電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「日記を持ち出せ」~樋口健夫「書きも書いたり」より

2009年02月19日 06時28分27秒 | 手帳文具書斎
文具に関するフリーペーパー「BUN2」の2月号に掲載されている、「書きも書いたり」という連載の第17回、「日記を持ち出せ」という記事がたいへん面白く、興味深く読みました。

社会人の中で、日記を書いている人の割合が3~4%でしかない理由として、筆者は次の三つの理由を挙げます。
(1)忘れる 前日の出来事は、忘れてしまう。
(2)内容の無さ 思い出せないから内容がない。
(3)保管場所 自宅に置いてあるので、すぐ記入できない。
そして、いつでも取り出して記入できるよう、「日記をいつも持ち歩く」ことを提案しています。また、「家族や配偶者が見ても大丈夫な日記にしておくこと」が大事だ、とも言っています。
忘れないためにはすぐ記入することが大事であり、そのためには常に持ち歩くことが大事だ、ということでしょう。また、常に携帯するものである以上、忘れて他人の目に触れる可能性があり、そのために記号略号を用いたり、プライバシーを極力排除した普遍的な内容とするなどの配慮が必要になるのだろうと思います。その意味では、樋口さんの主張する「日記」はかなり広い意味でとらえたもののようです。

当方も、スケジュールや ThingsToDo などは薄型のシステム手帳に記録するほか、B6判のらせん綴じノートを常に携帯し、ブログ記事ネタ帳としても活用しています。ただし、厳密に言えば、これは「自分が出会った出来事や感想などを一日ごとに書いたもの」(新明解国語辞典)という意味での「日記」ではなく、「記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳」(Wikipedia:備忘録)あるいは「毎日の出来事などの記録。日記よりも業務的な内容のものを言う」(Wikipedia:日誌)という意味で、「備忘録」または「日誌」というべきもののように思います。

当方のWeblog(Web日誌)も5年目に入り、冠婚葬祭の際に参照する備忘録の役割を果たしつつあります。また、地元山形交響楽団や山形弦楽四重奏団の定期演奏会等の個人的な記録にもなっています。日記というよりも、やはり日誌、備忘録という性格のものでしょう。
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