山形市の「フォーラム」にて、アニエスカ・ホランド監督作品「敬愛なるベートーヴェン」を見てきました。題名は「敬愛する」と「親愛なる」をごっちゃにしたような感じですが、原題は "Copying Beethoven" で、交響曲第9番の合唱部を写譜するよう雇われた女性と、粗野で下品で音楽に憑かれたような巨匠ベートーヴェンの物語。
ベートーヴェンを演じたのはエド・ハリス、ベートーヴェンは、このときすでに晩年に入る50代。情けない中年男の嫌味をたっぷり堪能できます。うまいもんです。お相手役の写譜をした女性アンナ・ホルツ役はダイアン・クルーガー。意志の強い理知的な女性がよく似合います。
前半は第九交響曲を完成し、演奏会を成功させるまで。困りきっているベートーヴェンを助けるアンナがかっこいい。聴覚障碍で初演の日にオーケストラを統率できないベートーヴェンに、ヴァイオリンの足元でテンポや入りを指示して助ける。この演奏場面では、ベートーヴェンとアンナが互いに理解しあう様子が描かれます。第三楽章の描写は、まるで二人の交歓の場面のよう。第四楽章、朗々とした独唱のあとで合唱が爆発的に入るところで、音楽に思わずうるっときてしまいました。
しかし、物語はそれだけでは終わりません。こんどはベートーヴェンが助ける役割です。後半はベートーヴェンの写譜師としてではなく一人の作曲家として自立するための女性の苦悩と、ベートーヴェンの孤独で厳しい、新しい音楽表現の開拓者としての苦悩が描かれます。中心となるのは後期の弦楽四重奏曲です。はじめはアンナも「大フーガ」が理解できない。しかし、音と音との間の沈黙を見つめることで音楽が生まれる、というベートーヴェンの言葉を手がかりに、アンナ自身の音楽もしだいに深まりが出てきます。病に倒れたベートーヴェンを世話しながら、口述で書き取った音楽の真実さ。いよいよ病が篤くなり、危篤状態の枕元に駆けつけたアンナが、「大フーガがあなたと同じように聞こえた」と伝えた冒頭の場面、ベートーヴェンは、ああ、理解された、と感じたのではないでしょうか。
ベートーヴェンを、なぜあれほど下品で粗野に描く必要があったのか?それは、ベートーヴェンの悲劇を描くだけではなく、中年男ベートーヴェンとアンナという若い女性との関係を限りなく精神的なものにとどめるという、作劇上の必要があったからでしょう。
いい映画でした。
ベートーヴェンを演じたのはエド・ハリス、ベートーヴェンは、このときすでに晩年に入る50代。情けない中年男の嫌味をたっぷり堪能できます。うまいもんです。お相手役の写譜をした女性アンナ・ホルツ役はダイアン・クルーガー。意志の強い理知的な女性がよく似合います。
前半は第九交響曲を完成し、演奏会を成功させるまで。困りきっているベートーヴェンを助けるアンナがかっこいい。聴覚障碍で初演の日にオーケストラを統率できないベートーヴェンに、ヴァイオリンの足元でテンポや入りを指示して助ける。この演奏場面では、ベートーヴェンとアンナが互いに理解しあう様子が描かれます。第三楽章の描写は、まるで二人の交歓の場面のよう。第四楽章、朗々とした独唱のあとで合唱が爆発的に入るところで、音楽に思わずうるっときてしまいました。
しかし、物語はそれだけでは終わりません。こんどはベートーヴェンが助ける役割です。後半はベートーヴェンの写譜師としてではなく一人の作曲家として自立するための女性の苦悩と、ベートーヴェンの孤独で厳しい、新しい音楽表現の開拓者としての苦悩が描かれます。中心となるのは後期の弦楽四重奏曲です。はじめはアンナも「大フーガ」が理解できない。しかし、音と音との間の沈黙を見つめることで音楽が生まれる、というベートーヴェンの言葉を手がかりに、アンナ自身の音楽もしだいに深まりが出てきます。病に倒れたベートーヴェンを世話しながら、口述で書き取った音楽の真実さ。いよいよ病が篤くなり、危篤状態の枕元に駆けつけたアンナが、「大フーガがあなたと同じように聞こえた」と伝えた冒頭の場面、ベートーヴェンは、ああ、理解された、と感じたのではないでしょうか。
ベートーヴェンを、なぜあれほど下品で粗野に描く必要があったのか?それは、ベートーヴェンの悲劇を描くだけではなく、中年男ベートーヴェンとアンナという若い女性との関係を限りなく精神的なものにとどめるという、作劇上の必要があったからでしょう。
いい映画でした。