電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

『古代への情熱~シュリーマン自伝』を読む

2010年11月15日 06時02分19秒 | -ノンフィクション
読書の秋のせいか、近ごろ古典づいています。『宝島』『二十四の瞳』等に続き、角川文庫で『古代への情熱~シュリーマン自伝』を読みました。

若い時代のシュリーマンの不遇は、たいへんなものです。家庭的な境遇も良いとは言えず、本人の運も悪い。でも、窮すれば通ずで、書物の丸暗記という破天荒な語学修得法で、商売の道を駆け上がります。まあ、簡単に言えばクリミア戦争の際の武器密輸で大儲けをした、ということでしょうか。しかし、シュリーマンと死の商人との違いは、子どもの頃に読んだギリシア神話の、トロイア戦争の記述が歴史的事実だと信じていたことでした。財をなしたシュリーマンは、若い夫人とともに、信じた場所の発掘を開始します。そしてそれが、歴史的大発見の幕開けとなったのでした。

ご存知シュリーマンの『古代への情熱』です。中学生のときに一度読んで以来、半世紀近く過ぎてからの再読は、しみじみと時の流れを感じます。古代の遺跡は廃墟であるが故に不変ですが、私たちの生活はどんどん変わっていくのですね。個人にとって、永遠不変なものが望ましいとは限らない。日々の生活の中で移ろいゆく時の流れこそが、個人にとっては価値あるものだと思うようになりました。少年時代には、そんなことは思いもしなかったのでしたが。

秋の日に、少年時代の読書を再度ふりかえる味わいは、なかなか良いものです。
コメント

この夏は、ブユの被害が発生した

2010年11月14日 06時05分13秒 | 週末農業・定年農業
猛暑だったこの夏には、久しく聞かなかった虫の名前が、近所でひとしきり話題になりました。ブユです。当方が子どもの頃はブユが多く、畑でブユに刺されると、しばらくは痒くて閉口したものでした。でも、高度経済成長と平行するように減少していき、高校時代には「妙高高原のブユ退治」などという文章が国語の教材に登場するほどで、悩まされることは少なくなっていきました。たぶん、残留性の強い殺虫剤が広範囲に何度も散布されたために、ブユの個体数が激減していったためと思われます。このへんの事情は、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』に描かれたとおりだと思います。

ところが、最近は、農薬の傾向も変化しており、どんな虫も殺してしまうような強い殺虫剤は使われなくなり、果樹園農業も抗菌剤が主体になってきました。おまけに、なぜか黒っぽい小型の野鳥が目立つ反面、ブユ類の伝統的な捕食者であるスズメが目立って減少しています。そんなことから、久々のブユの復活となったものでしょうか。

近所の農家の人は、ブユに何ヶ所もひどく刺されて、病院に行ったとのことでした。ブユが増加しているくらいですから、薮蚊も増えているのでしょうか。公衆衛生上の問題となる病気を媒介するようなことが起こらなければよいのですが。都会の側溝には、亜熱帯から侵入した毒クモがすでに定着しているとか。幸い、雪深い当地には侵入できないようで、雪国の冬の寒さが防壁の役割を果たしているようです。週末農業ではありますが、農業後継者としては、温暖化に伴う昆虫界の様相の変化が、少々気になります。
コメント (2)

デュ・プレの演奏でディーリアスの「チェロ協奏曲」を聴く

2010年11月13日 06時02分47秒 | -協奏曲
エルガーのチェロ協奏曲を目当てに購入したジャクリーヌ・デュ・プレ盤を、通勤の音楽として繰り返し聴いていると、振幅の大きい演奏が、エルガーの音楽をダイナミックに表現していることがよくわかります。と同時に、併録されたディーリアスのチェロ協奏曲が、これもまた素敵な演奏、音楽です。あまりおなじみではなかったこの音楽に親しむきっかけとなり、若い頃は心惹かれなかった英国音楽の魅力を再認識しました。

曲は、レント~コン・モート・トランクィロ~レント~コン・モート・トランクィロ~アレグラメンテと、全曲が切れ目なく演奏されます。最初のごく短い「レント」で、デュプレのチェロが魅力的に登場すると、ハープを含む多彩な管弦楽の響きが移り変わる中で、独奏チェロが、ゆらぐように優しく歌います。この気分は、たぶん刻苦精励型とは違う、遊び人の優しさに通じるのかも(^o^)/
ゆったりしたテンポで展開される音楽に浸っていると、手足を伸ばしてまどろむような気持ちよさがあります。

ディーリアスは、1862年、英国で羊毛会社を営むドイツ人の両親の間に生れ、1934年にパリで没しているとのこと。家業を継ぐのが嫌でアメリカに渡り、音楽院に入学したのは成人してしばらくしてからでした。30代半ばまで芽が出ず、おそらくボヘミアンな生活を送ったのでしょう、晩年は梅毒による脊髄瘻で車椅子生活となりました。時代的には、サルヴァルサンの発明(1910年)の恩恵にあずかるはちょいと早すぎた世代かと思われます。

イギリスの指揮者ビーチャム卿は、ディーリアスの音楽を支持し紹介したことで知られていますが、このCD(EMI TOCE-14049)では、同国・やや若い世代の指揮者サージェントが指揮するロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団がバックをつとめています。録音は1965年で、御大サージェントは貫禄の70歳、デュ・プレはといえば、恐れを知らない21歳。彼女は、16歳の劇的デビューから難病発症までの10年間の、ちょうど中間頃の時期です。エルガーの劇的な悲壮感もいいけれど、このディーリアスの、たゆたうような優しい響きも、実にいい演奏、録音です。
コメント

長引いた咳がようやく止まる~吸入ステロイドが決め手だった

2010年11月12日 06時05分28秒 | 健康
30代あたりから、風邪をひくと咳が長引く傾向がありました。医者に行き咳止めをもらい、一ヶ月ほどかかっておさまるようなことが毎年ありました。50代になって、一ヶ月ではおさまらなくなり、数ヶ月かかることもあり、これは普通の風邪による咳ではないと感じるようになりました。逆流性食道炎に由来する慢性気管支炎や後鼻漏、あるいは咳喘息など、いろいろな可能性を検討しました。しかし、半年経過してもいっこうに改善の気配がなく、近ごろは風邪気味で、夜中の激しい症状が再現しておりました。先日、治療方針を立てていた某呼吸器内科に行き、消去法で次の可能性を探り、吸入ステロイドのお試しパックを処方してもらいました。朝晩2回、2週間分、28回。そしてその結果は・・・

春からずっと、夜中に激しく咳き込むことがあり、演奏会などでも咳をこらえるのが苦しかったのが、ほとんどおさまって、たまに咳払いをする程度に。劇的です。そうか、喘息を発症していたのか。

現在、治療的診断ですが、と吸入ステロイドを継続中。少々声帯が赤くなり、声がかすれておりますが、毎日うがいを欠かさず、好酸球の活動と根気よく対応していこうと思います。耳鼻科でアレルギー性鼻炎の様子を見てもらったところ、内視鏡およびエックス線写真では、副鼻腔はきれいだそうです。すると、ますます後鼻漏の可能性はうすいことに。投薬方針も変わりました。アルピード錠を1日1錠、テオドール錠を1日3回1錠ずつ、アドエア250を朝晩の2回、となりました。

さあ、これで気兼ねなく演奏会に行けるぞ。まずは11月20日(土)の山響第208回定期演奏会だな。飯盛範親指揮山形交響楽団、中丸三千繪さんの共演で、イベール、ミヨー、プーランクというプログラム。楽しみです。
コメント (6)

上山明博『ニッポン天才伝~知られざる発明・発見の父たち』を読む

2010年11月11日 06時04分40秒 | -ノンフィクション
過日、購入していた本で、上山明博著『ニッポン天才伝~知られざる発明・発見の父たち』を読みました。B6判、280頁ほどの朝日選書の1冊ですが、内容は充実しています。当方、「化学の父 桜井錠二~百年後の日本を目指した化学者」という章や、「蓄電池の父 島津源蔵~日本のエジソンと謳われた発明王」などの章が目当てて読み始めましたが、初めて知ることも多く、他の章もすっかり読みふけってしまいました。

内容は、次のとおりです。

■化学の父 桜井錠二 百年後の日本を目指した化学者
■アドレナリンの父 高峰譲吉 アメリカンドリームを体現した男
■酸化酵素の父 吉田彦六郎 ジャパンを研究した日本人
■ビニロンの父 桜田一郎 高分子化学のパイオニア
■飛行機の父 二宮忠八 ライト兄弟に先駆けた男
■蓄電池の父 島津源蔵 「日本のエジソン」と謳われた発明王
■放送の父 安藤博 「東洋のマルコーニ」と言われた天才少年発明家
■地震学の父 大森房吉 関東大震災に殉じた地震研究の世界的権威
■天気予報の父 藤原咲平 本邦初のお天気博士
■竜巻研究の父 藤田哲也 「ミスター・トルネード」と呼ばれた竜巻博士
■ペースメーカーの父 田原淳 心臓が動く謎に挑んだ解剖学者
■胃カメラの父 杉浦睦夫 胃袋の闇に光を当てた光学技師
■類体論の父 高木貞治 「数論の神様」と称された現代数学の巨人
■特殊合金の父 増本量 現代の錬金術師
■量子統計力学の父 久保亮五 湯川秀樹とノーベル賞を競ったもう一人の天才
■ゲル科学の父 田中豊一 生命の起源に挑んだ五十四年の生涯

この中でも、高峰譲吉や島津源蔵、桜田一郎の各氏については、わずかの予備知識はありましたが、その他の方々の具体的な事績については、当然のことながらほとんど初めてと言ってよい状態です。先人の努力と業績に、あらためて感動するばかりです。



ただし、編集のしかたというか、項目の立て方については、「○○の父」ばかりで母親がいなければ、その後を受け継ぐ子供は生れないだろうに、などとアホな突っ込みをしてしまいました(^o^;)>poripori
コメント

赤トンボもひなたぼっこがしたかったのでしょう

2010年11月10日 06時04分06秒 | 週末農業・定年農業
お天気のよい休日は、日向に出て畑仕事をします。剪定枝の焼却、農業機械や設備の冬支度など、様々な仕事があります。そんな中で、ふと足元を見ると、



おや、私の足で、誰かが「ひなたぼっこ」をしているようです。拡大して撮影してみました。



赤トンボ君、作業服は、居心地がいいのかい?

うん、これで私が文字通り人畜無害であって、「虫の好かない奴ではない」ことが証明されました(^o^)/
コメント

剪定枝を焼却する

2010年11月09日 06時03分54秒 | 週末農業・定年農業
過日、柿の収穫のついでに、真上に伸びてきていた枝の剪定をしました。柿の枝は、中身がスカスカですので、ハサミで切るのもノコギリで切るのも容易です。おかげで、たくさんの剪定枝がでました。
都会とは違い、当地では条例で果樹剪定枝の焼却処分ができます。今の時期、焚き火がありがたい陽気です。畑の一角に剪定枝を集めて、半日かけて焼却しました。

枝を燃やすにも、実はコツが必要です。ただむやみに積み上げたのでは、隙間が多すぎてよく燃えません。一番下に、よく乾燥した薪材を少し積み、その上に剪定枝を重ねていきます。枝は、できるだけ側方へ伸びた小枝を落とし、密集して積み上げるようにします。落葉などを重ねて、できるだけ隙間を少なくするのが効率的です。

準備ができたら、新聞紙などを適当な大きさに破って筒状に丸め、一番下の薪材のところに数本突っ込んでおきます。これにマッチで点火して燃え始めたら、薪材に燃え移るまで筒状にした新聞紙を補給します。うまく燃え始めたら、熱が一ヶ所に集まるように、一点集中で燃やします。全体に火が回ったら、あとは勢い、時間の問題。なんだか年寄りじみていますが、燃える火を眺めながら畑で過ごす時間は、けっこう楽しいものです。



さて、「通勤の音楽」の新しい曲目を探さなければなりません。今週は、何にしようかなぁ。
コメント

オーマンディのCBS録音で、ヘンデルの「メサイア」(ハイライト)を聴く

2010年11月08日 06時03分35秒 | -オペラ・声楽
若い頃にLPを入手し損なっていた録音がCDになっていると、前後を顧みずに衝動買いしていた時期がありました。とくに、輸入盤が安価に並んでいたりすると、添付の解説書が英文であることも忘れ、レジに並んでしまいました(^o^;)>
そんなふうにして購入したものの一つが、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団他による、ヘンデルのオラトリオ「メサイア」です。1960年代末~70年頃には、CBS-SONY から SONW-20067~68 という型番の二枚組で再発売されておりました。当時、ひそかにねらってカタログに赤丸印を付けてはいたものの、寂しい懐と優先順位の関係で見送られ、やがて時代はCDへ。




ありがたいことに、二枚組のLPが、ハイライトCDでは一枚に収まります。わざわざLPをひっくり返したり交換したりすることなく、ヘンデルの音楽に浸ることができます。この録音は、ヘンデルの「メサイア」全曲ではありませんが、オーマンディとフィラデルフィア管の優れた演奏を楽しめるのですから、当分これで大丈夫だろうという、軟弱な素人音楽愛好家らしい発想(^o^;)>poripori

収録されている曲は、次のようになっています。日本語訳は、Wikipedia の「メサイア」から、該当するものを拾いました。

■第1部 メシア到来の預言と誕生、メシアの宣教
1. 合唱: And the glory of the Lord こうして主の栄光があらわれ
2. 叙唱(コントラルト): Behold, a virgin shall conceive 見よ、おとめが身ごもって
3. アリア(コントラルト)と合唱: O thou that tellest good tidings to Zion よきおとずれをシオンに伝える者よ
4. 合唱: For unto us a Child is born ひとりのみどりごがわれわれのために生れた
5. Pifa: Pastoral Symphony 田園交響曲
6. 合唱: Glory to God in the highest いと高きところでは、神に栄光があるように
7. 二重唱(コントラルトとソプラノ): He shall feed His flock like a shephard 主は羊飼いのようにその群れを養い
8. 合唱: His yoke is easy 彼のくびきは負いやすく
■第2部 メシアの受難と復活、メシアの教えの伝搬
9. 合唱: Behold the Lamb of God 見よ、世の罪を取り除く神の子羊
10. アリア(コントラルト): He was despised 彼は侮られて
11. 合唱: All we like sheep われわれはみな羊のように迷って
12. 合唱: Lift up your heads 門よ、こうべをあげよ
13. アリア(バス): Why do the nations なにゆえ、もろもろの国びとは
14. 合唱: Hallelujah ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は
■第3部 メシアのもたらした救い~永遠のいのち
15. アリア(ソプラノ): I know that my Redeemer liveth わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる
16. アリア(バス): The trumpet shall sound ラッパが響いて (Tp. solo:Gilbert Johnson)
17. 合唱: Worthy is the Lamb ほふられた小羊こそは

アイリーン・ファレル(Sop.)、マーサ・リプトン(Contralto)、ウィリアム・ウォーフィールド(Bass-Bar.)、モルモン合唱団、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団による、いや~、実に圧倒的な演奏です。1958年11月&1959年3月にステレオ録音されたとクレジットされていますが、録音会場がおもしろい。なんと、コンサートホールではなく、フィラデルフィアのブロードウッド・ホテル(*1)だそうで、驚きです。

現代の大オーケストラと独唱者、それにモルモン合唱団という大きな合唱団が一斉に収録できる場所ということで選ばれたのでしょうが、全休止時の残響の様子から想像するに、けっこうな容量の会場のようです。大勢のメンバーが集まる録音スケジュールの面から、宿泊先のホテルで収録するのが一番合理的だったのかもしれませんが、いったいどんなホテルなのやら。ビッグ志向のアメリカの、とりわけ裕福だった東部フィラデルフィアですので、ありうることとは思いますが、思わず想像力が絶句いたします(^o^)/

「Unto Us~」の軽やかな躍動感とボリュームのある合唱、「Behold the
Lamb of God」における、量感のあるひたむきな合唱の迫力、「Why do the nations~」の弦楽合奏の見事さ、「Trumpet shall sound」での独唱は一部うわずったようなところが感じられたけれど、トランペット・ソロのほうは唖然とするほどの見事さ。最終曲が終わったあとの満足感は格別で、大オーケストラによる「メサイア」の演奏として、実に見事なものだと思います。



現代風のバロック・アンサンブルによる演奏として、NAXOS のスコラーズ・バロック・アンサンブルによるハイライト版(8.553258)も聴いていますが、不思議なことに、より編成が大きいはずのオーマンディ盤のほうに、緊密な躍動感を感じます。逆に、ひなびた雰囲気でゆったり・のんびりと聴きたい気分のときは、NAXOS 盤のほうを選びます。録音だからできる、贅沢な話です。

それから、盤面の状態はたいへん劣悪なのですが、LPでマルコム・サージェント指揮ロイヤル・リヴァプール・フィル盤(コロムビア,RL-3114-6,1964)の3枚組も棚中にあり。今ではCDでの入手が難しいこのLPは、録音等のデータの記載がありませんが、昭和35年の発売ですからそれより以前の録音のはず。そろそろこちらも著作隣接権が消滅し、公共の財産となる頃かと思います。これも、楽しみなことです。

(*1):Broadwood Hotell, Philadelphia, Eugene Ormandy - Wikipedia ~いずれも英文です(^o^;)>poripori
コメント (12)

今年も妻と柿の収穫

2010年11月07日 06時01分18秒 | 週末農業・定年農業
11月初旬には、毎年のことながら、柿の収穫が週末農業の課題です。今年も、過日の代休日に、晴天を見計らって妻と収穫作業にいそしみました。裏の畑の、サクランボ園に隣接した一本だけの庄内柿の木ですが、ときどき隣のサクランボの防除で用いる抗菌剤がかかるせいか、病気も発生せず、今も葉っぱが青々として、ようやく色づき始めた程度です。写真からも、九月に散布したボルドー液に含まれる石灰でわずかに粉がふいたようになっているのがわかりますが、ご近所の柿の木がすっかり葉を落としてしまっているのと比べると、我が家の柿の木は、健康さの度合いが違うように見えます。



昨年、かなり強く剪定したので、東南側はあまり実がなりませんでしたが、西北側は写真のように鈴なりでした。コンテナに三個ほど収穫し、全量が自家消費に回ります。半分はアルコールで渋抜きをして、皮をむいて食べるほか、残りの半分は干し柿にして保存します。小春日和に干し柿が下がる風情は、たぶん都会では見られないものでしょう。田舎暮らしの幸福を感じる風景です。




妻は、農家の出ではありませんが、見上げるような高い脚立も平気のようで、もともと高いところが大好きのようです。おっかなびっくり、へっぴり腰の農業後継者(私)よりも、よほど頼りになるかもしれません(^o^)/

コメント (2)

小袋の便利さ

2010年11月06日 06時03分58秒 | 手帳文具書斎
だいぶ前に娘にもらった小袋が、たいへん便利で、重宝しております。12cm×13cmくらいの大きさで、口のところをヒモでキュッと締めることができますから、ちょっとした小物を入れておけば、カバンやポーチの中でも散乱しないのがありがたい。



今、入っているのは、

(1) USBメモリー(1GB,2GB)
(2) SDカード(予備)
(3) イヤホン
(4) 錠剤(耳鼻科からもらう飲み薬)

などでしょうか。

大きくて不便に思っていたものがどんどん小さくなり、ありがたいのですが、逆に持ち運ぶときにうっかり見失いやすいのが欠点です。こんな風に小袋に入れておくと、紛失防止にも役立ちます。一つあると、なかなか便利なものです。
コメント (2)

壺井栄『二十四の瞳』を読む

2010年11月05日 06時07分52秒 | 読書
壺井栄著『二十四の瞳』は、たしか中学生の頃に読んだ記憶があります。でも、その後はずっとご縁がなく、最近になってから書店の新潮文庫の平積みコーナーで見つけて、懐かしく手に取りました。

普通選挙法(*)が行われて間もない昭和3年、女子師範学校を出た大石久子先生は、瀬戸内海の一寒村にある、岬の分教場に赴任します。小学校の四年まではこの分教場に通い、五年から本校に通うとされていますから、在籍する児童の数は、一年から四年まで五十人足らず。そこへ、洋服を着てさっそうと自転車で現れたわけですから、話題にならないはずがない。受け持ちの児童は、入学間もない一年生です。師範学校を出たとはいっても、新米には違いない大石先生は、村の人々と子どもたちの、生活の中に入っていきます。その中でかわされる交流は、心のこもったものではありましたが、貧苦があり、病気があり、また身売りがあります。弁当箱のエピソードや、修学旅行に行けない子どものエピソードなど、戦後の一時期にもそうだったと、身につまされる方々も少なくないことでしょう。

わんぱくどもの思わぬいたずらでアキレス腱を切るはめになった大石先生は、学校を休み、なかなか出てきません。子供たちは、先生がやめてしまうのではないかと心配になります。岬の長い道のりを歩いて来た幼い子供らの心情を思えば、先生の胸には、いとしさがあふれたことでしょう。しかし、過酷な時代の風は冷たく吹きつのります。治安維持法の成立から戦争へ、島の生活にも暗い影が落ちてきます。



本作品は、プロレタリア文学の系譜に属するものなのかもしれませんが、当初連載されたのがキリスト教関係の雑誌であったということからくるのか、むしろ童話のようなと形容したいほどのあたたかさを感じます。今の若者は、当時の時代背景や貧苦の生活を想像できないかもしれませんが、本作品に貫かれているあたたかな視線は、たぶん感じ取れるのではないかと思います。さて、どんなものでしょうか。

たしか、『母のない子と子のない母と』も同じ著者の作品だったのではなかろうか。これも、小・中学生の頃に読んだ記憶があります。先の戦争の記憶が、まだかなり濃厚に残っていた時代でした。

(*):戦前、わが老母が生れた頃の話ですので、むろん婦人参政権はまだありませんでした。
コメント

スティーヴンソン『宝島』を読む

2010年11月04日 06時05分16秒 | -外国文学
読む本を選ぶとき、最近は本の新旧にはあまり関心がなく、むしろ活字の大きさが問題です。とくに、寝ながら読むことが多い文庫本は、どんなに懐かしい本であっても、文字が小さいと、そもそも字面を追って読むこと自体が困難です(^o^;)>poripori
で、光文社の古典新訳文庫に、字の大きさと読みやすさで、ついつい手が伸びます。たとえばこのスティーヴンソン『宝島』(村上博基訳)です。

この物語は、古典中の古典、少年少女冒険物語全集という企画があったならば、ジュール・ヴェルヌのいくつかの作品とともに、まず筆頭に挙げられるべき名作でしょう。

主人公ジム・ホーキンスは、父親が経営する港の旅亭「ベンボウ提督亭」(*)を手伝う少年です。自らをキャプテンと呼ばせる老水夫が滞在するようになり、片足の男を恐れ、船が来ないかを見張っているようです。やがて、ブラックドッグという男が現れ、黒丸票と惨事がもたらされますが、ジムは宿代を探す途中で、老水夫の木箱の中から一枚の地図を見つけ出します。これは、実は海賊フリント船長の隠した宝島の地図でした。土地の大地主のトリローニさんと、勇気ある医者で判事のリヴジー氏とともに、スモレット船長以下、ジョン・シルヴァーという片足のコックなど得体の知れない船員を雇い、帆船ヒスパニオーラ号を仕立てて、宝島を目指す冒険の旅に出ます。

当初、集まりの悪かった船員も、ジョン・シルヴァーが声をかけてようやく員数が揃います。でも船長は、自分が人選に関わっていない船員の顔ぶれが気に入りません。宝島が近づくにつれて、その懸念は現実のものとなり、反乱の気配が濃厚に漂います。そして、敵と見方をあぶり出すために、先に船員を島に上陸させたとき、反乱と殺戮が始まるのです。身軽なジム少年は、船旅の途中に、リンゴ樽の中で反乱の組織化の企てを耳にしていましたので、味方に警告し、上陸のボートに飛び乗ると、ただ一人、真っ先に島の内部に駆け込んで行きます。

この後の展開は実に思いがけないもので、ワクワクドキドキ、作者の腕前の冴えを感じさせます。もちろん、現実には荒くれ男たちの殺戮と暴力の嵐ですので、人畜無害中年の想像力はおっかなびっくりの及び腰になりがちですが、裁判で少年の正当防衛の立証はできるのだろうかとか、そんな余計な詮索はいたしません(^o^)/
あくまでも、これは物語であります。しかも、必ずしも少年のための冒険物語ではなくて、大人が読んでも充分におもしろいもので、確かに名作です。加えて、解説と訳者あとがきが興味深いことをも、忘れずに付け加えておきましょう。

(*):字が小さいと困るのは、例えばこれです。「ベンボウ」なのか「ベンポウ」なのか、はたまた「ペンボウ」か「ペンポウ」か、実に判読に困ります。 ブログ主宰者の皆様にも、文字の大きさについて、中高年に暖かい配慮をお願い申し上げまする(^o^)/
コメント (2)

篠崎史子「クリスマス・ハープ・ファンタジー」を聴く

2010年11月03日 06時03分36秒 | -独奏曲
このところ、就寝前に篠崎史子さんのCD「クリスマス・ハープ・ファンタジー」を聴いております。クリスマスまでにはまだだいぶ間があるのですが、ごく小音量ですので、戸外に音がもれて世間様のヒンシュクをかうわけではなし、などとうそぶいて、いささか気が早い選曲ではあります(^o^)/

1. もろびとこぞりて
2. もみの木
3. サンタが町にやってくる~ヒア・カムズ・サンタクロース
4. 牧人ひつじを~神のみこはこよいしも
5. クリスマス・メドレー
6. アベ・マリア (シューベルト)
7. 子守歌 (フォーレ「ドリー」より)
8. ひびけ鈴よ~モーツァルト「魔笛」より
9. きれいな音だ~モーツァルト「魔笛」より
10.荒れ野のはてに
11.赤鼻のトナカイ
12.主よ、人の望みの喜びよ (J.S.バッハ)
13.オー・ホーリー・ナイト (アダン)
14.きよしこの夜
15.ホワイトクリスマス

いずれも超有名曲ばかりと思われます。青島広志さんの編曲もチャーミングです。ダイナミックレンジがあまり広くないですので、寝床のわきのラジカセで音量を絞って再生すると、まるでオルゴールを聴きながら眠るみたいで、静か~に寝入ってしまいます。
でも、日中にステレオ装置で聴くと、けっこう低音の迫力もあり、ハープの魅力がいっぱいです。とくに、「神のみこはこよいしも」などは、ごく小音量の繊細な編曲になっていますので、寝入るには効果的ですが、ラジカセでは本来の魅力が伝わりにくいかもしれません。とてもステキな讃美歌ですので、この曲だけ別に取り出して、ステレオ装置で大きな音量で聴いたりします(^o^;)>poripori

演奏は、篠崎史子さんに、一部お嬢さんの篠崎和子さんや、マリー・クレール・ジャメ女史との二重奏も含まれています。The CD-Club の一枚、FDCC-30664 というコンピレーション・アルバムですので、1991年~1994年の録音が集められているようです。録音も明快。
コメント (2)

心ここに在らざれば

2010年11月02日 06時01分14秒 | Weblog
「心ここに在らざれば、見れども見えず」という言葉があります。その由来を知りたいものだと思っていましたら、出典を知ることができました。四書五経の一つ、『大学』だそうです。

「心不在焉 視而不見 聴而不聞 食而不知其味」

「心焉(ここ)に在らざれば 視れども見えず 聴けども聞こえず 食せども其の味を知らず」とでも訳すのでしょうか。

ふ~ん、なるほど。どこかで見たような聞いたような。ほぼ40年前の高校生時代に、漢文の授業ででも出てきたのかもしれませんが、当方、理系の石頭ですので、まったく記憶にありません。

映画や演奏会前のアナウンスで、携帯電話の電源を切るかマナーモードにと注意を促していますが、まさにこの実例なのでしょう、誰かが必ず忘れているのですね。しかも、マーフィーの法則よろしく「一番いいところでケータイが鳴る」「しかも、そんなときに限って、最大音量に設定してある」(^o^)/
心がここにないときは、アナウンスの声は聞こえず、通り過ぎるのでしょうか。
いやいや、他人のことばかりは言えません。昔から「他人のふり見て我がふり直せ」と言います。自分も気をつけなければ。

ん~、一句(一首?)できました。

今ここで 携帯電話を確かめて 電源オフかマナーモードに (山響待人)




あれあれ、偽芭蕉さんの作ですね~(^o^)/
コメント

ヘッドホン(イヤホン)と難聴

2010年11月01日 06時05分38秒 | クラシック音楽
大音量にさらされる日常を送るロック系ミュージシャンの中には、難聴になる人もいるそうです。また、ジェットエンジンの轟音の中で働くサービスマンは、耳当てをして聴力を守っています。
では、音楽愛好家のヘッドホン(イヤホン)の場合はどうなのだろう。ふと、そう思います。長時間、大音量にさらされる日常を、長い年月にわたって続けていたら、やっぱり難聴になる可能性があるのだろうか。若い頃にはそれほど気にしなかったことでも、ある年齢に達すると、残された能力を大事にしなければ、という気になりますので、他人事ではありません。

検索してみました。「ヘッドホン 難聴」です。

(*1):ヘッドホン難聴にご注意~gooヘルスケア
(*2):ヘッドホンの使用と難聴の危険性~ブログ「趣味は音楽鑑賞」
(*3):難聴・ヘッドホン難聴

ふむふむ。(1) 大音量で、(2) 長時間、(3) 高音域を多く含む音を、ヘッドホン(イヤホン)で聞きつづけると難聴になりやすい、ということのようです。

たしかに、イヤホンでオートリバースのラジカセを聞きながら眠ってしまうような生活を続けたら、難聴になってしまった例を知っています。機械が体を配慮してくれることはありません。やはり、私たち自身が、生身の身体を大切にすることが大切なようです。疲れたら休む、飽きたら止める、それが一番自然で、いい方法のようです。
コメント