電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

高橋義夫『御隠居忍法』を読む

2010年01月13日 06時23分48秒 | 読書
昭和30年代の農村では、還暦を過ぎたらもう立派な老人でした。激しい肉体労働によって腰は曲がり、手は節くれだち、皮膚は荒れていたものです。70代といえば、それはもう古来希な年齢というのも納得できるほど、希少な存在だったように思います。しかし現在では、60代ではまだまだ元気で、40代は働き盛りです。本書『御隠居忍法』の著者・高橋義夫氏は、当然、昔の年齢を意識してこの物語を書いているのではなく、現在の読者を想定して構想したのでしょう。そう思えばこそ、この元伊賀者で公儀御庭番の隠居の活躍を楽しむことができます。

第1話「御庭番・鹿間狸斎」。家康の江戸開府の際に、服部半蔵が伊賀から連れてきた忍者の子孫で、七石一人扶持の微禄ではあるが、昌平坂学問所では秀才と謳われ、体育会系の勤めを嫌い、書物方に登用されたのが30歳の時、そして十年の奉公の後に養子に家督を譲り、隠居してしまったのだそうな。そういう頭のいい忍者あがりの男・鹿間狸斎さんは、短歌だか俳句だかに夢中になり尼になった、やっぱり変わり者の妻・志津江と別居して、娘の奈々江の嫁ぎ先の奥州笹野藩七万石の領内に住み着いています。この章は、まあ顔見せ興行のようなものでしょう。
第2話「見世物小屋の剣客」。他所者の狸斎を見張る役目の、目明し・五合桝の文次は、隠居の狸斎を何かと頼るようになっています。大金○の嘉吉という男、見世物になることを承知しましたが、元は武士だと言います。なにやらいわくがありそうです。
第3章「霊薬妓王丹」。狸斎が工夫し売り出した鉄脚膏が評判が良いようです。徒歩の時代、無理することが多いのでしょう。女忍者も同様に違いありません。
第4章「秘剣夜光ノ玉」。娘の奈々江の嫁ぎ先である新野家にも隠居がおり、狸斎より3歳ほど上の49歳とのこと。すると狸斎さんは46歳ということですね。この新野耕民氏、波多野道場の道場主・四郎右衛門に引き合わせます。暗殺を命じられて上意討ちをした掛矢初之助の息子・録次郎と果し合いをすることになっているとか。だが、相手の秘剣「夜光ノ玉」にこだわるのは、どうもこの剣一筋に生きてきた波多野四郎右衛門のほうでは。
第5章「謙信の首」。天明の大飢餓の際の餓鬼図に描かれた悲惨な絵の中に、1点、飄逸味を漂わせる絵師の自画像。山中の温泉に保養に来たのに、武士に追われる六部を助けることになります。目明し・五号桝の文次も怪我をするし、子分は鉄砲で撃たれるという始末。凶作にあえぐ隣藩の百姓が直訴するために江戸へ向かう途中でした。謙信公の首だとか武田信玄の感状だとか、いかにも古そうな偽物を作るプロは、現代にもいますからね~。
第6章「不死身の男」。鹿間狸斎の身の回りの世話をするおすえは、五号桝の文次が紹介してくれたもので、亭主に死なれた若い後家を雇ったはいいが、いつのまにか、という話。それが子ができてしまうのは、別に珍しくはないでしょう。でも、当時としても体裁が悪いということか。話はいつか笹野藩の政争に関わる事件になっている模様。かつて助けた男が、最大の強敵になっています。
第7章「黒手組」。大黒湊の雁金屋で聞いた子拐い・神隠しの話は、どうも意図的に流された風聞らしい。先代藩主の側室だった慈照尼が暮らす屋敷に、民衆の敵意を向けようというもののようです。笹野藩の政争は、国家老・糠目主膳の失脚で一段落したわけではなかったようで、郡奉行と娘婿の新野市右衛門は詰め腹を切らされそうになります。先代藩主が解散させたはずの忍びの集団・黒手組の残党が、国家老に使われていたのです。
第8章「冬人夏草」。他所者のよい点は、係累もしがらみもないところでしょうか。狸斎は、謹慎中のはずの元国家老・糠目主膳の屋敷を訪ねます。土産をもらって帰ったはよいが、元は名だたる剣術上手だった糠目さん、狸斎を好敵手と見たか、果し合いを申し込んで来ます。それも、あの手この手と、どうにも断りようのない形で。この決闘の始末が、冬虫夏草ならぬ冬人夏草とは、土葬の時代とはいえ、なんとも凄絶な題名です。



『風吹峠』をきっかけに手にした高橋義夫著『御隠居忍法』(中公文庫)でしたが、中高年の諧謔と少し虚無的なユーモアが、独特の味わいを示しています。

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