今朝は、3時に目が覚めた。
二階の雨戸を開けて、外を見る。
近隣のマンションの部屋から灯りが漏れている。数えると相当な数になる。
ふと、東の空を見上げた。
珍しく星が輝いている。盆と正月は、東京の空気が少しは綺麗になって、こうして星がみられるのだ。といっても片手で数えられるほどでしかない。
満天の星空を久しく見ない。何十年も見ていない暮らしに埋没している。
病院との縁が切れているのも、最近の十年、といったところだろうか。
野口先生が20年、父も15年。入院の度に、病院通いをしていた。
今は、母が元気でいてくれるのだが、さすがに一人にしておけない。
満天の星を見られるのは、いつのことだろう。
想像するとちょっと怖くなる。
ちっぽけな自分が宇宙の渚にいて、一粒の砂よりも微細な存在であることを実感させられるに違いない。
まだ、死ぬのは怖いかな。死を思うのはやっぱり恐い。
そんなことを思いながら東の空を見つめていた。
なかなか夜があけない。
ごろんと仰向けになって、「真の動き」に身を任せた。
上下、左右、斜め、東西南北、天も地もない。方向感覚は失われる。
からだを丸めているうちに、不思議な落ち着き感をもらう。
しばらく体操をして、白みかけた空を再び見る。
雲間から、朝焼けの柔らかな光線がさしはじめていた。
そういえば、病人に付き添って病室の片隅に眠れぬ夜を過ごし、気分転換にロビーにでる。
闇から朝の光が、病院全体を包む頃が、いちばん哀しい。
人は、文字を書く。思いを紙に書き付ける。それでも近いうちに失われる命の行方をたずねる。
答えが出ないことを知りながらも、感覚を研ぎすませてたずねる。何度も何度も繰り返して。
夜があけてしまえば、日常に戻る。意識は「私」を取り戻す。それが錯覚であってもいい。とりあえず「私」の自覚が生まれる。
暁の心模様は、非日常をさまよっているのだなぁ~、と思った。
満天の星は、しばらくお預けで、よし!
二階の雨戸を開けて、外を見る。
近隣のマンションの部屋から灯りが漏れている。数えると相当な数になる。
ふと、東の空を見上げた。
珍しく星が輝いている。盆と正月は、東京の空気が少しは綺麗になって、こうして星がみられるのだ。といっても片手で数えられるほどでしかない。
満天の星空を久しく見ない。何十年も見ていない暮らしに埋没している。
病院との縁が切れているのも、最近の十年、といったところだろうか。
野口先生が20年、父も15年。入院の度に、病院通いをしていた。
今は、母が元気でいてくれるのだが、さすがに一人にしておけない。
満天の星を見られるのは、いつのことだろう。
想像するとちょっと怖くなる。
ちっぽけな自分が宇宙の渚にいて、一粒の砂よりも微細な存在であることを実感させられるに違いない。
まだ、死ぬのは怖いかな。死を思うのはやっぱり恐い。
そんなことを思いながら東の空を見つめていた。
なかなか夜があけない。
ごろんと仰向けになって、「真の動き」に身を任せた。
上下、左右、斜め、東西南北、天も地もない。方向感覚は失われる。
からだを丸めているうちに、不思議な落ち着き感をもらう。
しばらく体操をして、白みかけた空を再び見る。
雲間から、朝焼けの柔らかな光線がさしはじめていた。
そういえば、病人に付き添って病室の片隅に眠れぬ夜を過ごし、気分転換にロビーにでる。
闇から朝の光が、病院全体を包む頃が、いちばん哀しい。
人は、文字を書く。思いを紙に書き付ける。それでも近いうちに失われる命の行方をたずねる。
答えが出ないことを知りながらも、感覚を研ぎすませてたずねる。何度も何度も繰り返して。
夜があけてしまえば、日常に戻る。意識は「私」を取り戻す。それが錯覚であってもいい。とりあえず「私」の自覚が生まれる。
暁の心模様は、非日常をさまよっているのだなぁ~、と思った。
満天の星は、しばらくお預けで、よし!