
ヴィヴァルディの「四季」を含む協奏曲集「和声と創意への試み」の曲数がどうして12曲なんだろう、という素朴な疑問。ヴィヴァルディが指導していた、聖ピエタ養育院の少女達からなる40名の合奏団(*1)のヴァイオリン奏者の中で、12名が交互にソロを演奏するように、協奏曲を工夫したと考えた。これは、別に根拠があるわけでもなんでもなく、単に現代の演奏会のように一人だけがソロを担当すると、特定の少女へのえこひいきのようになり、運営バランス上まずいのではないか、と考えたからである。苦労人のヴィヴァルディ、そんな下手な対応はしないのではないか、という推測だ。
(*1): 皆川達夫氏の著書『バロック音楽』(講談社現代新書)によれば、1739年、ある旅行者の記録として、「すばらしいのは孤児院の音楽です。(中略)生徒はみな女子で、庶子、孤児、養育能力のない親の子からなっています。彼女らは国の費用で養育され、もっぱら音楽をしてまわっています。そのうえ、彼女らは天使のように歌い、ヴァイオリン、フルート、オルガン、オーボエ、ファゴットなどを演奏します。要するにどんな楽器でもこわがりません。彼女らは修道女のように閉じこもって生活をしています。彼女たちだけで演奏し、毎演奏会に40名参加します。(後略)」(p.123)とある。
それはさておき、考えて見ればなぜ12曲なんだろう?ヴィヴァルディの協奏曲は、作品3の「調和の霊感」も作品9の「和声と創意への試み」も、全部で12曲からなっている。コレルリ(1653-1713)の合奏協奏曲集作品6も、全部で12曲だ。これに対し考えられるのは、
(1)1年が12ヶ月からなることを表わしている
(2)教会での音楽であるから、キリストの12人の使徒にちなんでいる
(3)1オクターブが黒鍵を含め12の音からなることを表している
(4)その他
というところか。楽譜出版等における西欧の習慣には全く知識がないので、実に漠然としたものでしかないが、先に掲載した「ヴィヴァルディは女子校音楽部の顧問の先生」という記事(*2)に対するSchweiter_Musikさんのコメントにあるとおり、その後の古典派の時代にはこれが6曲を1セットとするように変化して行くようだ。ハイドンの太陽四重奏曲集(Op.20)や「ひばり」を含む作品64、「皇帝」を含む作品76も、モーツァルトのハイドン・セットも半ダース組である。ベートーヴェンは初期の作品18は半ダースだが、中期のラズモフスキーあたりでは4分の1ダースの3曲になる。でも4楽章×3曲=12楽章だからいいことにしたという考え方もできる。シューマンやブラームスは、そういう慣習面から見ても、古典派に通じるところがあるのかもしれない。
(*2): 「ヴィヴァルディは女子校音楽部の顧問の先生」
そのベートーヴェン、後期になると「1ダースなら安くなるってもんじゃない」とかなんとか言って、その習慣を破棄したのだろうか。このあたりも、もしかしたら革命家ベートーヴェンの面目躍如たるものがあるのかもしれない。
(*1): 皆川達夫氏の著書『バロック音楽』(講談社現代新書)によれば、1739年、ある旅行者の記録として、「すばらしいのは孤児院の音楽です。(中略)生徒はみな女子で、庶子、孤児、養育能力のない親の子からなっています。彼女らは国の費用で養育され、もっぱら音楽をしてまわっています。そのうえ、彼女らは天使のように歌い、ヴァイオリン、フルート、オルガン、オーボエ、ファゴットなどを演奏します。要するにどんな楽器でもこわがりません。彼女らは修道女のように閉じこもって生活をしています。彼女たちだけで演奏し、毎演奏会に40名参加します。(後略)」(p.123)とある。
それはさておき、考えて見ればなぜ12曲なんだろう?ヴィヴァルディの協奏曲は、作品3の「調和の霊感」も作品9の「和声と創意への試み」も、全部で12曲からなっている。コレルリ(1653-1713)の合奏協奏曲集作品6も、全部で12曲だ。これに対し考えられるのは、
(1)1年が12ヶ月からなることを表わしている
(2)教会での音楽であるから、キリストの12人の使徒にちなんでいる
(3)1オクターブが黒鍵を含め12の音からなることを表している
(4)その他
というところか。楽譜出版等における西欧の習慣には全く知識がないので、実に漠然としたものでしかないが、先に掲載した「ヴィヴァルディは女子校音楽部の顧問の先生」という記事(*2)に対するSchweiter_Musikさんのコメントにあるとおり、その後の古典派の時代にはこれが6曲を1セットとするように変化して行くようだ。ハイドンの太陽四重奏曲集(Op.20)や「ひばり」を含む作品64、「皇帝」を含む作品76も、モーツァルトのハイドン・セットも半ダース組である。ベートーヴェンは初期の作品18は半ダースだが、中期のラズモフスキーあたりでは4分の1ダースの3曲になる。でも4楽章×3曲=12楽章だからいいことにしたという考え方もできる。シューマンやブラームスは、そういう慣習面から見ても、古典派に通じるところがあるのかもしれない。
(*2): 「ヴィヴァルディは女子校音楽部の顧問の先生」
そのベートーヴェン、後期になると「1ダースなら安くなるってもんじゃない」とかなんとか言って、その習慣を破棄したのだろうか。このあたりも、もしかしたら革命家ベートーヴェンの面目躍如たるものがあるのかもしれない。










記事を拝見して思い出しましたが、確かこの「四季」を初めて聴いた時に12曲は月を表しているのかな、と漠然とかんがえたものです。確かに、私が今まで聴いてきた他のコンチェルトも3楽章構成のものが多いですね。それにしても、12にちなんだケースがこれだけ考えられることに驚きました。(1)〜(3)に当てはまっていたら面白いですね。
私からもTBさせて頂きました!
安定感と言えば、イ・ムジチです^^。
カルミレッリ盤でTBさせていただきますね。
でも、キリストの使徒が12人で、干支が十二支。なんか、1年が12ヶ月を、古代の人が天体の運行から割り出して、「12区分だとうまくいきそうだよ」なんて言ってる様を想像してしまいますね。そのとき以来、これで全部、というのが12になったとか(^_^;)>poripori