週末の爽やかな朝、ここ数日通勤の音楽として聞いて楽しんできたヴィヴァルディの協奏曲集「和声と創意への試み」作品8の全曲を、自室で通して聞いた。演奏はイタリア合奏団で、デンオンのCOCO-70722-3という型番を持つ、2枚組1500円というありがたいものだ。1986年7月、イタリア、コンタリーニ宮でのデジタル録音。
最初に取り出したCDの2枚目、二部に分かれて出版されたうちの後半、第2集冒頭にあたる協奏曲第7番、第1楽章の弦楽合奏の鮮烈な開始に思わず息を飲む。通勤用のカーステレオの音とは一線を画す、華麗で迫力のある音と豊かな残響に魅了される。イタリア合奏団のこの録音では、基本的にはヴァイオリン協奏曲集の形態を取っているが、そのうち2曲だけ、第9番と第12番はオーボエ独奏を含む印象的なオーボエ協奏曲のスタイルを取っている。
続いて1枚目を聞くと、やはりこの曲集のうち、親しみやすさでははじめの4曲、春夏秋冬の四季が抜群に印象的だとあらためて思う。あまり標題にとらわれるつもりもないが、印刷出版された楽譜に短いソネットを付けたくなる気持ちが理解できる。実際に聖ピエタ教会での演奏の際も、誰かがソネットを朗読し、それぞれの曲を演奏する、というスタイルを取ったのかもしれない。現代の聴衆もわかりやすい標題を好むのだから、18世紀ベネツィアの貴族や市民たちもまた、四季の標題を喜んだのはたぶん間違いないだろう。
以前放送されたNHKの番組「シャルル・デュトワの音楽都市めぐり(1)イタリア」の中で、ヴィヴァルディについてこんなふうに紹介している。
ヴィヴァルディは、聖ピエタ教会の裏で生まれ、この教会の司祭兼聖ピエタ養育館の少女達の音楽教師として生活し、少女達のオーケストラが毎週演奏するために膨大な曲を作曲した。有能な少女のためにソロパートを書き、弦楽合奏や管楽器がかけあいをする形式、つまり協奏曲を発明した。
そう考えると、12曲の協奏曲集は、12人の有能な奏者が次々に立ち、交代でソロを演奏すると考えると、よく理解できる。現代風に言えば、女学校で音楽部の演奏会で上級生が交互に立ち上り、スタンドプレイを演奏し拍手を受ける、そういう風景だ。おそらくヴィヴァルディは、女学生に信頼され愛された、才能豊かな顧問教師のようなものだったのだろう。
このCDのメインは一枚目の「四季」であり、ついでに全曲を聞いてみたい、というのが主な購入動機なのだろうが、コンタリーニ宮での録音の良さと、イタリア合奏団の演奏水準の高さから、繰り返し聞いて楽しむことのできる、素晴らしいCDだと思う。
最初に取り出したCDの2枚目、二部に分かれて出版されたうちの後半、第2集冒頭にあたる協奏曲第7番、第1楽章の弦楽合奏の鮮烈な開始に思わず息を飲む。通勤用のカーステレオの音とは一線を画す、華麗で迫力のある音と豊かな残響に魅了される。イタリア合奏団のこの録音では、基本的にはヴァイオリン協奏曲集の形態を取っているが、そのうち2曲だけ、第9番と第12番はオーボエ独奏を含む印象的なオーボエ協奏曲のスタイルを取っている。
続いて1枚目を聞くと、やはりこの曲集のうち、親しみやすさでははじめの4曲、春夏秋冬の四季が抜群に印象的だとあらためて思う。あまり標題にとらわれるつもりもないが、印刷出版された楽譜に短いソネットを付けたくなる気持ちが理解できる。実際に聖ピエタ教会での演奏の際も、誰かがソネットを朗読し、それぞれの曲を演奏する、というスタイルを取ったのかもしれない。現代の聴衆もわかりやすい標題を好むのだから、18世紀ベネツィアの貴族や市民たちもまた、四季の標題を喜んだのはたぶん間違いないだろう。
以前放送されたNHKの番組「シャルル・デュトワの音楽都市めぐり(1)イタリア」の中で、ヴィヴァルディについてこんなふうに紹介している。
ヴィヴァルディは、聖ピエタ教会の裏で生まれ、この教会の司祭兼聖ピエタ養育館の少女達の音楽教師として生活し、少女達のオーケストラが毎週演奏するために膨大な曲を作曲した。有能な少女のためにソロパートを書き、弦楽合奏や管楽器がかけあいをする形式、つまり協奏曲を発明した。
そう考えると、12曲の協奏曲集は、12人の有能な奏者が次々に立ち、交代でソロを演奏すると考えると、よく理解できる。現代風に言えば、女学校で音楽部の演奏会で上級生が交互に立ち上り、スタンドプレイを演奏し拍手を受ける、そういう風景だ。おそらくヴィヴァルディは、女学生に信頼され愛された、才能豊かな顧問教師のようなものだったのだろう。
このCDのメインは一枚目の「四季」であり、ついでに全曲を聞いてみたい、というのが主な購入動機なのだろうが、コンタリーニ宮での録音の良さと、イタリア合奏団の演奏水準の高さから、繰り返し聞いて楽しむことのできる、素晴らしいCDだと思う。
大量にある協奏曲も良いですね。しかし、私はヴィヴァルディが大量に書いた宗教音楽が特に好きです。
大学の時に合唱の授業でヴィヴァルディの「グローリア」を歌った時は、もう嵌っていました。昔、ヴィットリオ・ネグリの指揮で全集に近いものが出ていて、それを今でも大事にして聞いています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
ヴィヴァルディは、25歳で司祭になったものの、音楽指導と比較するとミサにはあまり熱心ではなかったとか。お説教や聖書の字句の解釈などは、あまり得意でなかったのかもしれません。彼の宗教作品はまだ聞いたことがありませんので、ぜひ入手してみたいものだと思います。
ところで、ヴィヴァルディはたった一曲の協奏曲を何百回も書いたという悪口は確かストラヴィンスキーだったかと思います。言い過ぎでしょうね。
後期になると、「1ダースなら安くなるってもんじゃない」とかなんとか言って、その習慣を破棄したのでしょうか。このあたりも、もしかしたら革命家ベートーヴェンの面目躍如たるものがあるのかもしれません。
シューマンもブラームスも、そういう面から見ると、古典に通じるところがあるのかな。そういえば、バッハのブランデンブルグ協奏曲も6曲だ(^_^)/