電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

冬の夜の灯

2010年01月17日 05時47分31秒 | 季節と行事
冬の山形は雪に埋もれ、雪かきに追われてつい愚痴がでます。でも、雪国は雪国の良さ、楽しさがあります。若い頃にはスキーをしたり雪合戦をしたりすることもありましたし、子供たちが小さい頃にはそりに乗せて遊びました。それはそれは楽しい記憶となっています。

でも、15年前、この寒さの中で激烈な震災に遭遇した人々には、悲しく過酷な経験だったことでしょう。阪神淡路大震災10周年の年には、神戸でメモリアルウォークに参加しました(*)。あれから5年、今年は遠く離れた山形の地からではありますが、雪の夜、ろうそくを灯して静かに祈りたいと思います。

(*):阪神淡路大震災10周年~「電網郊外散歩道」
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高橋義夫『かげろう飛脚~鬼悠市風信帖』を読む

2010年01月16日 06時17分46秒 | 読書
文藝春秋社刊の単行本で、高橋義夫著『かげろう飛脚~鬼悠市風信帖』を読みました。

鬼悠市は、松ヶ岡藩の浮組に属する足軽で、鳥籠を作る職人です。六尺豊かな巨漢でありながら、悠市が編む竹籠は精妙優美、「鬼の鳥籠」の名で江戸・上方まで知られていますが、もう一つ、奏者番の加納正右衛門の直々の命により、秘密の仕事を請け負うこともあります。今回は、松ヶ岡藩藩主家の御分家の元家老・日向杢兵衛を本家で預かってほしいとのことで、長源寺に保護軟禁せよ、とのことです。長源寺の境内には立入禁止、逆らう者、怪しい者は斬り捨ててかまわぬとのこと。悠市は日向殿の世話を、養子の柿太郎に命じます。
長源寺というのは、藩主代々の墓があり、裏手竹林の竹と筍は鬼家の勝手次第というのですから、鬼悠市は一種の治外法権の地の管理者というような立場でしょうか。
日向杢兵衛はなかなかの人物のようで、絵心もあり、植物の絵を描いて日常を過ごしていますが、どうもお家騒動がらみのような気配も見えます。

あらすじはお楽しみということで省略しますが、時代物にはありがちな色っぽい話は挿入されず、まことにストイックなストーリー展開。先代藩主の未亡人が庵する尼寺の尼僧が図譜のやりとりに登場しますが、実はこれが重要な伏線になっています。江戸時代の出羽の国とおぼしき土地の物語は硬質のミステリー風で、なかなかいい雰囲気です。
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白菜と塩鮭を使った単身赴任のおかず

2010年01月15日 05時55分59秒 | 料理住居衣服
あちこちの親戚知人にお送りしている我が家のサクランボは、様々に変身して回遊してくるという性質があり、たとえば今回の場合は、立派な塩鮭になって最上川を遡上してきました(^o^)/
その一部を、切り身にして単身赴任のアパートに運んできましたので、この日はごらんのように野菜と一緒に炒めました。材料は、白菜、チンゲンサイ、しめじ、塩鮭の切り身をぶつ切りにしたもの、などです。これを、一緒にフライパンで炒めますが、塩鮭の塩分が出ますので、塩コショウは控えめにします。本当は、片栗粉でとろみをつけて、中華風といきたいところですが、あいにく片栗粉がありません。きわめて簡単な単身赴任フライパン料理、コツは、小骨と見間違いやすいので、エノキを入れないこと、くらいでしょうか(^o^)/
塩鮭からの塩味と白菜のうまみがマッチして、シンプルですが、なかなか美味しいです。
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ベートーヴェンの「ピアノソナタ第13番」を聴く

2010年01月14日 06時22分45秒 | -独奏曲
以前、記事にするのが難しい曲として、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番、いわゆる「月光」ソナタの名前を挙げたことがありました。お気に入りの曲ではあるのですが、通り一遍の内容になりそうで、手つかず(*)になっておりました。先日、ふと気づいてしまいました。ゲルバーの演奏したこの CD は、いわゆる「月光・悲愴・熱情」という組み合わせではなくて、第13番Op.27-1、第14番「月光」Op.27-2、第15番「田園」Op.28 という構成になっています。ふーむ。ゲルバーのことですから、単純に番号順どおりにしたのではないでしょう。だいいち、録音も番号順ではありませんでした。これも、なんらかの意図があってのことだろう。そんなわけで、正月早々、この三曲を聴き始めました。まず、第13番から。

Op.27-1 と Op.27-2「月光」は二曲セットになっていて、どちらも「幻想曲風ソナタ」という副題がついているのだそうです。19世紀の幕開けの年、1801年に作曲された、ベートーヴェン30歳のときの作品で、この第13番は、ジュリエッタ・グイッチャルディに捧げられているとか。

第1楽章、アンダンテ~アレグロ、変ホ長調、2/2拍子。ピアノ初学者の練習曲みたいなシンプルでゆっくりした始まり。曲想は急にアレグロに変わりますが、再びはじめのテンポに戻ります。ppの指定のある、夢見るような音楽。曲はフェルマータで若干の間をおいただけで、アタッカで次の楽章へ。
第2楽章、アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ。ハ短調、3/4拍子。どこか不安で憂わしげな楽章なのかなと思いますが、曲調はゆったりした情感豊かなものに変わります。ここが第3楽章の始まり、アダージョ・コン・エスプレッシオーネ、変イ長調、3/4拍子。ここは、短いですが、なんとも魅力的な音楽です。
そしてアタッカで第4楽章へ。アレグロ・ヴィヴァーチェ、変ホ長調、2/4拍子。いかにも若いベートーヴェンらしい、軽やかさと輝かしい力強さを併せ持ったような音楽です。そして、中間部で再び第3楽章のアダージョの主題が回想されますが、これが実に印象的。最後はプレストで、飛び跳ねるようにsfしながら、ffでコーダを閉じます。

明確な、かっちりとしたソナタ形式に則った曲ではありませんで、副題のとおり幻想曲ふうな音楽です。
ピアノ演奏は、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー。1987年10月に、パリのノートル・ダム・デュ・リパン教会でデジタル録音された、DENON 33CO-2539 という正規盤です。添付のリーフレットの楽曲解説は濱田滋郎氏。そういえばこれは、ゲルバーのベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」第2弾として発表されたものでした。

(*):いつ記事にできるかなぁ~「電網郊外散歩道」より
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高橋義夫『御隠居忍法』を読む

2010年01月13日 06時23分48秒 | 読書
昭和30年代の農村では、還暦を過ぎたらもう立派な老人でした。激しい肉体労働によって腰は曲がり、手は節くれだち、皮膚は荒れていたものです。70代といえば、それはもう古来希な年齢というのも納得できるほど、希少な存在だったように思います。しかし現在では、60代ではまだまだ元気で、40代は働き盛りです。本書『御隠居忍法』の著者・高橋義夫氏は、当然、昔の年齢を意識してこの物語を書いているのではなく、現在の読者を想定して構想したのでしょう。そう思えばこそ、この元伊賀者で公儀御庭番の隠居の活躍を楽しむことができます。

第1話「御庭番・鹿間狸斎」。家康の江戸開府の際に、服部半蔵が伊賀から連れてきた忍者の子孫で、七石一人扶持の微禄ではあるが、昌平坂学問所では秀才と謳われ、体育会系の勤めを嫌い、書物方に登用されたのが30歳の時、そして十年の奉公の後に養子に家督を譲り、隠居してしまったのだそうな。そういう頭のいい忍者あがりの男・鹿間狸斎さんは、短歌だか俳句だかに夢中になり尼になった、やっぱり変わり者の妻・志津江と別居して、娘の奈々江の嫁ぎ先の奥州笹野藩七万石の領内に住み着いています。この章は、まあ顔見せ興行のようなものでしょう。
第2話「見世物小屋の剣客」。他所者の狸斎を見張る役目の、目明し・五合桝の文次は、隠居の狸斎を何かと頼るようになっています。大金○の嘉吉という男、見世物になることを承知しましたが、元は武士だと言います。なにやらいわくがありそうです。
第3章「霊薬妓王丹」。狸斎が工夫し売り出した鉄脚膏が評判が良いようです。徒歩の時代、無理することが多いのでしょう。女忍者も同様に違いありません。
第4章「秘剣夜光ノ玉」。娘の奈々江の嫁ぎ先である新野家にも隠居がおり、狸斎より3歳ほど上の49歳とのこと。すると狸斎さんは46歳ということですね。この新野耕民氏、波多野道場の道場主・四郎右衛門に引き合わせます。暗殺を命じられて上意討ちをした掛矢初之助の息子・録次郎と果し合いをすることになっているとか。だが、相手の秘剣「夜光ノ玉」にこだわるのは、どうもこの剣一筋に生きてきた波多野四郎右衛門のほうでは。
第5章「謙信の首」。天明の大飢餓の際の餓鬼図に描かれた悲惨な絵の中に、1点、飄逸味を漂わせる絵師の自画像。山中の温泉に保養に来たのに、武士に追われる六部を助けることになります。目明し・五号桝の文次も怪我をするし、子分は鉄砲で撃たれるという始末。凶作にあえぐ隣藩の百姓が直訴するために江戸へ向かう途中でした。謙信公の首だとか武田信玄の感状だとか、いかにも古そうな偽物を作るプロは、現代にもいますからね~。
第6章「不死身の男」。鹿間狸斎の身の回りの世話をするおすえは、五号桝の文次が紹介してくれたもので、亭主に死なれた若い後家を雇ったはいいが、いつのまにか、という話。それが子ができてしまうのは、別に珍しくはないでしょう。でも、当時としても体裁が悪いということか。話はいつか笹野藩の政争に関わる事件になっている模様。かつて助けた男が、最大の強敵になっています。
第7章「黒手組」。大黒湊の雁金屋で聞いた子拐い・神隠しの話は、どうも意図的に流された風聞らしい。先代藩主の側室だった慈照尼が暮らす屋敷に、民衆の敵意を向けようというもののようです。笹野藩の政争は、国家老・糠目主膳の失脚で一段落したわけではなかったようで、郡奉行と娘婿の新野市右衛門は詰め腹を切らされそうになります。先代藩主が解散させたはずの忍びの集団・黒手組の残党が、国家老に使われていたのです。
第8章「冬人夏草」。他所者のよい点は、係累もしがらみもないところでしょうか。狸斎は、謹慎中のはずの元国家老・糠目主膳の屋敷を訪ねます。土産をもらって帰ったはよいが、元は名だたる剣術上手だった糠目さん、狸斎を好敵手と見たか、果し合いを申し込んで来ます。それも、あの手この手と、どうにも断りようのない形で。この決闘の始末が、冬虫夏草ならぬ冬人夏草とは、土葬の時代とはいえ、なんとも凄絶な題名です。



『風吹峠』をきっかけに手にした高橋義夫著『御隠居忍法』(中公文庫)でしたが、中高年の諧謔と少し虚無的なユーモアが、独特の味わいを示しています。
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Ubuntu Linux でコンセルトヘボウの MP3 を聴く

2010年01月12日 06時26分53秒 | コンピュータ
自宅の hp のデスクトップ・パソコンは、添付されていた Windows Vista は消してしまい、Ubuntu Linux 専用マシンとして便利に使っております。160GB もあるハードディスクを持て余しぎみなほどでした。2009年から、本格的にCDのリッピングを始め、ONKYO の USB オーディオプロセッサ Wavio 経由で、ヘッドホンや自作の小型スピーカ(FE103)等で楽しむようになりました。
このとき使うのは、Ubuntu に添付の Rhythmbox というソフトウェアで、オープンな規格である OggForbis 形式が標準となっています。MP3 形式は、なにやら権利関係の問題で、標準ではサポートしないのだそうな。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の記念年に公開された、太っ腹な MP3 ファイルを Ubuntu 環境でも楽しめるように、Rhythmbox で MP3 を利用する方法を Google 検索してみました。すると、なんともあっさりと答えが得られ、gstreamer の MP3 関連のプラグイン等を導入すればよいとのこと。
ありがたいことです。ブラームスの交響曲第2番もブルックナーの交響曲第8番もサンサーンスのオルガン付きの交響曲第3番も、ドヴォルザークの交響曲第8番も、かなりいい音で楽しめます。
いや~、いいですなあ。楽章ごとに分割されていないとか、いろいろと不都合はあるけれど、ほぼ最新の録音を、こうして自宅で聴くことができるのは、まことにありがたい限りです。そういえば、最近はコンセルトヘボウ管のCDを物色することが増えたような気がするぞ(^o^)/
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フローリングの床で、どのように机の下の暖を取るか

2010年01月11日 06時02分32秒 | 手帳文具書斎
雪国の冬は、室内の暖房があっても足元が寒いものです。とくにフローリングの床の場合は、いくらセーターや防寒衣類を着込んでも、机の下が冷えて困ります。まだ若い受験生の頃は、腰まですっぽり入る足温器を愛用していましたが、今はそんな製品はないようで、別の工夫が必要です。

当方、根性なしの寒がりですので(^o^)、自宅では、写真のように足元にはすのこ板を敷き、その上に電熱式のミニマット、そして椅子の右手に見える赤い大きめの膝掛けで腰からすっぽりと巻いてしまいます。FF式の温風ヒーターの温度センサーは18度に設定しておりますが、足元が暖かいと文字通り頭寒足熱で、意外に快適なものです。



昨日は、午後から妻と映画「沈まぬ太陽」を観て来ました。夜は夜で、しっかりと録画もしながら、N響アワーでデュトワ指揮のリヒャルト・シュトラウス「ドン・キホーテ」を。好きなんですよ、この曲。雄弁なチェロ、朴訥なヴィオラ、たおやかなヴァイオリン、そして語り上手のオーケストラ。
さて今日は、お天気も良さそうですし、返り討ちにあわないように気をつけながら、雪かきに再挑戦しますか(^o^)/
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久々の週末、新年初のお買い物

2010年01月10日 06時18分36秒 | 散歩外出ドライブ
なさけないぎっくり腰から回復した週末、妻と二人で買い物に出かけました。食料品、日用品のほかに、除雪機用のガソリンを携行缶に購入。さらに、いつもの書店に立ち寄り、新刊書を物色したところ、いくつか目を引くものが。

(1) 青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』(平凡社新書)
(2) 佐伯泰英『更衣ノ鷹(上)~居眠り磐音江戸双紙(31)』(双葉文庫)
(3) 佐伯泰英『更衣ノ鷹(下)~居眠り磐音江戸双紙(32)』(双葉文庫)

とくに、(1) は、ベートーヴェンの難聴の原因として、最近の知見をもとに鉛中毒説を取っているようで、従来の類書にないものが期待できます。でも、現在、順番待ちの本がたくさんありますので、読むのはまだ先になりそうです(^o^;)>poripori

さて、本日は NHK-FM で「サンデー・クラシック・アワー~海外オペラアワー~」があります。今日は、グラインドボーン音楽祭の特集で、ドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」の予定とのこと(*)。イルジー・ビェロフラーヴェク指揮のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、グラインドボーン音楽祭合唱団、ルサルカをソプラノのアナ・マリア・マルティネス、王子をテノールのブランドン・ジョヴァノヴィチという配役だそうです。

単身赴任の宿のミニコンポで、14:00~18:00 まで、LP4 モードの MD ですでに録音を予約中です。本当は、映画「沈まぬ大地」を観に行きたいところですが、午前中に妻が地域行事で予定が入っており、なかなか都合が合いません。

(*):ドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」の詳細放送予定~NHK番組表より
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クルト・マズア指揮N響でベートーヴェンの「第九」を聴く

2010年01月09日 06時12分31秒 | -オーケストラ
ふう、やっと週末にたどりつきました。今日から、暦どおりの三連休、少しはゆっくりできそうです。腰の具合のほうは、その後、なんとか良好な経過をたどっております。

さて、自宅に戻って、大晦日のビデオ録画で、クルト・マズア指揮N響によるベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱つき」を聴きました。いわゆる年末の「第九」です。この曲については、すでに何度か取り上げています(*1,*2,*3)が、字幕によれば、指揮者は

私にとって「第九」は演奏するたびに新しいものです
オーケストラも合唱も 常に新鮮な思いで聴衆に向かい合ってほしいと願っています
「第九」のメッセージは終わりなきものです
人間は天使ではありません
今もどこかで争いや略奪が行われ
人々はいまだに権力争いや殺し合いを続けています
ベートーヴェンのメッセージ
「友よ 力をあわせよ この響きではない」は
演奏のたびに繰り返されます
ですから何度もこの作品を演奏することは
大きな意味をもっています
娯楽としてだけではなく 警告としても
我々はこの世に調和を見出そうとしている
しかし調和は人間が喜びを求める理由が
あるところにだけ存在するのです

と語ります。

演奏会の場面になると、オーケストラのバックに並ぶ合唱団の人数にまず驚きますが、その中に、例によって少年少女合唱団が加わっていることに気づきます。これは、1973年のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との録音でも同じで、初演時の史実にならったものだとか。たぶん、子どもも加えることで、歌詞の中にある「すべての人々(老若男女)」を具体化する意図なのでしょう。
細かなことを言えば、第4楽章の前半部をしめくくる、「神の前に!」のところが、やっぱり印象的です。「フォア・ゴーット!」とフェルマータとなりますが、ここではティンパニだけでなく全オーケストラをディミヌエンドさせて、合唱「ゴーット!」だけを浮きぼりにしています。このやり方は、73年の録音でも特徴的でしたが、今回のN響との演奏でも踏襲されています。歌詞の意味を考え、音楽を通じてその思想を伝えようとする姿勢は、やはりベルリンの壁崩壊を経験した老練な音楽家のものでしょうか。



いつのまにか、手元には多くの「第九」の録音・録画が集まってしまいました。プロフェッショナルな音楽家が生涯をかけて考え表現したものを、一介の素人音楽愛好家が軽々に論評することは避けたいと思いますが、マズアの表現の、ほぼ40年近く前の録音にも共通のものを聴くことができるという筋の通った一貫性に、強い感銘を受けます。

(*1):ベートーヴェンの交響曲第9番を聴く~セルとクリーヴランド管ほか
(*2):サヴァリッシュ指揮チェコフィルの「第九」を聴く
(*3):「バルトの楽園」を見る~電網郊外散歩道
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宮城谷昌光『沙中の回廊(下)』を読む

2010年01月08日 06時19分57秒 | -宮城谷昌光
ぎっくり腰療養読書記録の続きです(^o^;)>poripori
文春文庫で、宮城谷昌光著『沙中の回廊』下巻を読みました。

「余炎」
晋の襄王が若くして亡くなると、例によって後継争いが起こります。襄公の子はまだ幼く、文公の子を擁立しようというのですが、有力大夫の中で仲の悪い趙盾と孤射姑とがそれぞれ公子雍と公子楽を推す、という具合です。士会は趙盾の命により、先蔑とともに秦に公子雍を迎えにいくことになります。しかし、秦に滞在する間に、晋国内では権力闘争が起こり、趙盾が権力を確保します。
ところが後継問題は別の展開を見せ、襄公の幼君を立てようと、生母が大夫たちに泣き落としに回っているのです。趙盾は結局方針を一転させ、公子雍ではなく幼君(霊公)を立てることにします。
でも、それでは士会の立場がありません。士会は晋を去り、秦に亡命します。不遇の公子雍は、わずかに慰められます。士会は、郤缺の助けで家族を秦に呼び寄せることができました。また、秦の康公に戦略眼を高く評価され、秦の軍事顧問になります。

「惜暮」
士会の助言をもとに、秦の康公は晋の邑を取りますが、それは秦が当方に足掛かりを築くには要になる地点でした。さらに晋との直接対決を制した康公は士会を信頼し、戦においてさえ民を大切にするという士会の考え方を学びます。一方、晋の側から見れば、今まで晋に勝てなかった秦が急に強くなったわけですから、士会の存在は困ったものです。
そこで、郤缺は策略をめぐらし、士会を強制的に帰還させてしまいます。康公の温情によって、家族の帰国も許されますが、晋での士会の立場が不遇なことは変わりがありません。しかし、郤缺の信頼と支持を得て、士会の立場は次第に重くなります。楚では英傑な荘王が立ちますが、晋の霊公は趙盾に八つ当たりするばかりです。

「新生」
郤缺の子・郤克は、往時父を助けた士会が秦に亡命することで義を貫いたことで興味を深め、その戦略と人格を尊敬します。士会は、この親子を頂点とする郤家との交流を深め、先氏とはしだいに距離を置くようになります。正卿の趙盾は、楚と戦って敗れますが、君主である霊公の命に従わず、勝手に諸国会同に出席する始末。霊公は趙盾に殺意を抱き、酒宴の席で暗殺を図ります。
かろうじて脱出した趙盾は国外へ逃亡しますが、趙氏の一族の暴れ馬である趙穿は霊公を斬殺させます。郤缺と士会は、趙氏と王との間の暗闘を、暗澹たる思いで見守るのでした。

「旗鼓」
趙盾が正卿の座に戻り、文公の子で襄王の弟を周から迎えることになります。しかし、その迎えの使者が暗殺者趙穿とは、あまりといえばあんまりな話です。こうして即位したのが成公。趙盾は辞意を表明し、正卿の座には荀林父が就任します。士会はようやく第四位の地位、上軍の佐に任ぜられます。上軍の将は先軫の曾孫の先穀ですが、彼はまだ若く傲慢な若者です。士会は、翌春の鄭の攻略を念頭に情報収集にあたらせます。士会の戦略決定には、この情報網の存在が大きいようです。
士会は、成公の初の親征を意義深くするために、鄭を越えて楚の国境を越えて攻め入り、諸国のどぎもをぬきます。もちろん、鄭はびっくりして晋と訂盟を行い、成公の名を高からしめます。
楚の荘王は士会の役割を見抜き、鄭を攻めずに周都を目前にするところまで侵攻し、観兵式を行って圧力を加えますが、王孫満に「天命は改まらず、鼎の軽重を問うべからず」と言われ、しりぞきます。
そして晋では、荀林父から、士会の最大の理解者・郤缺へ正卿が委ねられます。

「敖山」
諸候会同の地で、成公が没します。せっかく良君を得たのに、と郤缺は残念がりますが、先穀と共に太子を立て、これが景公となります。鄭を攻めた楚王に対し、救援の軍を発した晋は、郤缺を中心に楚軍を撃破します。敵将は士会と知った楚の荘王は、徹底して退却し、彼方に去ります。郤缺の努力もあって、狄は晋に服属することとなりますが、郤缺は逝去し、再び荀林父が正卿となります。
しかし、荀林父の優柔不断は先穀の暴走を許し、再び鄭を攻めた楚との戦において、最悪の敗戦を招いてしまいます。敗走する晋軍のしんがりを士会がつとめ、要所に伏兵を配して楚軍を撹乱し、見事に退きます。

「大法」
敗戦の責任を取らせるため、元帥の荀林父を処罰すべし、という声に、士会の甥で法を司る士渥濁は、諮問に対し「不可なり」と答えます。荀林父は、背後に士会の恩を知ります。大敗の原因を作った先穀は、懲りずに諸候会同に出かけますが、帰国すると周囲は冷たい。不安を感じた先穀は赤狄と共謀して晋を乗っ取ろうと企てます。しかし結局は逮捕を拒んで族人と共に滅亡します。覇権を失った晋の景公は、活眼を得た荀林父と士会をたのみますが、楚の荘王に対抗する力はありません。しかし、荀林父は赤狄との戦いに勝ち、景公は少しずつ自信を回復します。
安心したように荀林父が逝去すると、士会が正卿の座に座り、景公の計らいで、士会は周王により正式に晋の正卿として認定されます。士会は、周王室の内紛を調停し鎮めますが、その宴席で典礼にまごつき、帰国後に晋国内の法を再整備し、范武士の法として晋の国法の骨格の一つとなります。



長寿の士会の姿は、武将というよりはむしろ文治の政治家に見えます。「徳の力は武に優る」と帯にありましたが、士会という武将の特異な点は、貧しい庶民の心情を知るとともに、各国の情報を集めそれをもとにして戦略を構築していたことでしょう。「情報とその分析により、徳の力は武に優る」と言うべきでしょう。現実には、とんちんかんでは人徳は馬鹿にされるだけかもしれません(^o^)/
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宮城谷昌光『沙中の回廊(上)』を読む

2010年01月07日 06時11分16秒 | -宮城谷昌光
ぎっくり腰で寝ている間は、ひたすら文庫本を読むしかありませんでした。昨年、読んだばかりの宮城谷昌光『沙中の回廊』が枕元にありましたので、こんどはじっくりと、文春文庫版の同書・上巻を読了しました。

「孤舟」
かつて晋の大司空(今なら建設大臣?)の地位にあった士家は、王の老害により嗣子が死亡し、公子が亡命しても厳正中立を保ったために、恵王からも文公からも重用されず、衰退の家となっていました。末子の士会は、文官の家に生まれながら武術を尊び、その腕前と強さは折り紙付きです。
ある夜、臣下の反乱によって文公は行方不明となります。士会と従者の弗はその捜索に加わり、舟の中に重傷を負った敵将らしい男を見つけますが、応急処置をして舟を河に流します。文公は隣国に逃れ、無事でした。文公の帰国後、重臣である先軫の命により、ある娘の護送を命じられます。

「戦雲」
周王の娘・叔姫を護衛し、士会ら一行は周都に到着します。周王の弟が兄に叛き、后と密通していることを叔姫が知ってしまったために国を逃れるはめになり、今また父王に報せるために国に戻ったのでした。士会は叔姫の身分を知らず心を寄せ、叔姫もまた、別れに玉を贈ります。晋に戻った士会は、学問にも目を向けるようになり、家臣を大切にしながらじっと機会を待ちます。その機会は、文公が周の内紛を解決し、中華の覇者の立場を知らしめる大きな戦としてやってきます。

「城濮」
楚の成王は宋を攻めさせ、魯軍もこれに連動して斉を攻めます。中国大陸東部における南北の争いです。しかし、陸続きで妨げるものもない中国では、斉が楚に屈伏するということは、晋と秦と周という中国西部が圧迫を受けることであり、その矢面に立たされるのは宋です。軍事強国である楚を相手に、晋は戦いを決意します。ただし、直接対決を避け、楚が従えたばかりの二国、曹と衛を攻めることで、宋と斉は攻撃を避けられる、という先軫の戦略です。曹を攻めた士会は、偶然にも叔姫とうりふたつの娘・叔嬉を助けますが、これこそ実は周王の双子の娘の一人で、叔姫とそっくりなのは当然のことなのでした。そして、晋と楚の対決は、城濮において始まります。

「祥雲」
楚軍の強さは本物ですが、強さをたのむ楚将・子玉に対し、晋の先軫は二重三重の作戦で負けない戦を構築、ついに勝利をおさめます。士氏の集団戦法の強さを目にとめた文王は、士会を車右に大抜擢、士会はついに一介の零落氏族の末子から大夫になるのです。家の新築、家臣の増募とともに、叔嬉との婚礼が実現します。

※ただし、それまでの話の流れでは、周の襄王の娘の叔姫は、大叔の乱で横死したことになっていたのに、今回の花嫁はどうも叔姫のようなのです(p.232)。
そのころ嬉家の深窓には、士会の妻とよく似た、足に火傷のあとのある女がひっそりと暮らしていた、というのですから、著者はたぶん途中で気が変わってしまったのでしょう。不遇な双子の娘はやっぱり不遇なままなの?著者のこの想定は、なんとも気の毒。王女は亡くなり、日陰の存在だった双子の娘が幸福になる、それでよいのではないかと思ってしまうのですが(^o^)/

「離愁」
かつて文公を殺そうと乱を起こした郤家の子・郤缺が、許されて文公に再び仕えるようになります。郤缺が命を拾ったのは、負傷したところを士会に助けられたからでした。文公の急死に際し、秦は鄭を取るために軍旅を発し、喪中の晋を通過します。しかし、策は鄭に露見し、秦軍はUターンします。二つの丘の間を通過する秦軍に攻めかかる姜戎氏の騎馬兵と晋軍の猛攻はすさまじいものです。しかし、多くの犠牲をはらって捕えた秦の三将を、まだ若い襄王は夫人の言に迷い、解放してしまいます。
「あなたが決定者だ、今すぐ判断を」というのは詐欺師の常套文句ですが、襄王もこれにやられたのかもしれません。誤った王の判断に怒り、王を侮辱した先軫は、箕を助けるために狄兵のただ中に入り、戦死します。名将らしい責任の取りかたと言えるでしょう。

「分流」
世代交代が進みます。文公に従い覇権を守り抜いた老臣が亡くなり、その後継者たちが登場しますが、理想を追うあまり、政治はあたたかさを失います。士会は武力の限界を感じ、書物を読み、父祖の事蹟を聴きます。やがて、襄公の死去が士会の運命を一変させるのでした。

老練な将軍であり政治家である先軫のもとで次第に成長する士会の物語です。この巻は、はじめは武将として頭角を現し、しだいに軍事と外交を通じて文治を理解していく過程と見るべきでしょう。
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ロバート・ハリス『暗号機エニグマへの挑戦』を読む

2010年01月06日 06時15分59秒 | -外国文学
やれやれ、ようやく起きられるようになりました。
雪かきでぎっくり腰になり、ほぼ寝たきりの生活を送る間に、ちょうど手近にあった新潮文庫で、ロバート・ハリス著『暗号機エニグマへの挑戦』を読みました。寝床のわきの積ん読も、ときに思いがけず役に立つことがあるものです。

ドイツ軍が使用する暗号機エニグマは、英国の天才数学者アラン・チューリングの指導する暗号解読機によって、三枚ローターのものまでは解読されていました。ところが、Uボートとの交信に使用される四枚ローターの暗号は複雑過ぎて解読できません。その解明の手がかりをつかんだのは、本書の主人公で変人の数学者トムことトーマス・ジェリコです。
イギリス軍の暗号解読の中枢であるブレッチリーで疲労困憊し、ケンブリッジ大学に戻っていたトムは、以前の上司に懇願され、元の職場に呼び戻されます。そこでは、暗号が解読されていることを疑ったドイツ軍によってコードブックが変更され、解読不能の状態に陥っていたのでした。
そして、暗号が解読されていることを報せたのは、どうやらトムに近づき、トム自身も熱を上げていた、イギリス外務省の職員の娘クレアとその協力者ではないかというのです。ここで、暗号解読の物語はスパイの物語の様相をも加え、いっきに緊迫の度合いを増してきます。アメリカからの護送船団が、大量の物資と人員を載せて、46隻のUボートが待ち受ける北大西洋に向かっています。あと数日で、エニグマの暗号は解析できるのか。そして、諜報網は解明されるのか。

だが、真実は思わぬ方向へ展開します。ポーランドのカチンの森の秘密がなぜ秘匿されたのか。敵の敵は味方という論理は残酷です。

腰の痛みを忘れて、思わず没頭するおもしろさです。
そうか、この暗号解読機を、真空管を使って作り直したのが、米国の電子計算機というわけか。コンピュータ・フリークの、初期コンピュータ史への興味を刺激しつつ、物語はさらに緊迫の度を加えて結末へ向かいます。



本書には、ところどころに音楽の場面が出てきます。クレアとトーマスのデートの場面には、J.S.バッハの「音楽の捧げ物」(訳では「貢ぎ物」)が登場し、トムが「acrostic RICERCAR」リチェルカーレ(訳ではリセルカル)について、うんちくを傾けます(p.190)。トムの性格~内向的で上品で繊細で人並み外れて頭が良いがエキセントリックな傾向がある~のような人は、ふつうクレアのようなタイプの女性にはもてないものです。現実に小説のような場面が現れたら、やっぱり警戒すべきなのでしょうが、まだ若く無垢なトーマス・ジェリコ君にそれを望むのは、やっぱり無理というものなのでしょう。いや、それでは小説にならない、という問題はさておいて(^o^)/

写真は、文庫本とバベッジ計算機の記事。たしか、「アサヒパソコン」誌の連載記事だったと思います。
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なさけない新年初詠

2010年01月05日 06時35分33秒 | 健康
ぎっくり腰の寝床の中で、退屈しのぎに新年初の、いや、もしかすると高校の国語の時間以来の、なんともなさけない新年初詠であります。季語も何もわかりませんので、まあ、狂歌川柳の類でしょうか(^o^)/

雪かきがぎっくり腰を結果して 咳もくしゃみもやり過ごしたい

治すのも仕事始めと休めども 寝すぎて眠れず まだ起きられず

新しい暦のすました赤富士は 窓の吹雪をよそ事に立つ

まったく誰に文句を言うわけにもいかず、ほんとにしょうもない正月です(^o^;)>poripori
こら、アホ猫、笑うな!
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雪かきでぎっくり腰になり、寝込んでいます。

2010年01月04日 06時19分11秒 | 健康
大荒れの正月に、帰省していた子どもたちが東京に戻る日に、早朝から除雪機の爆音を響かせるのも近所迷惑なので、大急ぎでスコップで雪かきをして駅まで送り届け、帰ってから続きで雪を片付けていたら、ピクッときました。何が? いや、腰が。

で、寝たきりの寝床の中では身動きもならず、しかたがないので、目覚ましがわりのラジカセを聴いたり、手近の文庫本を読んだりしております。この記事は、Ubuntu Linux ネットブックを胸の上で開き、片手でポチポチと(^o^;)>poripori
無線 LAN のありがたさを痛感しております。

アホ猫よ、退屈しのぎに、少しは芸でも見せておくれ。
とはいっても、クルミの脳味噌では、無理だしなあ。
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新年の演奏会の予定

2010年01月03日 06時14分08秒 | クラシック音楽
2010年~2011年のシーズンの演奏会予定が、だいぶわかってきました。山形交響楽団の新しいパンフレットや、山形弦楽四重奏団の予定(判明している分だけ)、それに入手したチラシなどを元に、山形市及びその周辺で予定されているものを整理してみました。

■山響第202回定期演奏会
2010年1月16日(土)・17日(日)
16日(土)/午後7時開演  山形テルサホール
17日(日)/午後4時開演  山形テルサホール
大作曲家の青春時代
指揮:飯森範親、ピアノ:コルネリア・ヘルマン、
合唱:山響アマデウスコア
曲目
ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15
新作:山響作品賞21 受賞作品
ブラームス:運命の歌 作品54

■岩崎洸トリオ演奏会
2010年1月23日(土) 18時~(会場17時30分) 天童市民文化会館
佐田大陸(Vn)、岩崎洸(Vc)、後上聡司(Pf)
曲目:
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」
シューベルト アヴェ・マリア(Vn)
モンティ チャルダッシュ(Vn)
リスト ラ・カンパネラ(Pf)
ショパン 夜想曲嬰ハ短調(Vc)
ショパン 序奏と華麗なるポロネーズ(Vc)
メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調
(問合せ:天童市市民文化会館 Tel: 023-654-1511)

■山形交響楽団 特別演奏会「村川千秋の世界」
2010年1月30日(土) 16時~(開場15時15分) 山形テルサホール
指揮:村川千秋、ヴァイオリン:村川千尋
曲目
シベリウス:交響詩「フィンランディア」Op.26
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op.47
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」ハ短調 Op.67

■山形弦楽四重奏団 第34回定期演奏会
2010年1月31日(日)18時30分~(開場17時45分)文翔館議場ホール
・S.プロコフィエフ 弦楽四重奏曲第1番 ロ短調 Op.50
・林 光 LAMENT(悲の曲)
・H.ヴォルフ イタリアのセレナード ト長調(1886)~生誕150年記念
・F.J.ハイドン 弦楽四重奏曲 ヘ長調 Op.50-5「夢」
**プレコンサート出演者~ Ensemble Tomo's

■第9回 山響モーツァルト定期
2010年2月13日(土)午後4時開演 山形テルサホール
指揮:飯森範親、ホルン:八木健史
曲目 モーツァルト:
ディヴェルティメント ニ長調 K.136
アダージョとフーガ ハ短調 K.546
セレナード ト長調 K.525 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
ホルン協奏曲 第3番 変ホ長調 K.447
交響曲 ニ長調 K.95

■山形弦楽四重奏団 第35回定期演奏会
2010年4月20日(火)18時45分~(開場18時00分)
文翔館議場ホール
・L.v.ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 Op.127
・尾崎宗吉 小弦楽四重奏曲 Op.1(1935) 
・F.J.ハイドン 弦楽四重奏曲 ヘ長調 Op.74-2~アポニー四重奏曲~

■山響第204回 定期演奏会
2010年4月11日(日)午後4時開演 山形テルサ
シンフォニストの誕生
指揮・チェロ:鈴木秀美
曲目
C.Ph.E.バッハ:チェロ協奏曲 イ短調 Wq.170
ハイドン:交響曲 第60番 ハ長調 Hob.Ⅰ:60 「うかつ者」
ハイドン:交響曲 第92番 ト長調 Hob.Ⅰ:92 「オックスフォード」

■山響 第205回 定期演奏会
2010年5月11日(火)・12日(水)午後7時開演
山形テルサホール
新たなる表現を求めて
指揮:飯森範親、ピアノ:河村尚子
曲目
ベートーヴェン:「レオノーレ」 序曲 第3番 作品72b
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35
(トランペット:井上直樹(山形交響楽団首席奏者))
チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36

■山響 第10回 モーツァルト定期
2010年6月5日(土)午後4時開演 山形テルサホール
指揮:飯森範親
クラリネット:牧 慎一
曲目 モーツァルト:
交響曲 第10番 ト長調 K.74
クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
交響曲 第34番 ハ長調 K.338

■山響 「夢づくり」さくらんぼコンサート2010
2010年6月26日(土)午後6時30分開演
東京オペラシティコンサートホール
新たなる表現を求めて
指揮:飯森範親、ピアノ:河村尚子
曲目
ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲 第3番 作品72b
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35
(トランペット:井上直樹(山響首席奏者))
チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
問い合わせ:
(社)山形交響楽協会
TEL 023(625)2203 E-Mail orchestra@yamakyo.or.jp
山響チケットサービス
TEL 023(625)2204 E-Mail ticket@yamakyo.or.jp

■山響 第206回 定期演奏会
2010年7月17日(土)・18日(日)
17日(土)/午後7時開演  山形テルサホール
18日(日)/午後4時開演  山形テルサホール
音楽家たちの出会いと語らい
指揮:飯森範親、ピアノ:永田美穂
曲目
西村 朗:新作委嘱作品 2010
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
シューマン:交響曲 第1番 変ロ長調 作品38 「春」

■山響 第207回 定期演奏会
2010年8月4日(水)午後7時開演 山形テルサホール
ゲーテ頌
指揮:黒岩英臣、合唱:山響アマデウスコア
曲目
ベートーヴェン:カンタータ「静かな海と楽しい航海」作品112
ブラームス:「運命の女神の歌」 作品89
ベートーヴェン:交響曲 第3番 変ホ長調「英雄」作品55

■アフィニス夏の音楽祭2010山形 合同演奏会
2010年8月開催
アフィニス夏の音楽祭講師及び受講生との合同演奏会
指揮:飯森範親
曲目未定

■山響 第11回 モーツァルト定期
2010年10月2日(土)午後4時開演 山形テルサホール
指揮:飯森範親、ヴァイオリン:鈴木舞
曲目 モーツァルト:
交響曲 第9番 ハ長調 K.73
ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ長調 K.218
交響曲 第20番 ニ長調 K.133

■山響 第208回 定期演奏会
2010年11月20日(土)・21日(日)
20日(土)/午後7時開演  山形テルサホール
21日(日)/午後4時開演  山形テルサホール
J.コクトーと仲間たち
指揮:飯森範親、ソプラノ:中丸三千繪
曲目
イベール:室内管弦楽のためのディヴェルティメント
ミヨー:フランス組曲 作品248
プーランク:モノドラマ「人間の声」

■山響 第209回 定期演奏会
2010年12月18日(土)午後7時開演 山形県県民会館
霧につつまれた音楽
指揮:藤岡幸夫、ヴァイオリン:二村英仁
曲目
ヴォーン・ウィリアムス:トマス・タリスの主題による幻想曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26
ウォルトン:交響曲 第1番 変ロ短調

■山響 第210回 定期演奏会
2011年1月22日(土)・23日(日)
22日(土)/午後7時開演  山形テルサホール
23日(日)/午後4時開演  山形テルサホール
魚座の音楽家たち
指揮:飯森範親、マリンバ:三村奈々恵
曲目
ショパン:「レ・シルフィード」(グラズノフ編)
吉松 隆:新作(マリンバ協奏曲)
リムスキー=コルサコフ:交響曲 第2番 作品9「アンタール」

■山響 第12回 モーツァルト定期
2011年2月19日(土)午後4時開演 山形テルサホール
指揮:飯森範親、合唱:山響アマデウスコア
曲目 モーツァルト:
交響曲 第21番 イ長調 K.134
歌劇「魔笛」 K.620(ハイライト、演奏会形式)
キャスト/
夜の女王:安井陽子 パミーナ:吉原圭子 タミーノ:高野二郎 他
山形声楽研究会
合唱音楽監督:佐々木正利
合唱指揮者:渡辺修身

■山響 第211回 定期演奏会
2011年3月12日(土)午後7時開演 山形県県民会館
スラヴの陰影
指揮:イジー・シュトルンツ、チェロ:遠藤真理
曲目
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」
マルティヌー:チェロ協奏曲 第1番(1955年 改訂版)
ドヴォルザーク:交響曲 第7番 ニ短調 作品70

■山響 オーケストラの日
2011年3月27日(日)山形県県民会館
指揮:飯森範親
内容:~ワークショップとコンサート~
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