電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤沢周平『闇の傀儡師』(下)を読む

2009年02月10日 06時29分04秒 | -藤沢周平
文春文庫の藤沢周平著『闇の傀儡師』下巻は、「春の雷鳴」の章の続きから始まります。
自裁した亡妻織江と行方不明の都留という二人姉妹の父親が、娘を探して源次郎のもとを訪れ、織江は諦めたが都留は助けてくれと言い残して行きます。源次郎は、八嶽党の一味のお芳を尾行し、武家屋敷に踏み込みますが、八木典膳という髭の男との闘いの途中で穴に落とされます。そこには、都留が捕らえられておりました。都留さんは安堵したのでしょう、心の抑制を解き放ち、思わず源次郎にすがりつきます。
源次郎・都留の二人が地下の座敷牢に捕らえられているうちに、将軍世子家基の鷹狩は順調に行われているように見えましたが、枝が撥ねて首筋を打ったあたりが赤くなり、家基さんは吐気を覚えます。さらに休息した東海寺で喫した茶にも、とどめの毒が仕込まれていたようで、二日後に崩御してしまっていました。
「暗い雲」
座敷牢での二人の生活は、すぐに殺そうとするものではないようで、都留はむしろ二人の時間を喜んでいるふうでもあります。そんな中で脱出の契機をつかむだけでなく、八木典膳が八嶽党の仲間を裏切り利用しているにすぎず、八嶽党も早晩崩壊することを知ります。長屋にもどると、世子家基の逝去を確認、老中松平右近将監は田沼の動きが一橋の策であると指摘します。しかし館林侯こと右近将監は病に倒れ、死去します。松平上総介は源次郎に引き続き協力を求めますが、源次郎はやんわりと断り、権力闘争から徐々に手をひきます。
「辻斬り」
一橋侯は、田沼のやり方を批判して見せ、松平上総介をも言いくるめます。このあたり、なかなかの狸です。偶然に助けたお芳の話では、八嶽党の者たちが次々に辻斬りに襲われ倒されていき、内部に裏切り者がいるのではないかと疑心暗鬼になっているとのこと。別件ですが、細田民之丞の苦悩はまた、異父妹ゆきの苦悩でもあったのでしょう。
「世子評定」
八嶽党の内部の裏切りは陰惨さを増し、ついに八木典膳は首領格の津野弦斎をも倒します。長屋に訪ねてきた伊能甚内からお芳の死を告げられ、源次郎は怒りを覚えます。一橋民部卿が策したわなにはまり、田沼意次もまた、ただ一言が命取りになってしまったようです。それにしても、大納言忠長の遺児が女子とは驚きました。そういえば、『用心棒日月抄・凶刃』でも、遺された娘にまつわる因縁が背景となっておりました。
「風刀・雷刀」
家基の急逝により、一橋の豊千代が将軍家治の養子に決まりますが、世間の暮らし向きはいっこうに変わらず、むしろ細田民之丞の画境は実際の異父妹ゆきよりも清らかな気品を帯びてきます。源次郎は、赤石道玄と大師匠・興津新五左衛門の試合に立ち合いますが、忠長の遺児・奈美を殺害しようとする一橋民部卿と八木典膳が放った隠密の一団の襲撃を受け、伊能甚内と協力する形で、これを撃退します。しかし、赤石老人は奈美をかばい落命、伊能甚内と二人、郷里に戻り幸せに暮らせと言い残します。源次郎は叔父から八嶽党抹殺の刺客が放たれたことを聞き、これまでの経緯もあり、八嶽党の残党の帰郷を見届けるために出立を決意します。その夜、源次郎は、生死を賭けることとなる闘争前の緊張感の中で、妻の裏切りの記憶を捨て、津留のひたむきな思慕に応え、初めて臥所を共にするのでした。
「往きて還らず」
せっかくの最終章のあらすじは省略いたしましょう。伝奇小説ながら、対決の重厚な描き方は読み応えがあります。

藤沢周平の作品の中では、甘いラブロマンスや色っぽさはごく抑制されたものとなっており、津留と初めて結ばれる場面の、いささかぶっきらぼうな描き方などは、むしろ女性には支持されにくいものかもしれません。ですが、上下二巻におよぶ物語は、八嶽党や隠密たちの過酷な定めとともに、異父兄妹の哀れな運命や、妻の裏切りによる痛手がその妹によって癒されるという、近親間の境遇の明暗をも描きわけ、苦さの中にも救いのあるものとなっています。
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