電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山本周五郎『ながい坂』上巻を読む

2006年04月04日 21時36分08秒 | 読書
8歳の時に父親とともに釣りに行く途中、いつもの小道にある橋が壊されていた。それを誰も咎めるものがいない。理不尽ではないか。偶然に目撃した藩の抗争事件についても、口をつぐみ誰も何も語らない。この現実を正したい、そう決意した阿部小三郎は、学問と武芸に励み、頭角をあらわす。主水正と名を改めた頃、藩内の名家の一つ山根家から、評判のじゃじゃ馬娘の婿にと縁談が来るが、婿養子には行かないと断る。火事の最中に、20年前の大火の時と条件が似ていることに気づき、出仕先の奉行に断り、素封家に米の提供を依頼すると同時に、焼け出された人々を寺に収容することを依頼し、奉行名で村人に炊出しの人手を出すことを命じて回る。家々の再建に従事する賃金を倍増するとともに、被災者の税を一年間停止し、短時日のうちに町の再建を果たす。これがみな、まだ二十歳にもならない若い平侍の阿部主水正の手柄だった。
藩主の昌治に認められ、断絶した三浦家の家名を継ぎ、山根家のじゃじゃ馬娘を娶るが、この高慢な娘つるは平侍出身の主水正を認めようとしない。主水正が25歳になるまで寝所も別にし、真に夫婦とはならないという。それどころか、これみよがしに遊び回る。家老の嫡子・滝沢兵部は主水正をライバル視するが、主水正は明らかな対決を避け、荒地に水を引き、ひそかに開墾する計画を練る。
仕事に打ち込む夫が自分を振り向いてくれないことに、気位の高い妻つるは業を煮やす。あげく、銀杏屋敷での乱痴気さわぎに明け暮れる始末。藩内の商人五人組が、主水正の幼なじみの武高ななえを別宅に住まわせ、主水正を取り込もうとする。恩師から、手中に入り敵の内情を知ることも必要と諭され、ななえのもとに通うようになると、夫に思い知らせることに固執する妻つるの心中はおだやかでない。
江戸勤めにより測量を学んだ主水正が帰国し、やがて藩主飛騨守昌治のきもいりで開墾地の測量が始まる。これに対する妨害も発生する中、新藩主擁立を企て藩主昌治の排斥運動が起こる。ななえに子どもができ、妻つるは孤独をかみしめる。

山本周五郎らしい力のある物語の展開です。長編だけに、一つ一つのエピソードが後からじわりと効いてきます。思わず読みふけってしまう面白さがあります。
ただ、主水正の独白の場面はやや説明的というか弁解がましい。また、いくら気位の高いじゃじゃ馬娘でも、銀杏屋敷の場面で平然とあられもない同性の姿を眺めているのは不自然。このあたりは、大衆小説の読者に向けた、少々下品なお色気サービスにすぎないように思います。

藤沢周平の『風の果て』と、設定も展開もよく似ています。山本周五郎の『ながい坂』では主人公が婿養子には行かないと断りますが、藤沢周平作品のほうでは、主人公が婿養子に行って物語が展開されます。このあたりの想定は、女性に対する作者の優しさの差でしょうか。
さて、主水正とつるの運命が急展開する下巻の内容は、また次回。
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シューマン「弦楽四重奏曲第3番」を聞く

2006年04月04日 19時49分42秒 | -室内楽
大都市には大都市の良さがあるけれど、田舎に戻ってくるとほっとする。休日を全部費しての東京滞在を終え、昨日から再び仕事の日々が始まった。まだ慣れないためか緊張感が強く、いらぬ神経を使う。帰宅してから、R.シューマンの「弦楽四重奏曲第三番イ長調」を聞く。演奏は、ヴィア・ノヴァ四重奏団。
(1)第1楽章 アンダンテ・エスプレッシーヴォ、6:57
(2)第2楽章 アッサイ・アジタート、6:51
(3)第3楽章 アダージョ・モルト、8:35
(4)第4楽章 フィナーレ、7:19
シューマンの室内楽の年である1842年に産まれた曲だが、優しさと前向きな情熱を感じさせる音楽になっている。三曲ある弦楽四重奏曲のうちで一番好きな曲だ。
ディケンズの『オリバー・ツイスト』が書かれたのが1838年、『クリスマス・キャロル』が1843年というから、実際の社会は小説に描かれているような悲惨な境遇にある人が多かったのだろう。恵まれた環境で幸福いっぱいのはずのメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲がある種の悲壮感や怒りを感じさせたりするのは、そんなせいもあるのかもしれない。だが、本作品の楽想の影には、あまりそうした深刻で悲劇的な要素は感じられない。ベートーヴェンやモーツァルト、ハイドンなどの同ジャンルの作品を研究し、意欲的に挑戦しているようだ。きわめて多産な時代のR.シューマン。
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