電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

クルト・マズア指揮N響でベートーヴェンの「第九」を聴く

2010年01月09日 06時12分31秒 | -オーケストラ
ふう、やっと週末にたどりつきました。今日から、暦どおりの三連休、少しはゆっくりできそうです。腰の具合のほうは、その後、なんとか良好な経過をたどっております。

さて、自宅に戻って、大晦日のビデオ録画で、クルト・マズア指揮N響によるベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱つき」を聴きました。いわゆる年末の「第九」です。この曲については、すでに何度か取り上げています(*1,*2,*3)が、字幕によれば、指揮者は

私にとって「第九」は演奏するたびに新しいものです
オーケストラも合唱も 常に新鮮な思いで聴衆に向かい合ってほしいと願っています
「第九」のメッセージは終わりなきものです
人間は天使ではありません
今もどこかで争いや略奪が行われ
人々はいまだに権力争いや殺し合いを続けています
ベートーヴェンのメッセージ
「友よ 力をあわせよ この響きではない」は
演奏のたびに繰り返されます
ですから何度もこの作品を演奏することは
大きな意味をもっています
娯楽としてだけではなく 警告としても
我々はこの世に調和を見出そうとしている
しかし調和は人間が喜びを求める理由が
あるところにだけ存在するのです

と語ります。

演奏会の場面になると、オーケストラのバックに並ぶ合唱団の人数にまず驚きますが、その中に、例によって少年少女合唱団が加わっていることに気づきます。これは、1973年のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との録音でも同じで、初演時の史実にならったものだとか。たぶん、子どもも加えることで、歌詞の中にある「すべての人々(老若男女)」を具体化する意図なのでしょう。
細かなことを言えば、第4楽章の前半部をしめくくる、「神の前に!」のところが、やっぱり印象的です。「フォア・ゴーット!」とフェルマータとなりますが、ここではティンパニだけでなく全オーケストラをディミヌエンドさせて、合唱「ゴーット!」だけを浮きぼりにしています。このやり方は、73年の録音でも特徴的でしたが、今回のN響との演奏でも踏襲されています。歌詞の意味を考え、音楽を通じてその思想を伝えようとする姿勢は、やはりベルリンの壁崩壊を経験した老練な音楽家のものでしょうか。



いつのまにか、手元には多くの「第九」の録音・録画が集まってしまいました。プロフェッショナルな音楽家が生涯をかけて考え表現したものを、一介の素人音楽愛好家が軽々に論評することは避けたいと思いますが、マズアの表現の、ほぼ40年近く前の録音にも共通のものを聴くことができるという筋の通った一貫性に、強い感銘を受けます。

(*1):ベートーヴェンの交響曲第9番を聴く~セルとクリーヴランド管ほか
(*2):サヴァリッシュ指揮チェコフィルの「第九」を聴く
(*3):「バルトの楽園」を見る~電網郊外散歩道
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