電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

浅田次郎『椿山課長の七日間』を読む

2007年01月16日 06時13分35秒 | 読書
映画になっているらしい、浅田次郎著『椿山課長の七日間』を読みました。著者のことはよく知りませんが、中年のしょーもないギャグが満載です。作品中にペーソスは流れていますが、決して生と死を厳粛に見つめた作品ではありません。それでも、読後のほんわか感、これは作者の個性なのでしょうか。

自分が死亡後に知った、父の大きな愛情、家族の秘密、そして昔の彼女・佐伯知子の一途な想い。ただバカ正直に仕事一筋の本人にとっては、そんな馬鹿な!だったのでしょう。しかし、和山椿さんの身体を借りて現世に逆送された椿山和昭氏、愛する妻は部下の嶋田と昔からデキていて、子供は自分の子ではなく、気楽な親友だと思っていた同期の佐伯知子が自分をそんなに愛していたなんて。知らなかった!というのですから、もう能天気なお人です。

解せないのは、デパートのセールの成績を知りたくて嶋田に問いただしたときの嶋田の反応。「僕らはみんな課長を尊敬していた。あの人は売場課長の鑑だったよ。僕も、三上部長も、女子店員たちも派遣の販売員も、メーカーの担当者たちも、みんな椿山課長が大好きだったんだ。」って。えーっ(@o@)aze-n

そりゃないだろう。上司の妻に子供を産ませ、初七日の間に泊まりに行き、死んだ上司のパジャマを着て出てくる男が!これだけでも、実にテキトーいい加減なお話であることがわかります。地獄極楽が常識の線を一歩も出ていないというだけではなく、実は基本的な論理的つじつまがあっていない物語。いやはや。

中陰役所の官僚性もあきれるほどに見事なものですが、反省ボタンを押すだけで全員極楽往生というのは、何がモデルなんだろう。クイズ番組?運転免許センター?ヤクザの武田勇と、椿山課長のシベリア帰りのお父さんとは実にかっこいい。蓮クンはかわいくて陽介クンは冴えている。佐伯知子さんは作者の理想か?

まぁ、この作品に理屈は無用ですね。高度経済成長を支えた中年賛歌、ちょいとピンク色をあしらった、現代の浪花節でしょう。かなり笑えそうな映画を見てみたい。
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フォーラムという映画館のこと

2007年01月15日 06時05分52秒 | 散歩外出ドライブ
山形市には、藤沢周平が山形大学(当時は師範学校)の学生時代に通った映画館が何館もありました。私が十代のころには、岩淵茶舗のわきにスカラ座(宝塚小劇場)という小さな映画館があり、数百円でいい映画を見ることができました。ときどき映画関係で名前を見かけるライターの佐藤友紀さんも、この小劇場で育った同世代のはずです。しかし、時代の波は確実に押し寄せ、駐車場を持たない映画館は流行らず、映画は斜陽産業になっていました。そもそも人口が二十万程度の地方都市で、旭座、シネマ旭、山形大映、山形宝塚、千歳座など、映画館が何館もあるのがおかしい、とさえ言われた時代です。しかも、商業ベースで封切られる映画は、仁侠やくざ映画にピンク路線。商業ベースに乗りにくい「蜜蜂の囁き」などの映画は、地方ではそもそも見ることさえかなわなかったのでした。

そんな頃に、1980年代の中ごろだったでしょうか、山形市内に「フォーラム」という小さな映画館ができました。わざわざ東京まで出かけなければ、良い映画を見ることができないという現状に不満を持つ映画好きが集まり、出資金を出し合って自分達の映画館を作ったのです。運営委員会方式の映画館経営は、経営的な難しさもあったでしょうが、当初の冷たい見方をくつがえし、着実に成長(*1)していきます。近年は、山形だけでなく秋田を除く東北各県に「◯◯フォーラム」等の映画館ができるまでになりました(*2)。現在の「山形フォーラム」は、駅前の市民会館の近隣にある建物に移転し、専用駐車場も備え、ずいぶん便利になりました。それでも、写真のように内部に映画ファンの声が掲示され、あいかわらず手作り風の雰囲気が残っています。


こちらは、現在の山形フォーラムの入口。


山形市で隔年開催されている、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(*3)も、山形のこのフォーラムを支えた映画好きの存在を抜きにしては語れないものでしょう。地方都市における映画館経営のあり方に一石を投じた「フォーラム」のあり方は、1970年代に産声を上げた東北最初のプロ・オーケストラである山形交響楽団の成長とともに、地方在住の人たちの独立心のあらわれなのかもしれません。

(*1):山形フォーラム~Forum Movie Net
(*2):福島フォーラムの設立と成長を紹介した新聞記事~アサヒコム福島版~
(*3):山形国際ドキュメンタリー音楽祭の由来
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ヴィヴァルディとピアソラ~二つの「四季」

2007年01月14日 17時28分54秒 | -協奏曲
ヴィヴァルディの「四季」は、いわずと知れた超有名曲ですので、実にたくさんの録音があります。小規模な私のコレクションでも、けっこうな数がたまってしまいました。演奏はどれも楽しいものですが、「ヴィヴァルディは女学校音楽部の顧問の先生」という記事(*)にも書いたように、聖ピエタ養育館の少女たちのオーケストラの中で、有能な子の技量を発揮させられるよう、協奏曲という曲種を工夫したのではないか、と考えています。

実は、イタリア合奏団によるDENONの「四季」には1986年7月の録音のほかにもう一つの録音があります。それがこのクレスト1000シリーズ中の1枚、1996年8月28日~9月1日、コンタリーニ宮での録音(COCO 70429)です。前者が「和声と創意への試み」作品8の全曲を収録しているのに対し、こちらはアストル・ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」とのカプリング。

アストル・ピアソラ(*2)は、アルゼンチン生まれの作曲家で、バンドネオン奏者。はじめはアルゼンチン・タンゴのバンドネオン奏者としてスタートしますが、タンゴに限界を感じ、クラシック音楽の作曲家を志してパリでナディア・ブーランジェに師事します。しかし、そこで自分の音楽の原点がタンゴにあることを指摘され、はじめは経歴も隠していたのでしたが、タンゴを変えるんだと決意します。祖国アルゼンチンに帰ってからの活躍は、タンゴ革命とかピアソラ革命とか呼ばれるものでした。

ヴァイオリニストのギドン・クレーメルがピアソラを高く評価し尊敬して、ピアソラの音楽を演奏したアルバムを出したのが、一時話題になりました。このCDは、クラシック音楽におけるピアソラ再評価の流れの一環なのでしょうか。

イタリア合奏団の演奏では、ヴィヴァルディの超有名曲も生ぬるいものにはなっておらず、たいへんに活力あるものです。ピアソラの音楽も、現代の音楽であることは一目(聴)瞭然ですが、300年以上の隔たりがあるはずなのに、思ったほど違和感を感じません。ヴィヴァルディとピアソラと、二つの「四季」を並べた試みは、意外に成功しているようです。

(*):ヴィヴァルディは女学校音楽部の顧問の先生
(*2):Wikipedia で「アストル・ピアソラ」を調べる
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にゃんこさん、ちゃんと証拠があるんだよ!

2007年01月14日 10時01分16秒 | 散歩外出ドライブ
昨晩、壮年会の役員会で飲んだビールはうまかった。今朝は、早朝派の私としては比較的「ゆっくり朝寝坊」の7時起床。お~い、にゃんこさん、あんよが冷たいよ!濡れてるじゃないか!さては、外へ出てきたな。知らんふりしてネコをかぶっててもダメだぞ。ちゃんと証拠があるんだよ!ほ~ら、足跡が残っているじゃないか。

新雪に点々と残るネコの足跡。行動は一目瞭然。金田一耕介かコナン君の気分で新雪をたどる、冬の散歩です。
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冠婚葬祭の常識はだれに聞けばいいのか~壮年会の役員会にて

2007年01月13日 22時47分56秒 | Weblog
週末の夜、地区の壮年会の役員会に出てきました。40代~50代の男性の集まりで、かつては冬の農閑期を利用して、お謡を習ったり実用習字を習ったりした伝統を引き継ぐものです。職業もさまざまな人が、同じ地区に住むという共通性で集まります。つい十年前には、老父が講師となり、一冬かけてお謡の稽古をしたものでした。「高砂」や「四海波静かにて」に始まり「鞍馬天狗」などの弱吟にいたる、一連の稽古をしたものでした。
さすがに今は、家単位の結婚式や上棟式など、めでたい謡を吟ずる機会も少なくなり、こうした中年の教養の必要性も薄れたようです。今日の話題は、もっぱら冠婚葬祭のマナーについて。老親をかかえる立場で、地区内や職場の関係で冠婚葬祭に出る機会が多くなった会員が、「こういう場合はどうすればいいか」「どう考えればいいのか」などと質問を出し、役員会そっちのけで盛り上がりました。
缶ビール程度のアルコールも少々入り、持参した漬物などをつまみながら、人生の勉強をいたしました。
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デュマ『モンテクリスト伯』を読む(14)~ダングラールの場合と復讐者の幸福

2007年01月12日 21時11分38秒 | -外国文学
エドモン・ダンテスを14年間土牢に閉じ込めた四人のうち、カドルッスは刺されて死に、フェルナンはピストル自殺、ヴィルフォールは発狂しますが、残る一人、ダングラールはどうなったのか。もとはといえばこの男の恨みと嫉妬心がすべての発端です。しかし、ヴィルフォールの妻と子も毒死した凄惨な様子を見て、自分の復讐が一線を越えたのではないかと疑うにいたったモンテ・クリスト伯は、ダングラールをどうしようというのか。それは、吝嗇な守銭奴から命を奪うのではなく、命より大切な金を奪う、というやり方でした。

破産して逃亡したダングラールが、ローマのトムスン・アンド・フレンチ商会に現れたのを知り、モンテ・クリスト伯に忠誠を誓う山賊の首領ルイジ・ヴァンパは、ダングラールを捕えます。が、何も要求せず、何の強要もしない。地下墓室にとらえたままただ放置するだけでした。
空腹に耐え切れなくなったダングラールは食事を要求します。その値段は、メニューにかかわらず1食十万フラン。はじめに505万フランを持っていたダングラールも、財産がどんどん減っていくのを見て、戦慄します。金の亡者らしく、財産を守ろうと絶食しますが、生死の境でダンテスの父が餓死する様子を思い出し、額を壁に打ち付けておののきます。モンテ・クリスト伯は、少なくともダングラールが死ぬほど苦しんだことを知り、最後の一人は命を助けます。

だが、復讐したはずのモンテ・クリスト伯自身もまた、苦しんでいたのでした。自分の復讐を実現するために、多くの人を不幸にする罪をおかし、自分自身が人間らしさを失ってしまったのではないか。モンテ・クリスト島の洞窟に招待されたマクシミリヤン・モレルが、死んだはずのヴァランティーヌに再会する幸福に酔っていたとき、モンテ・クリスト伯の罪の意識も少しやわらぎます。ひたむきに愛情を寄せる若く美しいエデと、失った人生をもう一度やり直すことができるのではないか?
遠ざかる船から、モンテ・クリスト伯がマクシミリヤンとヴァランティーヌに対して贈る最後の言葉は、「待て、そして希望を持て!」(松下和則・彩子訳)でした。



かたや40歳くらいのモンテ・クリスト伯と、まだ20代前半と思われるエデと、倍も年の離れた二人が本当に幸福になれるものなのか、大きな疑問も残りますが、長い長い物語も、ようやく終結。当ブログ記事も、連載の回数は全14回でした。楽しかった!この作品を、充分に満喫しました。やっぱり名作といわれるだけのことはあります。何度読み返してもあきない面白さです。毎回ちがう発見があります。たぶん、数年たつとまた読みたくなるのでしょうが、そこは再生機器を必要としない本のよさです。私の目が小さなポイントの文字を追うことができる限りは、たぶん同じように楽しむことができることでしょう(^o^)/

【追記】
全14回の記事にリンクを追加しました。
(1), (2), (3), (4), (5), (6), (7), (8), (9), (10), (11), (12), (13)
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新カテゴリー「外国文学」を設けました。

2007年01月11日 21時21分26秒 | ブログ運営
今まで「読書」というカテゴリーに一括していた外国文学ですが、だいぶ記事数が増えてきましたので、「外国文学」と言うカテゴリーを新設しました。インプレス刊の『できるブログ』によれば、goo ブログの場合、カテゴリー数は30まで増やせるのだそうです。それなら、もう少しカテゴリーを追加してもよさそうです。

「外国文学」は、今のところディケンズやデュマの作品が中心ですが、例によってのんびりマイペースで、読んだ本についての感想などを書いてみたいと思います。

出先からようやく帰宅、遅い夕食を食べてほっとしています。ここ数日、ちょいとくたびれましたので、風呂に入って早く寝ようと思います。本日はこれにて失礼。
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シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」を聞く

2007年01月09日 05時42分20秒 | -室内楽
連休最後の午後、シューベルトのチェロ・ソナタ イ短調、D.821、いわゆる「アルペジオーネ・ソナタ」を聞きました。ただし、アルペジオーネという楽器ではなく、現代のチェロによるもので、リン・ハレルのチェロ、ジェームズ・レヴァインのピアノ演奏です。1974年10月に録音されていますが、もちろんアナログ録音。RCA原盤で、レヴァイン指揮ロンドン響とのドヴォルザークのチェロ協奏曲に併録されている、R25C-1012というレギュラープライスのCDです。

第1楽章、アレグロ・モデラート。憂いをおびた第1主題が印象的です。
第2楽章、アダージョ。ゆったりとチェロが奏でる、優しく豊かな音楽。わずかに哀愁を感じさせる抒情的なメロディと、寄り添うようなレヴァインのピアノも美しい。
第3楽章、快活なアレグレットのはずですが、シューベルトの音楽にはデリケートなかげりがあります。

このCD、実はリン・ハレルの演奏に興味があり、求めたものでした。ジュリアード音楽院でレナート・ローズに師事し、チェロを学んでいた青年が、ガンで父を失い、その二年後に自動車事故で母を失います。ロバート・ショウとレナート・ローズの推薦によりクリーヴランド管弦楽団のオーディションを受けた青年は、生活のためにその職についたのでした。若くしてクリーヴランド管の首席奏者となっただけでなく、レナート・ローズの遺産の愛器をゆずられた、というエピソードもまた、彼の実力を示していると思います。このあたりの話は、孫弟子さんの「ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団が好きだ」というHP(*1)で拝見(*2)していました。ジェームズ・レヴァインとともに、いわばジョージ・セルの弟子でもあります。

この対話の中で、リン・ハレルはこんなエピソードを語っています。

オーケストラに職を得ることにより生活の安定を得た青年は、ソリストとしての華やかな生活に少なからず憧れを持ち、オーケストラで演奏することに飽きてしまいます。すると、厳格で知られるセルは若いチェロ奏者を呼び、こんな話をするのです。

"セルは、私がブラームスの第2の第1楽章の第2主題を好きかどうか訊きました。 で、私は好きだと答えました。するとセルはブラームスの3番の第3楽章の最初を好きかどうかと訊きました。 私はまた好きだと答えました。 するとセルはこう言いました。 「まあ、なんだ、わかるだろう、自分一人ではそういうのを弾くことはできんのだよ。 そういうメロディはたくさんの人間で弾くことを想定されて作曲されてるんだ」 その後、オーケストラの曲をどうやって練習したら、チェロのセクション全体のようには弾けないために不満を感じていらいらしたりすることがないようにできるかということを話し合いました。 セルは、こういうものは音楽史上の至宝であるということ、自分が曲全体の中の統合されてかつ重要な一部であると感じることができなければならないこと、そして私がそう感じない限り不満を感じないようにはならないこと、を語りました。 それで私は彼の部屋から晴れやかな顔で出てきました。 なんてすばらしいことだ、オーケストラの中で演奏できてそれを本当に楽しめるなんて! と思ったものです。"

ここには、コンクールを経て有名になり、ソリストとして活躍するのではない、師匠ローズと同様にオーケストラの一員として働きながら経験を積み、音楽を円熟させて行く生き方が示されているように思います。そして、このCDでは、数多のコンクールを勝ち抜いた強者が演奏するのではない、シューベルトの柔軟で優しい音楽を、繊細で透明なチェロの音色で聞くことができます。

ジョージ・セルの没後、翌1971年に彼はクリーヴランドを離れ、ニューヨークでリサイタルを開きますが、お客の入りはさっぱりで、しばらくは鳴かず飛ばずの状態でした。この時に手を差し延べたのが、クリーヴランド管で同僚だった指揮者レヴァインです。ドヴォルザークの協奏曲も立派な演奏であり、このCDは若い彼らの友情の産物でもありましょう。私のお気に入りのCDの一つです。

■リン・ハレル(Vc)、ジェームズ・レヴァイン(Pf)
I=11'06" II=5'14" III=8'28" total=24'48"

(*1):「ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団が好きだ」~孫弟子さんのHP
(*2):リン・ハレルとの対話
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デュマ『モンテ・クリスト伯』を読む(13)~ダングラールの没落とヴィルフォール家の凄惨な結末

2007年01月08日 11時37分15秒 | -外国文学
デュマ『モンテ・クリスト伯』、全集版第三巻もいよいよあとわずか。連休に入り、残るページ数を惜しみながら、読んでおります。



ヴィルフォールと先妻の間に生まれた娘、ヴァランティーヌは、日に日にやつれて美しさが増してきます。これは、実はノワルティエ老人の深慮でした。ヴァランティーヌは一度毒に倒れますが、かろうじて一命を取り留めます。マクシミリヤン・モレルに、ヴィルフォールの娘を愛していると聞いたモンテ・クリスト伯は思わず絶句しますが、ヴァランティーヌを守ることを約束します。

アンドレア・カヴァルカンティは、男ぎらいで気性の激しいダングラールの娘ウージェニーと結婚契約の署名をする寸前に警察の手から逃亡、実は脱獄した徒刑囚で殺人犯であることが暴露されます。彼女は銀行家の父親の破産を防ぐため、金目当てで結婚に同意していたのでしたが、さすがに嫌気がさしたか、音楽仲間のレオン・ダルミィー嬢とともに逃亡します。しかし、アンドレアが警察に追われ、逃げ込んだ旅館の煙突から落ちた場所が、男装のウージェニーとダルミィー嬢が一つベッドに寝ていた部屋だったとは、やれやれです。ここでは、ダングラール親子の破廉恥さが、マクシミリヤンとヴァランティーヌの純愛に対比されて描かれています。

さて、ヴィルフォールには、ヴァランティーヌの母である妻のほかに、実は不倫の相手がいたのでした。それが現在ダングラール男爵夫人となっている、元ナルゴンヌ侯爵未亡人エルミーヌです。二人の間に生まれた不義の子、ヴィルフォールに生き埋めにされた子どもが、実はカドルッス殺しの犯人アンドレアなのですが、それを知らないヴィルフォールは、熱心に裁判の準備を進めます。

そんなときに、ヴァランティーヌが再び毒に倒れます。ただし、これはモンテ・クリスト伯がひそかに見張っている中で行われた犯行であり、ヴァランティーヌは犯人の姿と顔をはっきりと見ます。だが、翌朝ヴァランティーヌが冷たくなって発見されたとき、ヴィルフォールもノワルティエ老人も愕然とします。マクシミリヤンの慟哭。そして殺人の告発。ノワルティエ老人は、検事でもある息子ヴィルフォールに犯人は誰かを伝え、その処置を約束させます。

ダングラールはついに破産し、手元に残った他人の金をかきあつめて逃亡します。ダングラール夫人は、ともにインサイダー取り引きを行っていた愛人の大臣秘書官リュシアン・ドブレーに救いを求めようとしますが拒絶されます。この女性も常に金目当てで、身持ちの悪い懲りない女ですね。遊び回りたい母親にとって、隣でじっと見つめる娘は邪魔な存在でしかない。それでは娘ウージェニーが歪んだ成長をするのは、むしろ当然のことと言えましょう。

ヴァランティーヌを失ったマクシミリヤンは生きる希望を失ってしまいますが、モンテ・クリスト伯に一ヶ月だけ死ぬことを待つよう説得され、しぶしぶ約束します。マクシミリヤンが父モレル氏の墓にもうでている頃、モンテ・クリスト伯は、アルジェリアの軍隊に志願したアルベールを見送り、エドモン・ダンテスの父親がかつて住んでいた、メーラン小路の古い家でひっそりと暮らすメルセデスをたずねます。絶望に沈むかつての恋人の姿を目の当りにして、自分の復讐の意味を疑いますが、もう一度訪れたイフの城砦の土牢で、ファリャ神父の遺品に接し、あらためて復讐を誓います。

アンドレアの重罪裁判に出かける朝、ヴィルフォールは妻エロイーズに「いつも使っている毒薬はどこだ」とたずねます。そして、自分用に残しているだろうな、と念を押し、帰るまでに自分で毒を飲むように、と命じるのでした。裁判でアンドレアが「父は検事をしている」と述べ、父ヴィルフォールの旧悪を暴露する場面も、なんとも迫力がありますが、さらに凄惨なのは罪を認め帰宅したヴィルフォールが目にした、妻が息子エドゥワールを道連れに服毒死した姿でした。ヴァランティーヌの幸福を望むノワルティエ老人をなぐさめていたブゾーニ神父が、実はエドモン・ダンテスであることを知ったヴィルフォールは、ついに発狂します。

サン・メラン侯爵夫妻とバロワの三人を毒殺した夫人が、古代ローマ時代の毒殺魔ロクスタにたとえられるのは当然としても、その動機が財産をわが子に確保するためであり、薬の調合を教え毒殺の可能性を示唆したのはモンテ・クリスト伯自身です。あまりの凄惨さに、自分の復讐が、神が許す最後の一線を越えてしまったのではないかと恐れるモンテ・クリスト伯は、残る一人は助けようと決意します。

【追記】
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今夜「ドン・カルロ」ハイライト版がTV放送

2007年01月07日 14時45分52秒 | -オペラ・声楽
毎週楽しみにしているN響アワーの後に、10時から芸術劇場と言う番組が放送されます。毎月第1・3週は、森田美由紀さんの案内で、音楽関係の内容が特集されます。今日は、10時03分から、昨年の新国立劇場の公演で、ヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」が放送予定とのこと。全曲ではとても時間枠におさまりませんので、大幅なカットはやむを得ませんが、ハイライト版として楽しめるかと思います。
ヴェルディの歌劇の中でも最高傑作との声も高い、シラー原作の重厚な作品です。もし、ヴェルディの音楽に興味がおありの方は、ぜひ録画してごらんください(^_^)/
ストーリー等はこちら(*1)とかこちら(*2)などが参考になります。
(*1):Wikipediaより~「ドン・カルロ」解説
(*2):ヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」あらすじ

なお、当「電網郊外散歩道」でも、以下の記事を掲載しております。ただし、この記事では第2幕を第1幕第2場と第3場としており、数え方がやや違います。
ヴェルディ/歌劇「ドン・カルロ」第1幕を見る
ヴェルディ/歌劇「ドン・カルロ」第2幕を見る
ヴェルディ/歌劇「ドン・カルロ」第3幕を堪能する
ヴェルディ/歌劇「ドン・カルロ」第4幕を見る
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スライド風の画像の作成法

2007年01月07日 07時40分01秒 | コンピュータ
今年の新年のご挨拶のページを作るとき、適当な写真がなくて困りました。イノシシのオリジナル写真なんて持ってないし、さて・・・。

そこで思いついたのが、「困ったときのGimpだのみ」。Gimp(*1)というのは、別名 Photoshop キラーとも呼ばれるフリーソフトで、もとはLinuxで開発されたようですが、現在はWindowsにも移植されています。カラー写真印刷用の4色分解ができないほかは、たいていできるという、スーパー画像ツールです。

お正月用に文翔館議場ホールの写真を選び、これを装飾して使おう、という計画です。単純な影つきでもいいのですが、そこは Script-Fu → 装飾 →スライド化 でスライド風にしてしまおう、という魂胆。

ふだんは Linux 上で作業していますが、参考までに Windows で作業する様子をご紹介。たとえばこんなぼけぼけの写真があったとすると、



Gimpでは、画像上で右クリックして、こんなふうにメニューを選択して作業します。



で、その結果は



こんなふうになります。カメラをポケットに入れたためにレンズが曇ってしまい、ぼけぼけになった写真も、さらに影をつけたりすると、もう少ししゃれた感じになります。

(*1):Gimp ~ 公式サイト(英文)
(*2):とても参考になるユーザーズ・マニュアルのページ

画像ツールをお持ちでなくて、画像処理に興味のある方は「Gimp Windows ダウンロード」などで Google 検索してみるといいかもしれません。Windows版は、MS-Windows95/98/Me/2000/XP 上で動作します。プラグイン集もあわせてダウンロードしておくといいでしょう。
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今度は間違いなく~NHK金曜時代劇「蝉しぐれ」、1月9日からBS-2で再放送

2007年01月06日 10時46分28秒 | -藤沢周平
以前、山形ローカルなのに全国放送だと勘違いしてアナウンスし、他地区のファンを切歯扼腕させてしまったNHK金曜時代劇「蝉しぐれ」ですが、来る1月9日(火)より毎週火曜日、夜19時45分から、BS-2で全国的に再放送される(*)ようです。

主演は内野聖陽(牧文四郎)、お相手のふく役に水野真紀、「蔵出しエンターテインメント」として全7回の放送予定ですから、6回短縮版ではなさそうで、ほぼオリジナルに近い内容のようです。1月9日(火)は19:45~20:28までの時間枠ですから、ドラマ放送後の反響やカットされた場面を追加した内容かもしれない、などと勝手に期待をふくらませています。

残念ながら、当日は出張の予定ですが、これは文明の利器を用いて録画することで解決し、後日ゆっくりと楽しむことといたしましょう。

(*):金曜時代劇「蝉しぐれ」公式ホームページ


【追記】
「蝉しぐれ 再放送」で検索して来られる方が増えましたので、2013年春の再放送予定について触れた記事(*)をメモしておきます。

(*):NHKテレビで「蝉しぐれ」7回版の再放送を観る~「電網郊外散歩道」2013年2月

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デュマ『モンテ・クリスト伯』を読む(12)~エデのモルセール伯弾劾と決闘の結末

2007年01月06日 05時09分22秒 | -外国文学
デュマの『モンテ・クリスト伯』、集英社世界文学全集版・第三巻が大詰めに来ています。もうすぐ読み終えるのが惜しいくらいです。

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ギリシャのアリ・テブランの死はフェルナンとよばれるフランス人の裏切りによるものだったとする新聞記事をめぐって、ボーシャンは自らジャニナで現地調査を行い、まっすぐにアルベールのもとへ来ました。そこでもたらされた知らせは、父モルセールの裏切りは明白であり、その証拠となる書類もあったのです。しかし、ボーシャンはアルベールへの友情から、秘密の秘匿を約束します。
アルベールはモンテ・クリスト伯とともにノルマンディ地方を旅します。しかし、召使いによりもたらされた急報により、父モルセール伯爵のジャニナでの裏切り行為を暴く記事が新聞に掲載されたことを知ります。至急パリに戻ったアルベールは、ボーシャンから父モルセール将軍に対する貴族院での審議の顛末を聞きます。議会の査問委員会において、モルセール伯が弁明を行い、ほとんど成功しかけていました。このとき、ヴェールをしたギリシャ風の若い女性がやってきて、自分がアリ・テブランと愛妾ヴァジリキとの娘であることを告げ、モルセール伯に対する血を吐くような弾劾を行ったのでした。
すでにエデから裏切り者の名前以外の概要を聞いて知っていたアルベールは、秘匿されたはずの情報の出所を探します。ダングラールの家で、ジャニナに情報を問い合わせるように示唆したのがモンテ・クリスト伯であることを知り、すべての動きの背後に伯爵の存在があることに気づきます。

怒ったアルベールはオペラ座に出向き、モンテ・クリスト伯を侮辱し、決闘を申し込みます。伯爵は冷静にそれを受け、父モルセールこと漁師フェルナンへの復讐のために、その息子アルベールを殺す準備をします。そこにアルベールの母であり、かつての恋人メルセデスが訪ねてきます。母親の涙の訴えに、14年間の土牢生活の中で誓った復讐の心もくじけ、自分が死ぬ決意をします。ですが、娘のように愛してきた女奴隷エデが、父親のようにではなく自分を愛していることを知り、生への悔恨にひたります。

しかし、決闘は行われませんでした。母親からすべての真相を知らされたアルベールは、モンテ・クリスト伯が父への復讐の権利を持っていることを認め、公式に謝罪します。アルベールと母メルセデスが荷物をまとめて屋敷を出る頃、モルセール伯爵はモンテ・クリスト伯に決闘を申込みに行きますが、そこで出会ったのは、なんとエドモン・ダンテスでした。孤独な屋敷に戻ったモルセール伯は絶望し、ピストルで自殺します。「これで二人。」



なんといっても、血をはくようなエデの弾劾の場面がすごいです。言葉の短刀がモルセール伯にぐさぐさと突き刺さる様子は、思わず息をのむすごさです。そして、必死に息子の助命を願うメルセデスとのやりとりと、じっとその様子をうかがうエデの可憐さにうたれます。確かに、復讐するのなら責任のある本人(父)にしろ、息子は関係ないじゃないか!というのは正論ですね。これは、復讐のために手段を選ばなかったモンテ・クリスト伯の負け。


【追記】
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J.S.バッハ「コーヒー・カンタータ」を聞く

2007年01月05日 06時44分11秒 | -オペラ・声楽
新年に最初に聞いた音楽は、J.S.バッハでした。それも、朝のコーヒーを飲みながら、「コーヒー・カンタータ」を(^_^)/

バッハの世俗カンタータで、正式にはカンタータ第211番「お静かに、おしゃべりせずに」BWV211、というのだそうです。エリー・アメリング(Sop)、コレギウム・アウレウム合奏団の演奏で、1967年にドイツのフッガー城、糸杉の間で録音されたもの(ハルモニア・ムンディ原盤、BMG BVCD-38131)です。

16世紀にヨーロッパに入り、イギリスで大流行して、この頃にドイツに入ってきたコーヒーがライプツィヒでも大流行し、特に若い女性が飛びついたのだそうです。そして、若い娘を持つ父親が、娘のコーヒー習慣を嘆くという、いささか笑える想定の音楽。ナタデココとかティラミスとか、一時流行したものもありましたが、当時はコーヒーが流行の最先端だったわけで、コーヒーを別のものに変えれば、今でも心当たりのありそうな情景ですね!

でも、バッハの音楽は実に生き生きとしていて、しかつめらしいところはありません。ユーモアがあります。文翔館の喫茶と提携して、コーヒーをいただきながらコーヒー・カンタータを聞く演奏会などを夢見てしまいます。想像しただけで、実に楽しそうです。もっとも、演奏中はコーヒーを「ズズズ・・」とすすらないでください、なんて注意する必要が出てくるかな?

そんな心配も、自宅でなら大丈夫。幸い雪も降らない。分析的なCDの聞き方はやめて、バッハの音楽を聞きながら、今日も心ゆくまで朝のコーヒーを味わいましょう(^o^)/
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映画「敬愛なるベートーヴェン」を見る

2007年01月04日 06時34分47秒 | 映画TVドラマ
山形市の「フォーラム」にて、アニエスカ・ホランド監督作品「敬愛なるベートーヴェン」を見てきました。題名は「敬愛する」と「親愛なる」をごっちゃにしたような感じですが、原題は "Copying Beethoven" で、交響曲第9番の合唱部を写譜するよう雇われた女性と、粗野で下品で音楽に憑かれたような巨匠ベートーヴェンの物語。

ベートーヴェンを演じたのはエド・ハリス、ベートーヴェンは、このときすでに晩年に入る50代。情けない中年男の嫌味をたっぷり堪能できます。うまいもんです。お相手役の写譜をした女性アンナ・ホルツ役はダイアン・クルーガー。意志の強い理知的な女性がよく似合います。

前半は第九交響曲を完成し、演奏会を成功させるまで。困りきっているベートーヴェンを助けるアンナがかっこいい。聴覚障碍で初演の日にオーケストラを統率できないベートーヴェンに、ヴァイオリンの足元でテンポや入りを指示して助ける。この演奏場面では、ベートーヴェンとアンナが互いに理解しあう様子が描かれます。第三楽章の描写は、まるで二人の交歓の場面のよう。第四楽章、朗々とした独唱のあとで合唱が爆発的に入るところで、音楽に思わずうるっときてしまいました。

しかし、物語はそれだけでは終わりません。こんどはベートーヴェンが助ける役割です。後半はベートーヴェンの写譜師としてではなく一人の作曲家として自立するための女性の苦悩と、ベートーヴェンの孤独で厳しい、新しい音楽表現の開拓者としての苦悩が描かれます。中心となるのは後期の弦楽四重奏曲です。はじめはアンナも「大フーガ」が理解できない。しかし、音と音との間の沈黙を見つめることで音楽が生まれる、というベートーヴェンの言葉を手がかりに、アンナ自身の音楽もしだいに深まりが出てきます。病に倒れたベートーヴェンを世話しながら、口述で書き取った音楽の真実さ。いよいよ病が篤くなり、危篤状態の枕元に駆けつけたアンナが、「大フーガがあなたと同じように聞こえた」と伝えた冒頭の場面、ベートーヴェンは、ああ、理解された、と感じたのではないでしょうか。

ベートーヴェンを、なぜあれほど下品で粗野に描く必要があったのか?それは、ベートーヴェンの悲劇を描くだけではなく、中年男ベートーヴェンとアンナという若い女性との関係を限りなく精神的なものにとどめるという、作劇上の必要があったからでしょう。

いい映画でした。
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