電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

石井宏『天才の父:レオポルト・モーツァルトの青春』を読む

2012年08月16日 06時05分23秒 | -ノンフィクション
石井宏著『天才の父:レオポルト・モーツァルトの青春』(新潮社、2008年)を読みました。映画「アマデウス」に見られるような、謹厳実直・厳格な父のイメージが強いレオポルト・モーツァルトですが、実像はどんなふうだったのだろうか。ちょいとそんな興味がわきまして。

本書の構成は、こんなふうになっています。

プロローグ 出自
第1章 ジュリアン・ソレル
第2章 イーカロスの墜落
第3章 雌伏
第4章 夜のオルペウス
第5章 アウローラ


「出自」という題名のプロローグでは、いきなり「大事なことは、モーツァルト家というのは、そうした、名もなく貧しい雑草の出自だということである。」(P.6)とされ、また第1章では、ハイドンの青年時代の空白期についても言及されています。たとえば、こんなふうです。

十六歳か十七歳で、彼は声変わりしたため、聖シュテファン大聖堂の聖歌隊をクビになった。それからの十年あまりを彼がどうやって暮らしていたのかはよくわからない。ハイドンの生涯の中で、最もあいまいな部分である。ハイドンも語りたがらない。もっぱらの説は、当時のウィーンで流行っていた"流し"のバンドに入っていたのだろうという推測である。ラテン系の国で、"セレナーデ"といえば、女の窓の下で男が歌うラヴ・ソングのことだが、十八世紀のウィーンでは、その言葉は器楽のバンド、"流し"楽隊のことだった。ハイドンは酒場や街頭の"流し"の楽隊の一員となって彼の青春を食いつないだようである。(P.21)
  (中略)
いずれにせよ、故郷に帰ることなく、放浪の楽士たちの仲間になったハイドンは、苦節十年余を経て、モルツィン伯爵家の小さな楽隊の"楽長"として音楽史の上に姿を表すのである。(このモルツィン家の楽隊はほどなく財政難で解散となるが、このときハンガリーの大貴族エステルハージ家の楽長のウェルナーが高齢だったため、その補佐役としてエステルハージ家に引き取られたのが、ハイドンの生涯の最大の幸運となった。(p.25)

ここで示されるのは、貴族社会の中で楽士たちの置かれた立場が極めて低いものであったこと、音楽もまた、社交や実用の背景音楽であったこと、などでしょう。

第2章「イーカロスの墜落」:生涯に二度もレオポルト・モーツァルトを襲った濡れ衣による不運は、まったくひどいものです。一回目の、彼が大学を退学になってしまういきさつは、どうやら一緒に入学した、市長で行政長官の長男も一緒に退学になっているところをみると、息子の政治的あるいは思想的な不行跡を隠蔽する為にレオポルトに罪をなすりつけたためではないかと考えます。このあたりは、推理小説で言われる、最も利益を得るものが犯人だ、という方式による推定ですが。
いずれにしろ、査問委員会の通知が手元に届かなかったために、弁明の機会もなく退学となったレオポルトは、教官の一人グレフュール神父に訴えますが、退学の理由は判然としません。どうも、大きな力が働いているようなのです。とりあえず、グレフュール先生のおかげで修道院に宿泊して当座をしのぎ、トゥルン伯爵家の楽士長として、六人の楽士たちの取りまとめ役をすることになります。出発に当たってグレフュール先生が与えてくれたはなむけの言葉は、苦く温かく痛烈です。

第3章「雌伏」:伯爵邸での生活は、従僕長のレオナルディの好意もあり、苦労はありますが、忍耐強く着実なものとなりました。作曲を続け、その中から三重奏曲六曲を伯爵に献呈します。大切なお客が来訪する晴れの日に、この曲が演奏されることになりますが、日頃から折り合いの悪い第一ヴァイオリン奏者のヴェールデは嫌がらせを企てます。「銀貨を使え」というセバスティアーノの助言は、確かでした。そしてレオナルディが辞職引退するのを契機に、ザルツブルグ大司教の宮廷オーケストラの第四席の楽員の話が出てきます。

第4章「夜のオルペウス」:レオナルディは去り、オーケストラの中で演奏する平凡な日々が続きます。レオポルトは、今の生活から抜け出すのは無理なのではないかと落ち込みます。そこへ、レオナルディが手紙で縁談を報せてきます。仲人好きのマルシュナー夫人ことフランツィスカに押しきられて会ってみたら、相手の娘アンナ・マリア・ペルトルは、たいへん魅力的で好ましい女性でした。レオポルトは結婚し、家庭の幸せを得ます。

第5章「アウローラ」:レオポルトは、独自に考案したヴァイオリンの教程を本にして出版することになります。それは、独創的で画期的なものでした。喜びの中にもう一つの喜び=赤ちゃんの誕生が続きます。あやうく母親の命を落とすところだった赤ん坊は、ヴォルフガングと命名されます。むろん、ヴォルフガング・アマーデウス・モーツァルトです。



18世紀の絶対主義の時代に、階級のくびきから脱することを夢見た青年の苦闘として父レオポルトの青春をとらえ、愛息ヴォルフガングの誕生までを描く物語です。スタンダールの『赤と黒』のジュリアン・ソレルに擬して語られる父レオポルトの半生は、それだけで立派なドラマです。

コメント (2)

太字の万年筆の使用頻度

2012年08月15日 06時05分40秒 | 手帳文具書斎
愛用している万年筆のうち、ペリカンの400は、叔父にもらったものです。中字<M>とはいうものの、太々とした文字は日本製品のBに相当するのではないかと思うほどで、独特の迫力です。一時、この太字の味を好んで、手紙を書くときなどに愛用していました。ところが、備忘録など日常的な用途に使おうとすると、意外に不便です。

(1) 字画を省略せずに書こうとすると、文字が大きくなる。
(2) 文字が大きくなると、A罫(7mm)でも狭すぎる。
(3) インクの消耗がはやく、書いているうちになくなる。

そのため、太字の味わいには魅力を感じながらも、太字の万年筆の出番は減少ぎみで、日常用途には使わなくなってきています。

いっぽう、国産の細字<F>や中字<M>の万年筆、たとえばパイロットのカスタムなどでは、A罫のノートにちょうど良い大きさで書けますし、老眼世代にも視認できます。インクの消耗もそれほど急激ではありません。文字を書くときにあまりに極細すぎるのも、繊細さが痛々しいほどで中高年おじさん世代向きではありません。私の場合、細字かせいぜい中字程度でゆったりと書くのがよろしいようです。



さて、本日もまた、お盆の帰省から都会へ戻る道路や交通機関の混雑が予想されます。移動される予定の皆様、どうぞ道中のご無事をお祈りいたします。

コメント

グリーグ「ペール・ギュント」を聴く

2012年08月14日 06時05分01秒 | -オーケストラ
子ども時代、テレビが普及し始めた頃、すでに「みんなの歌」という番組がありました。いつ頃かはわかりませんが、「ソルヴェイグの歌」を覚えたのは、たしかこの番組でだったと思います。物悲しくロマンティックな旋律が、たいへん印象的でした。そして半世紀が過ぎ、今は通勤の音楽で、グリーグの劇音楽「ペール・ギュント」を聴いております。イプセンの原作は、なんとも風刺的な、若い時代を悔悟するような内容で、Wikipedia によれば、

落ちぶれた豪農の息子で、母と共に暮らしている夢見がちな男ペール・ギュントは、かつての恋人イングリを結婚式から奪取して逃亡する。しかしイングリに飽きたら彼女を捨て、トロルの娘と婚礼寸前まで行くが逃げ出す。純情な女ソルヴェイと恋に落ちるが、彼女を待たせたまま放浪の旅に出る。山師のようなことをやって金を儲けては無一文になったり、精神病院で皇帝になったり遍歴した後に老いて帰郷する。死を意識しながら故郷を散策していると、ボタン職人と出会うが、彼は天国に行くような大の善人でもなく地獄に行くほどの大悪党でもない「中庸」の人間をボタンに溶かし込む役割の職人だった。「末路がボタン」というのだけは御免だと、ペール・ギュントは善悪を問わず自分が中庸ではなかったことを証明しようと駆けずり回るが、トロルの王も「やせた男」もそれを証明してくれなかった。彼は最後の証人として会ったソルヴェイに子守唄を歌ってもらいながら永眠する。

というものだそうです。やれやれ(^o^;)>poripori

聴いているのは、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏です。ただし、正規盤ではなくて、某中古書店で入手したソニーの名曲全集の分売で、FDCA-507 という型番のものです。取り上げられているのは、第1組曲の4曲と第2組曲のうち「ソルヴェイグの歌」のみ。曲順は、

第1曲「朝」
第2曲「オーセの死」
第3曲「アニトラの踊り」
第4曲「山の魔王の宮殿にて」
第5曲「ソルヴェイグの歌」

のようになっています。
ところが、オリジナルのLPや正規盤CDでは、

第1曲「朝」
第2曲「オーセの死」
第3曲「アニトラの踊り」
第4曲「ソルヴェイグの歌」
第5曲「山の魔王の宮殿にて」

のようになっています。つまり、ソニーの名曲全集では、編集者が(セル自身が許可した)オリジナルの曲順を変更して、ロマンティックに終わる形にしてしまっています。ところが、オリジナルな盤では、ロマンティックな「ソルヴェイグの歌」の後に、オーケストラの威力を存分に発揮する「山の魔王の宮殿にて」を配置し、スカッと終わる形になっています。セルの意図は、こちらでしょう。ここはやはり、オリジナルの曲順で聴きたいところですので、パソコンに取り込み、PCオーディオのメリットを生かして、プレイリストの曲順を変更して再生することとしましょう。

第1曲「朝」の冷涼な雰囲気は、真夏の朝の清涼剤です。第2曲「オーセの死」では、心打たれます。第4曲、「ソルヴェイグの歌」では、十分にロマンティックな歌を満喫します。第5曲「山の魔王の宮殿にて」のアンサンブルの精妙さには、思わず舌を巻きます。



有名曲であるにもかかわらず、記事にする角度が決まらずお蔵入りしていた音源でしたが、ふと気づいた曲順の違いから、逆に指揮者セルの音楽づくりを垣間見ることができたように思います。
コメント (2)

お盆の役割

2012年08月13日 06時05分18秒 | 季節と行事
以前、「田舎の旧盆の過ごし方」という記事(*)を書き、お盆の一日のあらましを紹介しました。当時は、亡父がまだ存命でしたので、不明なところは聞けばわかりました。ところが今は、私自身が世帯主であり、かつ寺の役員をしていますので、様子はだいぶ変わってきています。

まず、朝は8時前に役員が寺に集合し、受付等の準備をします。今年は当番ではありませんので、なんとかお参りの人たちが順調に流れるようになった時点でようやく家に戻り、自分の家での役割を果たすことになります。暑いからと、のんびり寝ているわけにはいきません。

さて、明日のお天気はどうでしょうか。予報では雨降りで、最高気温29度、湿度100%、とのことです。なんだかお墓参りには良い天気ではありませんが、なんとか晴れ間が出てくれることを祈りましょう。

(*):田舎の旧盆の過ごし方~「電網郊外散歩道」2005年8月

コメント

山響第223回定期演奏会でスメタナ、ベートーヴェン、ドヴォルザークを聴く

2012年08月12日 06時17分08秒 | -オーケストラ
お盆も近いというのに、連日の演奏会通いです。山形交響楽団第223回定期演奏会を聴きました。「チェコ国民楽派の英雄」と題して、

(1)スメタナ 連作交響詩「我が祖国」より「モルダウ」
(2)ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61 Vn:堀米ゆず子
(3)ドヴォルザーク 交響曲第7番ニ短調Op.70
  指揮:イジー・シュトルンツ、演奏:山形交響楽団
  会場:山形テルサホール

というプログラムです。

実は、あの3.11の時は、鶴岡市民会館で山響庄内定期のゲネプロの真っ最中で、このときの指揮者が、今回のイジー・シュトルンツさん。しかもプログラムが遠藤真理(Vc)さんとマルティヌーのチェロ協奏曲がベートーヴェンに変わったけれど、他の二曲はまったく同じです。その意味では、中止になってしまった定期演奏会の再演という意味合いが強いプログラムです。

開演前の指揮者のプレコンサートトークで、山響に客演するのは3度目で、最初は4年前に、ハンガリーの音楽を取り上げたこと、2度目があの earthquake(地震)とFukushima で中止になり、今回、音楽家たちとコミュニケートできることが最大のやりがいと感じていることなどを紹介します。聴衆の入りは最前列二列が空いており、85%くらいでしょうか。もう一つ、今回はオーケストラ団員の服装が正装ではなく夏向きのクールビズに、男性ならば上着をぬいで黒のシャツにノーネクタイというものです。節電のため冷房温度を高めに設定している昨今、演奏家も貴族の館の楽士スタイルでなくてもよいのでは、という発想はよく理解できます。



さて、団員が登場、「モルダウ」では、指揮者の左側から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスというオーソドックスな配置で、楽器編成は ピッコロ(1)、Fl(2)、Ob(2)、Cl(2)、Fg(2)、Hrn(4)、Tp(2)、Tb(3)、Tuba(1)、Timp、Perc.、Hrp に弦五部(10-8-6-6-4) というものです。
冒頭のせせらぎの音楽は、第1と第2ヴァイオリンのピツィカートに2本のフルートで始まるのですね。そこへホルンとヴィオラ等が味付けをして、次第に流れが大きくなる。フルートの2番に(足立さんでない)男性奏者が入っていましたが、客演の方のようです。その隣の女性奏者のピッコロが、嵐の場面では実に効果的です。最後はダイナミックに盛り上がりますが、弦の音色がとてもやわらかで美しいと感じました。

続いてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。配置は同じですが、楽器編成は若干変わり、Fl(1), Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(2), Tp(2), Timp., 弦5部(10ー8ー6ー6ー4) となります。
ティンパニに続く音楽の冒頭部で、木管に応じる弦楽の中で、指揮者は低弦の応答を充実しています。長い序奏の後、独奏ヴァイオリンが出てくるわけですが、この曲で作曲者は、2本のファゴットの役割を工夫しているようです。高橋あけみさんと鷲尾俊也さんのお二人が、実にいい味です。うーむ、やっぱり弦の響きにふっくらとした柔らかさが感じられます。
第2楽章、ひたすらヴァイオリン・ソロに酔いました。やっぱり名曲です。
第3楽章、堀米ゆず子さんの活力とエネルギーはすごい。「どーんとまっかせなさい!」という気合で、やわな男の子など、どやされたら小さくなってしまいそう。高橋あけみさんのファゴット・ソロにブラボー。Ob,Cl,Fg のトップたちの木管アンサンブルの響かせ方も、実にナイスなバランス!フィナーレも抑制のきいたグッドバランスで、ベートーヴェンが工夫した響きを堪能しました。
聴衆の拍手に応え、堀米ゆず子さんがアンコール。J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番第3楽章」。ベートーヴェンの熱演の後だけに、繊細な無伴奏がことさらに印象的でした。



ここで、15分の休憩になります。ホワイエでは、山響の新しいCDが先行販売されていましたので、飯森範親指揮山形交響楽団によるシューマンの「交響曲第2番・第3番"ライン"」を購入しました。



後半のドヴォルザークは、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(4),Tp(2),Tb(3),Timp,弦5部(10-8-6-6-4)という編成となります。ただし、トランペットは現代楽器を使用、クラリネットは2本ずつ持参しての演奏となります。このあたり、クラリネットは長さの決まった木管楽器ですから、調によって管を取り替えなければならない、ということなのでしょう。
さて、あえて再演するドボルザークの7番、スメタナの悲劇を越えて、かつてのチェコの英雄(たち)を思う音楽だと理解(*)していますが、世界を震撼させた東日本大震災の津波と福島原発事故の悲劇を前にしながら、なお音楽のオプティミズムを信じようとするメッセージかと思います。
第1楽章:アレグロ・マエストーソ。重厚な音楽です。山響の音が、実にバランス良く響きます。第2楽章:ポコ・アダージョ。弦のピツィカートの上にObとCl、それにFgも加わり、美しい音楽になります。憧れと希望。実に見事な楽章です。第3楽章:スケルツォ。ヴィヴァーチェ・メノ・モッソ。フリアントのリズムが魅力的な、スラブ舞曲みたいな音楽です。管の各トップの活躍。弦が、とくにヴァイオリンが、緊密なアンサンブルを聴かせながら、実にふっくらと柔らかです。第4楽章:フィナーレ、アレグロ。トロンボーンの出番。いつも思いますが、クラリネットがシャーロック・ホームズの番組のような旋律を奏で、当方お気に入りの箇所です。曲は次第に力が入ってきて、グッドバランスのまま盛り上がって終わります。



指揮者イジー・シュトルンツさんは、もともとヴァイオリン奏者だったらしい。現在は、ピルゼン国立歌劇場の首席指揮者とプラハ国立歌劇場の指揮者をつとめているそうです。なるほど、歌手の歌がしっかりと聞き取れなければならない舞台では、大きな音を積み重ねるのではなく、音を引き算して行って、声を浮かび上がらせる必要があります。そのために、金管楽器を控えめに、弦のソフトな響きを重視するように、オーケストラの響きのバランスを整える基準が少し違ってきているのかもしれません。また聴いてみたい、良い指揮者だと思います。

(*):ドヴォルザーク「交響曲第7番」を聴く~「電網郊外散歩道」2008年11月
コメント (2)

シェーネスハイムでフルートの演奏会を聴く

2012年08月11日 13時58分37秒 | -室内楽
山形県の最北端の町、金山町にあるシェーネスハイムで、近年毎年開催されているという演奏会「森の演奏会」に出かけました。「森の演奏会」といっても、別に森の中で演奏会を開くわけではなく、むしろホテルのレストランで、バイキング料理を食べた後でゆっくりと演奏を聴く、という趣向です。今回は初めての参加でしたが、なかなか楽しい演奏会でした。

プログラムは、次のようなものです。

(1) アンダーソン 「ザ・ペニーホイッスルソング」
(2) 成田為三 「浜辺の歌」
(3) チャイコフスキー 組曲「くるみ割人形」より
 「あし笛の踊り」、「花のワルツ」
~休憩~
ウォルト・ディズニー作品
(4) 「ミッキーマウス・クラブ」より「ミッキーマウス・マーチ」
(5) 「わんわん物語」より「ララルー」
(6) 「メリー・ポピンズ」より「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」
(7) 「ピノキオ」より「星に願いを」

(8) ショッカー 「2本のフルートのための3つのダンス」
  I:イージーゴーイング、II:ムーディ、III:コーヒーナーバス、プレスティッシモ

フルート:阿部太彦、菅紀子、ピアノ:田中ふみ子

聴衆との距離が非常に近いので、「浜辺の歌」では客席から数人に効果音係になってもらったり、ディズニー作品ではバグパイプにおもちゃを仕込んだり、フルートの阿部さん、なかなか楽しい趣向です。個人的には、最後のショッカーの三曲がとても良かった。ショッカーと言えば、某子ども向け特撮番組の悪役の名前ですが、もちろんそれではありません。現代のフルート奏者であり作曲家だそうです。曲は、難解な「ゲンダイオンガク」ではなくて、現代的なスピード感とリズム感に富む音楽と感じました。

今回は、妻の慰労のために宿泊としましたので、生ビールを飲んで温泉に入って、ゆっくり休みました。残念ながら、山の中のためにネット環境がなくて、定例の早朝更新はできませんでしたが、ロケーション、部屋、料金も含めて、好感の持てる宿泊地でした。
コメント (6)

佐伯泰英『惜櫟荘だより』を読む

2012年08月10日 06時02分34秒 | -ノンフィクション
佐伯泰英氏といえば、スペインの闘牛に魅せられたプロカメラマンにしてライターであったけれど、無名時代に、ある編集者の一言がきっかけで、文庫書き下ろしスタイルの時代小説作家となった売れっ子です。当方も、テレビがご縁で、『居眠り磐音江戸双紙』シリーズを、なかば呆れながら楽しみ、読みつづけてきています。

その佐伯泰英氏が、何を思ったか、岩波茂雄の熱海の別荘を買い取り、個人で修復を始めます。このあたり、部分的には岩波の『図書』の連載を通じて承知しておりましたが、こうして立派なハードカバーの単行本として読んでみると、なかなかおもしろい。『惜櫟荘だより』と題する本書は、平成の現在と昭和のスペインの回想を交互に描くような手法を交えながら、惜櫟荘の発見→調査→購入→修復→完成となるまでの過程を追っていきます。

スペインでの堀田善衛夫妻とのエピソードなどは、古き良き時代?の文士の姿を彷彿とさせるものかもしれませんし、児玉清さんの入院時のエピソード(p159)などは、思わず涙腺がゆるみます。



それにしても、岩波茂雄という人は、興味深い人物です。当方の恩師の一人、英語のG先生は、学生時代に、『岩波英和辞典』を作った田中菊雄先生の下で、単語や用例をカードに抜書して整理するお手伝いをしていたそうです。要するに苦学生のアルバイトです。熱心さを認められて、先生のお供をして東京の岩波書店に行ったとき、岩波茂雄氏から、今のお金にして数十万円のお金をいただいたそうな。そのとき言われた、「学生は、しっかり勉強をしてくださいよ。」という言葉が、ごく当たり前の言葉なのだけれど、生涯忘れられない、と語っていました。G先生もすでに亡くなられ、本当に寂しくなりました。

コメント (2)

ちょっと残念な内容だった「BUN2」8月号

2012年08月09日 06時04分27秒 | 手帳文具書斎
毎号楽しみにしているステーショナリーフリーマガジン「BUN2」ですが、8月号の特集は「文具で遊ぼう!!」というものでした。「遊ぶ」=「飾り付ける(デコる)」あるいは「カスタマイズ」 という趣旨のようで、シンプル派の中高年には、どこが楽しいのかよくわからない世界です。辛うじて理解可能なのは、スタイルフィットのような選んで組み合わせるタイプの筆記具ですが、残念ながらこれも女性向けに特化したものでヲジサン向きとは言えず、「黒+(予備)黒+赤」のジェットストリーム・スタイルフィットを愛用している中高年ユーザーには、いささか寂しく物足りない特集内容でした。

本当は、毎号かならず何かしら有益な情報があるものなのですが、残念ながら今号にはほとんど見当たりませんでした。次号に期待、です。

写真は、「BUN2」8月号と、JR東日本の「トランヴェール」8月号。こちらは、先日、山形新幹線の車内で入手したもので、「『おくのほそ道』の東北」をテーマに、宮城・山形がテーマになっています。
コメント

デスクトップPCのキーボードを交換する

2012年08月08日 06時03分26秒 | コンピュータ
自宅で日常用途に使っているデスクトップPC、ヒューレット・パッカードの Pavilion Slimline シリーズ、s3540jp/CT は、2008年の購入から4年を経て、トラブルなく順調に動作しております。このたび、かねて不満があった hp のキーボードを、他社製品と交換してみようと思い立ちました。

hp のキーボードの不満は、次のようなものでした。

(1) キートップの刻印がプリントで、すぐに剥げてしまう。
(2) キーボード全体の傾斜が浅く、平べったい形で、タイピングしにくい。
(3) ストロークが浅く、打鍵がたよりない。

ただし実際には、キーボードの重さがごく軽いので、持ち上げてどかすには便利だという面もありました。

今回、代替候補に選んだのは、今は亡きコンパックのキーボードです。濡れたタオルでホコリを拭き取り、消毒用アルコールでキーボードについた手垢を落としてやると、年代を感じさせない堂々たるものです。



キーボード全体の傾斜角度も適度で、ステップ・スカルプチャ・タイプのキーボードは、打ちやすく感じます。タイプ感はやや堅めですが、ずっしりと重いために、貫禄があります。昔のキーボードは、ずいぶん立派なものだったのですね。PC本体の色(黒)とキーボードの色(白)とはそぐわない面がありますが、しばらくこのキーボードで試してみましょう。

コメント

孫たちの夏休み

2012年08月07日 06時03分49秒 | 季節と行事
孫たちを連れて、娘が帰省しております。おかげで、たいへん賑やかです。この日は、外で花火をしました。少々喘息の気味がある孫のことを思えば、亜硫酸ガスの洗礼は避けたいところですが、一方で花火の思い出もない子供時代というのも可哀想です。で、「必ず風上に立つこと」を言い聞かせ、写真のように花火を楽しみました。



ちなみに、明るい四角の箱は、母親(娘)が夏休みの工作で作った「花火箱」。ろうそくを立てた木箱には底がなく、足元を照らしながら持ち運べるようになっています。地面に置けば、花火を点火する火種になります。側面には、娘が彫刻刀で一生懸命にヒマワリと花火の絵を彫ったのでした。我が家で今も唯一つ実用になっている夏休み工作の作品です。

コメント (2)

朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠』を読む

2012年08月06日 06時04分33秒 | -ノンフィクション
福島原発事故に関連した本が、かなりまとまって出版されるようになりましたので、様々な角度から取り組まれた本を、興味を持って読んでいます。これはまた、いかにも朝日新聞らしいルポルタージュです。朝日新聞特別報道部著『プロメテウスの罠~明かされなかった真実』(学研パブリッシング刊)を読みました。

本書の構成は、次のようになっています。

第1章 防護服の男
第2章 研究者の辞表
第3章 観測中止令
第4章 無主物の責任
第5章 学長の逮捕
第6章 官邸の5日間

第1章では、福島県浪江町津島地区が舞台です。大津波の被災者たちが、津島地区の人たちの炊き出しを受け、民間住宅を避難所として過ごしているところへ、防護服を着た謎の男が、早く今すぐ避難するように言います。福島第一原子力発電所が近い沿岸部の住民は、原発の危険性に思い至っていなかったのでした。
第2章は、NHKのドキュメンタリー(*1)でも報道された、研究者たちが放射能汚染地図をつくるために車で現地調査をする話です。SPEEDI による予測が行われたけれど、その情報は官邸に届かなかったことなどもここで明らかにされます。
第3章は、気象庁気象研究所でのケース。異常な放射能数値を示す最中に、観測中止令が出るという、信じられない話です。でも、信じられない話が現実に起こっているわけで。加えて、専門的研究の発表を非専門家の所長が阻むという驚きもあります。ここでも、「マスコミが騒いでパニックになることを心配」する偉い人が出てきます。
第4章は、内部被曝の問題を取り上げます。ゴルフ倶楽部が汚染除去を求めて仮処分を申し立てたのに対して、東電側は「原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。したがって東電は除染に責任をもたない」という主張だそうな。わーお、それなら井戸に二種類の薬品を入れ、内部で発癌物質が生成するようにした犯人も、同じ主張ができてしまうのでは。もともとは所有していなかった物質です、ということになりますから。
第5章は、ベラルーシ共和国での話。チェルノブイリ原発事故の後に、死亡した人を解剖し、臓器ごとにセシウム137の量を調べるなど、内部被曝の状況について研究していた医科大学の学長が突然逮捕されます。高線量被曝は問題だが低線量被曝は問題無しとする立場が崩れてしまいかねない研究だったからでしょう。それにしても、まず事実を明かにするということがもっとも大切なのでは、と思います。その意味で、食物の汚染を調べられる測定器が各小学校区ごとにある、という彼の国の体制は、参考になります。ポケット線量計では、食物の汚染度は測れません。
第6章は、官邸における動きを跡づけています。依然として不明な点も多いのですが、なぜか前首相がバッシングを受けている様子は、原子力に反対する勢力は何でも利用して引きずり下ろしてしまう、という動きにも見えてしまいます。



本書を読んで感じたこと。観測したデータが職務上の秘密にあたるといいますが、研究組織の存立の理念に抵触するのでは。研究者が単なる作業員になってしまうような組織機構は、たぶんあり方としておかしいでしょう。また、SPEEDIの予測がなぜ生かされなかったのか。ど素人の私でさえも、3月20日頃には、新聞に発表された観測データから、北西に広がる汚染の分布を予測(*2)していました。今となっては結果論ですが、SPEEDIの予測データを持つ原子力安全・保安院の責任者は、なぜ総理大臣に進言し、住民の被曝量を減らすようにしなかったのか。どう考えても、おかしな話です。

(*1):ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月」を観る~「電網郊外散歩道」2011年5月
(*2):各地で観測された放射線量のデータをどう見るか~「電網郊外散歩道」2011年3月
コメント (2)

テレマン「6つの四重奏曲《1730年ハンブルク版》」を聴く

2012年08月05日 06時03分25秒 | -室内楽
テレマンという作曲家は、生前は大バッハをしのぐ人気と尊敬を受けていたらしいのですが、今やその立場はすっかり逆転し、わずかに「食卓の音楽」という王侯貴族のための背景音楽をたくさん書いた職人的音楽家というイメージです。ところが、実際にテレマンの音楽を聴いてみると、音楽の多彩な楽しさ、愉悦感といったものを感じます。この「6つの四重奏曲《1730年ハンブルク版》」は、最初に出版されたテレマンの四重奏曲集だそうですが、同様に多彩な魅力を持った音楽です。

題名の「6つの四重奏曲」というのは、コンチェルトを二曲、ソナタを二曲、そして組曲を二曲、合計で六曲というものです。もちろん、コンチェルトといってもオーケストラと独奏楽器によるものではありません。ソロとアンサンブルの対比は、あくまでも四人の奏者による室内楽の範囲内のもので、このCD(DENON COCO-70523)では有田正広のフラウト・トラヴェルソ、寺神戸亮のバロック・ヴァイオリン、上村かおりのヴィオラ・ダ・ガンバ、クリストフ・ルセのチェンバロの四重奏となっています。

第1番:コンチェルト 第1番ト長調 3楽章
第2番:コンチェルト 第2番ニ長調 3楽章
第3番:ソナタ 第1番イ長調 4楽章
第4番:ソナタ 第2番ト短調 4楽章
第5番:組曲 第1番ホ短調 6曲
第6番:組曲 第2番ロ短調 5曲

ゆったりと始まるコンチェルト第1番と軽快で表情豊かなコンチェルト第2番のように、演奏は明解な対比を示します。音色は親しみやすく自然なものですが、たぶん技術的には高度なものを要求されるのでしょう。添付のリーフレットには、本作品が1736年にはパリでも出版されて評判となり、パリの音楽家たちに招かれて生涯ただ一度のパリ旅行を行う際の成果がパリ四重奏曲集(*1)である、という事情が記載されています。

1995年8月、フランスのカストル近郊にあるサント・イボリット教会でのデジタル録音は、たいへん自然な優れたものです。Ariare原盤による本CDはDENONのクレスト1000シリーズ中の1枚で、古楽の名手たちの演奏は魅力的です。

ところで、コンチェルトは3楽章、ソナタは4楽章、組曲は、第2番のほうは5楽章というか5曲から成っているけれど、ふつうは6つの舞曲からなる、いわば6楽章。3,4,6の最小公倍数は12です。以前、なぜ12曲?という疑問を記事にした(*2)ことがありますが、ここでも登場する不思議な数字12。たいへん興味深いものです。

(*1):テレマン「パリ四重奏曲」を聴く~「電網郊外散歩道」2012年6月
(*2):1ダースなら安くなるってもんじゃない~「電網郊外散歩道」2005年9月
コメント

猛暑御見舞い申し上げます

2012年08月04日 06時02分36秒 | アホ猫やんちゃ猫
今年は「普通の夏」だったはずなのに、なぜか亜熱帯なみの猛暑が続きます。亜熱帯には縁のない我が家の天然高級毛皮族、別名アホ猫たちには、たいへん酷な季節です。



涼しいところを探すのは天才的な娘猫は、風通しの良い廊下に長くなり、静かに涼んでおりました。そこへ飼い主がカメラを手に現れたものですから、また何か悪さをされるのかと警戒して、立ち上がろうとしております。いや、今はかまっている暇はないんだけど(^o^)/

連日、お暑うございます。皆様、どうぞお元気でお過ごしください。

--
■■■ 電網郊外散歩道:narkejp:2012 夏 ■■■

コメント (4)

椎名誠「『十五少年漂流記』への旅」を読む

2012年08月03日 06時02分05秒 | -ノンフィクション
新潮選書で、椎名誠著「『十五少年漂流記』への旅」を読みました。以前、高橋大輔著『ロビンソン・クルーソーを探して』という本を興味深く読みましたが、同様にジュール・ヴェルヌが想定した『十五少年漂流記』の舞台チェアマン島のモデル探しです。

原作で明らかにされている、南米チリのハノーヴァー島は、実際に行って見ると、島々が入り組んでおり、孤島ではないことから、兵庫県の園田学園女子大学の田辺眞人教授が『ニュージーランド研究』に発表した「チャタム島」説を、実際に確かめに行く話です。

本書p.176~177の二つの図版、チェアマン島とチャタム島の地図を眺めていると、ヴェルヌが様々な思いをめぐらしながら物語を構想する様子を想像し、楽しくなります。作劇術上の要請から、舞台を南米に移したとしても、それはそれで理解の範囲です。

結論はいたって明解で、なるほどと思いますが、それに至るまでの道中は、なんともサバイバル旅行です!もしかしてこの取材チームは、大学の山岳部か探検部のOBたちなんじゃなかろうかと思ってしまいます(^o^)/

ロンドン・オリンピックの最中にもかかわらず、ジャクリーン・ケリー著『ダーウィンに出会った夏』に続き、読書感想文指定図書みたいな本が続きます。これはやはり、若い頃の潜在意識のなせるわざでしょうか(^o^)/

コメント

ウォーターマンの万年筆にコンバータをつけてパーカーのブルーブラックで

2012年08月02日 06時01分06秒 | 手帳文具書斎
パイロットのカスタム(M)を黒インク用に、ウォーターマンの万年筆<M>をブルーブラック用に、使い分けておりましたが、どうもウォーターマンのブルーブラックが気に入りません。書いた直後は、青黒い筆跡で好印象なのですが、だいぶ後に読み返す時には、すっかり「緑化」してしまっています。これはどうもウォーターマンのブルーブラック・インクの特徴らしい。気になりはじめると気になるものですから、パイロットの色彩雫シリーズ「紺碧」を購入したのを機会に、コンバータを注文しました。すると、カタログ定価は1本1,000円だそうな。この円高の時代ではありますが、どうも舶来文具の世界は、国際経済とは別の動きをしているようです(^o^)/

それはともかく、まずはじゅうぶんに水洗い。



水を何度も取り替えて、色が出なくなったところで乾かし、コンバータを取り付けます。



そこで、はたと考えました。これまで黒とブルーブラックを中心に使ってきたのだから、やはりブルーブラックを入れるべきではないのか?

たしかに、鮮やかに明るい「紺碧」と中字の組み合わせは、いささか日常用途とはずれています。そこで、



愛用のパーカー Quink ブルーブラックを入れてみました。うん、これなら用途を選びません。中字で「紺碧」は、また別の方策を考えましょう(^o^)/

コメント