電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

石井宏『天才の父:レオポルト・モーツァルトの青春』を読む

2012年08月16日 06時05分23秒 | -ノンフィクション
石井宏著『天才の父:レオポルト・モーツァルトの青春』(新潮社、2008年)を読みました。映画「アマデウス」に見られるような、謹厳実直・厳格な父のイメージが強いレオポルト・モーツァルトですが、実像はどんなふうだったのだろうか。ちょいとそんな興味がわきまして。

本書の構成は、こんなふうになっています。

プロローグ 出自
第1章 ジュリアン・ソレル
第2章 イーカロスの墜落
第3章 雌伏
第4章 夜のオルペウス
第5章 アウローラ


「出自」という題名のプロローグでは、いきなり「大事なことは、モーツァルト家というのは、そうした、名もなく貧しい雑草の出自だということである。」(P.6)とされ、また第1章では、ハイドンの青年時代の空白期についても言及されています。たとえば、こんなふうです。

十六歳か十七歳で、彼は声変わりしたため、聖シュテファン大聖堂の聖歌隊をクビになった。それからの十年あまりを彼がどうやって暮らしていたのかはよくわからない。ハイドンの生涯の中で、最もあいまいな部分である。ハイドンも語りたがらない。もっぱらの説は、当時のウィーンで流行っていた"流し"のバンドに入っていたのだろうという推測である。ラテン系の国で、"セレナーデ"といえば、女の窓の下で男が歌うラヴ・ソングのことだが、十八世紀のウィーンでは、その言葉は器楽のバンド、"流し"楽隊のことだった。ハイドンは酒場や街頭の"流し"の楽隊の一員となって彼の青春を食いつないだようである。(P.21)
  (中略)
いずれにせよ、故郷に帰ることなく、放浪の楽士たちの仲間になったハイドンは、苦節十年余を経て、モルツィン伯爵家の小さな楽隊の"楽長"として音楽史の上に姿を表すのである。(このモルツィン家の楽隊はほどなく財政難で解散となるが、このときハンガリーの大貴族エステルハージ家の楽長のウェルナーが高齢だったため、その補佐役としてエステルハージ家に引き取られたのが、ハイドンの生涯の最大の幸運となった。(p.25)

ここで示されるのは、貴族社会の中で楽士たちの置かれた立場が極めて低いものであったこと、音楽もまた、社交や実用の背景音楽であったこと、などでしょう。

第2章「イーカロスの墜落」:生涯に二度もレオポルト・モーツァルトを襲った濡れ衣による不運は、まったくひどいものです。一回目の、彼が大学を退学になってしまういきさつは、どうやら一緒に入学した、市長で行政長官の長男も一緒に退学になっているところをみると、息子の政治的あるいは思想的な不行跡を隠蔽する為にレオポルトに罪をなすりつけたためではないかと考えます。このあたりは、推理小説で言われる、最も利益を得るものが犯人だ、という方式による推定ですが。
いずれにしろ、査問委員会の通知が手元に届かなかったために、弁明の機会もなく退学となったレオポルトは、教官の一人グレフュール神父に訴えますが、退学の理由は判然としません。どうも、大きな力が働いているようなのです。とりあえず、グレフュール先生のおかげで修道院に宿泊して当座をしのぎ、トゥルン伯爵家の楽士長として、六人の楽士たちの取りまとめ役をすることになります。出発に当たってグレフュール先生が与えてくれたはなむけの言葉は、苦く温かく痛烈です。

第3章「雌伏」:伯爵邸での生活は、従僕長のレオナルディの好意もあり、苦労はありますが、忍耐強く着実なものとなりました。作曲を続け、その中から三重奏曲六曲を伯爵に献呈します。大切なお客が来訪する晴れの日に、この曲が演奏されることになりますが、日頃から折り合いの悪い第一ヴァイオリン奏者のヴェールデは嫌がらせを企てます。「銀貨を使え」というセバスティアーノの助言は、確かでした。そしてレオナルディが辞職引退するのを契機に、ザルツブルグ大司教の宮廷オーケストラの第四席の楽員の話が出てきます。

第4章「夜のオルペウス」:レオナルディは去り、オーケストラの中で演奏する平凡な日々が続きます。レオポルトは、今の生活から抜け出すのは無理なのではないかと落ち込みます。そこへ、レオナルディが手紙で縁談を報せてきます。仲人好きのマルシュナー夫人ことフランツィスカに押しきられて会ってみたら、相手の娘アンナ・マリア・ペルトルは、たいへん魅力的で好ましい女性でした。レオポルトは結婚し、家庭の幸せを得ます。

第5章「アウローラ」:レオポルトは、独自に考案したヴァイオリンの教程を本にして出版することになります。それは、独創的で画期的なものでした。喜びの中にもう一つの喜び=赤ちゃんの誕生が続きます。あやうく母親の命を落とすところだった赤ん坊は、ヴォルフガングと命名されます。むろん、ヴォルフガング・アマーデウス・モーツァルトです。



18世紀の絶対主義の時代に、階級のくびきから脱することを夢見た青年の苦闘として父レオポルトの青春をとらえ、愛息ヴォルフガングの誕生までを描く物語です。スタンダールの『赤と黒』のジュリアン・ソレルに擬して語られる父レオポルトの半生は、それだけで立派なドラマです。

コメント (2)