も高齢化で、廃業するところが軒並みだそうだ。
 たとえば、瀬戸は以前からあるトヨタに、波佐見はこれからできるキャノンに若者たちは就職するらしい。残った職人はほとんどが高齢者である、という。たまに親の後を継ぐ気になった息子がいても、職人たちが親御さんと同じ世代の高齢者で、窯元が世代交替をするのなら自分たちも辞める、と言い出すらしい。
 また、商店などは、従来の瀬戸物屋で若者たちは買い物をしなくなった。
「ラーメンどんぶり、カレー皿があれば、それだけで若者の一人暮らしはまかなえるんですよ。後はほとんど外食ですませるんで、百円ショップと雑貨店の食器で間にあうんですね。以前に比べて、技術革新をしたことで、瀬戸物が壊れにくくなったんです。中国製の安物はだめですが、日本製のものはとても丈夫になったんです。だから、店の売り上げはどんどん下がっていくわけね」
 
 その他、家庭の事情が組み込まれる。「介護」だ。
 高齢の親に家族のひとりが関わるようになると、もう店を開けることができないという。
 この町でたった一軒だけ残った瀬戸物屋も、跡継ぎはいない。
「うちでも息子が後を継ぐと言っても、こちらからお断りで……。私らの代で終わりですわ!」

 我が家はどうだろう。
 日常的に壊れるご飯茶碗とか湯のみなどは、時々、買いにいくことはある。しかし、殆どの食器はある物でまかなえる。昔はさまざまな慶弔のお返しに、皿や小鉢やカップまでもいただいた。その他、ねじめ正一さんのお父様がやっていた民芸店でそろえた「益子焼」がそのまま残っていてそれ以上必要がない状況だ。
 ただし、年をとってくると重い食器は、避けるようになる。
 いい例が、野口先生だ。70半ば過ぎになって、白地に花柄の可愛らしい食器に、一気に替えたことがあった。それは磁器以上の固さがあって、1メートルくらいの高さから落としても割れない丈夫さが備わっているものだった。
「ほら、見てて」
 得意げに落とす実験をしてくれたことがある。
「優れものでしょ」
 嗜好品としての日本茶だけは、すでに手に入らなくなっていた作家の手による万古焼き・常滑焼きの急須に、美濃焼き・九谷焼きの茶碗など、旧来の茶器を使い続けていらした。

 生活空間のデザインや色合い、料理の内容がかわると、当然のように食器も変わる。それだけではない。調理器も大きく変化した。我が家にもシリコン樹脂のボールや電子レンジに使用できるスチーマーココットなる調理器具がある。これなどは油を使わず調理ができるヘルシーさをうたっている。
 デパートの食器売り場でも見かけるが、そうした物の色は多彩。パプリカレッド・キャロットオレンジ・レタスグリーン・マロンブラウン・ミルキーピンク・フラワーピンク・パンプキンオレンジ・パプリカグリーン・トマトレッド、軽やかでカラフルなのだ。
 いただいたものがあるが、手ざわり感に馴染めなくて、使う気がなかなかおこらない。飾って見ているだけである。
「その感覚って、年かなぁ~!」
 てなわけで今日は瀬戸物屋から見える生活の変化と高齢化問題の深刻さ、日本の守るべき伝統とは何か、を改めて考える材料を忘備録として書いておきました。
コメント
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