電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

高橋義夫『風吹峠』を読む

2009年12月21日 05時55分38秒 | 読書
一度手に取って読みたいと長年探し続けていた本を、偶然に図書館で見つけたときは実にうれしく、帰宅するのが待ちきれないほどです。先日見つけた、高橋義夫著『風吹峠』(かざほことうげ)も、そんな本の一つ。山形県西村山郡西川町の志田周子(ちかこ)をモデルにしたと思われる、無医村に生きた女医の半生です。

物語は、昭和10年、西塔千花が東京女子医専から山形県根子沢村に帰ってくるところから始まります。小児科の課程を終えたばかりの新米女医は、父親が村長をつとめる貧しい僻村である根子沢村の出身でした。山林とわずかな田畑と、月山信仰の参詣者を泊める宿坊が村の主な産業で、医者にかかる時は死亡証明を書いてもらうときだという村の現実を前に、父親は娘を第一高女(今の山形西高)に入れ、東京女子医専に進ませたのです。

成人した千花が見る村の現実は、無力感を感じさせるものでしたが、唯一人の医者としての役割を果たすうちに、娘たちの身売りも同級生の夫の失踪も幼児死亡率も栄養状態の悪さや持病も、貧困と寄生虫が最大の問題だと痛感します。高齢出産の赤子を娘に託したまま母親が急死すると、千花の役割は増え、幼い弟妹の面倒を見る立場になってしまいます。これでは、村との契約を打ち切り、勉強のために医専に戻ることはできません。がんじがらめの若い女医の悩みに、少しだけ明るさを見せてくれるのが、月山で骨折して千花の治療を受けた、米沢の(旧制)中学校の教師・風間伊作との交流です。戦前の話ですので、なんともしかたのないことではありますが、この二人、実にもどかしい。双方ともに、家と仕事と故郷の現実に妨げられ、互いに惹かれあっていながら、諦めざるを得ないのです。

村の中で、千花の存在はしだいに大きなものになっていきますが、日中戦争、太平洋戦争の暗雲がしだいに広がり、頼りにしていた弟も応召、戦死します。最後の思い出にと抱かれた風間伊作も応召しますが、終戦によって生還、世情は徐々に変わっていきます。
父親が病死して文字通り旧家の女家長となった千花は、婦人会の会長としての役割とともに、男女同権の選挙で村会議員としても働きます。議会でのやりとりは、昔の村の宴会ふう。遠慮がないというか、無思慮、無作法というか。

「おなごが酒呑んだらいけねえだか。おなごが人ば恋したらいけねえだか。ふしだら者といわれても、わたしは平気だ。光栄だず。」

悪意の個人攻撃に対する千花の抗議は、村民の命を一手に預かる存在だけに、迫力があります。

しかし、風間伊作の再婚家庭の様子を見てしまうと、千花の孤独感はつのります。亡父の鞄を持って村の子どもたちの予防注射を行い、診療室のストーブの前で老いて一生を終えるその孤独感は、風吹峠に吹きつける強風のようなものでしょうか。



若い頃に、NHK仙台放送局編の『東北庶民の記録』という本を読みました。この中に、志田周子の半生を簡潔に紹介した一編がありました。その後、舞台となった西川町の中で(*1)、岩根沢には何度か行ったことがあります。岩根沢を愛した詩人・丸山薫の記念館があり、月山神社の社務所でもある日月寺の庫裏の広さに驚き、大雪城を越えて月山山頂に至る途中のお花畑の見事さに感嘆したものでした。今ならば、立派な道路を自動車が行き交い、冬場は除雪が見事に行われ、町への通勤も可能です。しかし、息子たちや娘たちが帰ってこない村は、本質的に共通の寂しさを抱えているのでしょう。

本作『風吹峠』は、地味な作品ながら、平成3年第105回直木賞候補となっています。

(*1):本作の舞台は、てっきり岩根沢とばかり思っていましたが、実は大井沢だったようです。映画「いしゃ先生」の先行上映を観てようやく気づきましたので、訂正します。


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