電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』を読む

2010年01月28日 06時15分45秒 | -ノンフィクション
ベートーヴェンの生涯を描いた小型の本には、ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』をはじめとして、有益なものがたくさんありますが、さらに素晴らしい本が加わりました。平凡社新書で、青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』です。コンパクトですが、価値ある本だと感じます。クラシック音楽に関心のある方、ベートーヴェンという人間に興味のある方には、ぜひご一読をおすすめいたします!

著者について、以前『ベートーヴェン・不滅の恋人』という文庫本で、アントーニア・ブレンターノ説(*1)を提唱した人と知りました。その後、様々な発見から、この説がほぼまちがいないものとして認識されていると思っています。著者らしく、ベートーヴェンの周囲の人間模様、家族や女性たちや友人、後援者たちについても、その人間性を推し測りながら、作曲家の姿を描いていきます。一度読了して、現在再読中。以下、気づいたことをメモしました。

■ベートーヴェンの祖母について。これは、意外な盲点でした。

ベートーヴェンの祖母は、「かなり早い時期からアルコール依存症となって修道院の施設に収容され、そこで亡くなっている。(中略)祖父を尊敬し、後年その肖像画をボンからとり寄せて終生身辺に飾っていたベートーヴェンも、祖母については何も語っていない。」(p.16)

■ベートーヴェンの母親について。彼女は、ロマン・ロランが言うようないやしい身分ではないとのこと。彼女の父親は宮廷の料理長であり、親戚には企業家や参事会員や高位の聖職者もいたことがわかっているそうです。脚注には、このような誤解の原因として、ロマン・ロランが依拠した、シントラーの伝記の記述をあげています。ここで、シントラーの伝記の怪しさ(*2)がすでに見えています。

■ベートーヴェンの父親像について。宮廷楽長だった父(ルートヴィヒの祖父)の反対を押し切り、21歳の未亡人と結婚したということですが、この女性がベートーヴェンを産みます。祖母とは違い、辛抱づよい妻であり、優しく愛情ふかい母親だったらしい。ところが、父親が勤めていた宮廷楽長の地位を得ることができなかった劣等感や、妻子だけでなく施設にいる母親の面倒をみなければならない責任も負担だったのか、父(祖父)の死を契機に深酒に溺れ始めます。このあたり、堕落した悪人という見方は必ずしも適切ではないようで、同情の余地があります。

■ベートーヴェンの読書のきっかけについて。これは、やっぱりブロイニング夫人の影響が大きいようです。

ブロイニング家には、古典としての哲学書や文学書があっても当然だが、それに加えてクロプシュトック、ヘルダー、ゲーテ、シラーなどの同時代のドイツ文学や詩の本も揃っていた。(p.32)


■ベートーヴェンのパトロンたちについて。
ピアノ協奏曲第4番を献呈されているルドルフ大公は、オーストリア皇帝の異母弟で、1806年当時18歳、ベートーヴェンは36歳ですので、ちょうどダブルスコアです。彼は、病弱のため軍務につけず僧職を運命づけられていたそうで、これは意外!もっと年長の、いかめしい人かと思っておりました。幼い頃から音楽の才に恵まれ、15歳で自ら望んでベートーヴェンを師としたとのこと。たいへん温厚な性格だったために、ベートーヴェンと対立していない、とあります。

■ハイリゲンシュタットの遺書について

ここで彼が決別しようとしたのは自分の「生」そのものではなく、それまですがってきた(快癒という)「希望」だった。それが失われた代わりに、天才の自覚が生れたのだ。そういう意味でこの文書は、「遺書」というよりもむしろ信条告白であり、彼の内面における死と回生の道筋を示す記録として読まれるべきであろう。(p.115-6)

耳疾の快癒という希望を封印した記録。なるほど、過去と決別し、運命と戦う作曲家の誕生として読むならば、よく理解できると納得の文章です。

そのほか、ナネッテ・シュトライヒャーとピアノの発達など、興味深い内容が盛り沢山です。全部を抜粋するわけにもいきませんので、このくらいにしておきますが、再読でも興味深い発見がたくさんあります。著者らしい、フェミニズムの香りも少~しだけいたしますが、これはなかなか興味深い本です!

実は、本書が著者の絶筆だった(*3)そうで、ご冥福をお祈りするとともに、素晴らしい本を残していただいたことに心から感謝したいと思います。

(*1):青木やよひ「ベートーヴェン≪不滅の恋人≫研究の現在」~国立音楽大学・音楽研究所のサイトに掲載されたPDF
(*2):アントン・シンドラーに関するWikipediaの記述
(*3):青木やよひ先生最後のベートーヴェン~「知と文明のフォーラム」に掲載された平凡社新書編集者の弔辞

【追記】
後で読んでみたら、末梢的なことばかりに感心しているような文章になっていましたので、「ハイリゲンシュタットの遺書について」の項を追記しました。また、シンドラーについては素人が根拠なく誹謗しているように見えるおそれがあると考え、 Wikipedia の記述を参照するようにしました。
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