電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山本周五郎『ながい坂』下巻を読む

2006年04月05日 21時33分05秒 | 読書
三浦主水正を暗殺するために、五人の刺客が来ると言う。新藩主擁立を狙う一派の策動に、城代家老の交替と堰堤工事の中止が決まり、主水正はななえと赤子を連れて、百姓として身を隠す。襲撃を乗り越え、開墾地でじっと身をひそめている間にも、流産したななえはぬけがらのような暮らしを送る。ある日、馬を走らせてきた妻つるから、藩主の様子が不審だと聞かされる。もしかすると、藩主は替え玉なのではないか。疑惑が広がる。
主水正の子・小太郎が、ちょっと目を離した隙に川に落ち、死亡する。その衝撃に、ななえは耐えられない。主水正の子をまた宿すのではないか、そしてまた不幸になるのではないか。そう恐れるななえは、自ら主水正の元を去る。主水正が身を潜める長屋に、藩主昌治が生きており、幽閉されているとの情報がもたらされる。藩主のもとに忍び入るが、敵の自滅の日が近いことを確信する昌治は、逃亡を拒否する。藩内の商人五人組は、新藩主擁立を目指す勢力が引き入れた卍屋すなわち江戸の三井によって打撃を受け、藩主昌治と三浦主水正の復活にかけようとする。そして主水正は、妻つるの守る、自分の屋敷に戻る。
34歳になった妻つると初めて心を交わしてから数日後、主水正は登城を命じられ、領内測量の功により、公儀よりお褒めの言葉を賜わる。五人組にも世代交替の時期が来ており、危機感を持つ抜け目のない息子達を一人一人確かめる。妻つるは抑えてきた情熱を夫にぶつけ、やけに色っぽく変身する。とても上巻の銀杏屋敷の場面を経てきた同じ女性とは思えない。
城代家老の息子として、その後を継ぐべく育てられた滝沢兵部は、放蕩の限りをつくし、父主殿から見放されているが、妻子ある身で山中で絶望に苦しむ姿を森番が見ていた。主水正のもとを離れたななえは、芸者として出たお屋敷で、主水正を陥れる企みを聞き、情報を主水正に伝える。また、森番は滝沢兵部の苦しむ姿を主水正に伝えるが、主水正は、それが酒毒による苦痛だけでなく、再生への苦しみでもあることに気づく。
江戸で、老中松平定信が辞任し、藩主昌治は家臣一人を連れてひそかに老中青山大膳亮をたずね、供回りの借用を願う。幕府の威光を背景に江戸上屋敷に乗り込むと、反対派を一掃してしまう。かくしてクーデターの無血鎮圧は無事成功する。
このあとの物語は、淡々と進む。最後に、帰国した藩主昌治が三浦主水正に城代家老を命じたとき、主水正は十日の猶予を願う。それは、酒毒に侵されたライバル滝沢兵部を救い、次席家老とするためであった。

ほろ苦さを残しながらも、最後のハッピーエンドはいかにも人を信じる山本周五郎らしい終わりかただと思う。滝沢兵部が破滅して行く姿を対比させるだけなら、三浦主水正は結局は利己的な出世主義者でしかないと言われかねない、作者はそう恐れたのではないか。
ただ、三浦主水正が権力の味に溺れない理由を、苦しさの独白という形で描いているが、ちょっと楽天的に過ぎるのではないか。加藤紘一氏が愛読書としてあげていた藤沢周平の『風の果て』は、まさにこの権力の味を描いている。同様に立身出世し家老となった男が、手にした権力の味に気づくところは、やけにリアルだった。
それと、妻つるがずいぶん変身するけれど、銀杏屋敷の場面はやはり違和感がある。後半の夫婦の情景だけでもずいぶん色っぽいのだから、あの下品な描写はないほうがよかった。作者のサービス精神ゆえとは思うが、せっかくの作品の価値をだいぶ下げているように思う。
コメント