電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

童門冬ニ『小説 上杉鷹山』(下)を読む

2006年04月30日 10時37分02秒 | 読書
ゴールデンウィークがスタートし、東北の春も今年は桜と共に楽しむことができます。休日を利用し、童門冬ニ著『小説 上杉鷹山』(下巻)を読みました。

七人の重臣たちのクーデター未遂事件の処断が終わり、下巻の始まりは藩校・興譲館を再興する話からだ。どこの藩でも、教育を重視する建前に変わりはない。藩士の子弟だけでなく、優れた素質を持つ町人や農民の子をも対象にした例もまた、少なくないのだろうと思う。ともあれ、米沢では藩の財政の中から基金を出すと共に、庶民の募金を組み入れて学校を再興した。処罰された重臣たちの子らが不穏な動きを見せる中、師・細井平州を江戸から招き、学校が再開される。

だが、藩内には別の動きもあった。治憲の腹心として大きな功績をあげてきた家老・竹俣当綱に、奢りや不正があるというのだ。家老本人からの引退願いを一度は慰留したものの、藩祖の祭礼の日に供応を受け泥酔して欠席するという不始末に対し、厳しく処断する。それは、家老職を解任し終身禁固とするものだった。盟友の莅戸善政もまた、竹俣に処分を命じた直後に引責辞任してしまう。
こうして古い仲間が次々に去って行く。君主の徳を貫こうとする藩主の心にも隙間風が吹く。だが中断は許されない。大飢饉がおそい、幕府から命じられる賦役負担も重い。「伝国の辞」は、世子・治広に家督を譲り隠居した際に伝えたものと言われている。この隠居も、実際には幕府の賦役負担を切りぬけるための方便の面もあったようだ。実際に、新経営陣になってからも失政を正すために会長自ら経営の最前線に再登場し、莅戸善政に再び家老職を命じている。

一つ不思議なのは、この時代には、役職に任期というものがなかったのだろうか、ということだ。家老職を無期限に勤めれば、腐敗も制度疲労も起こるだろう。人事異動により識見や職能は向上することを考えれば、家老といえども同じではないか。同じ人間を無期限に使うというのは、大変に大きな信頼を表すと同時に、実は骨まで酷使されるという面もあるのではないか。偉大な鷹山を描きながらも、藤沢周平の『漆の実のみのる国』では、実はそういう非情な面も描き出されているのかもしれない。



今日は、妻と娘と、これからお花見に出かけます。息子は帰省するのやらしないのやら、なしのつぶてです。父親は暢気に構えていますが、母親は次第に独立していく息子にいささか不満そうで、自然に受け入れられるまでにはもうしばらく時間がかかりそうです。
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