電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

マーラーの交響曲第1番「巨人」を聴く

2008年10月19日 22時01分37秒 | -オーケストラ
マーラーの交響曲の中で、第1番「巨人」は、手にする機会があまり多くない曲の一つです。というのは、第1楽章の、ハーモニクスで連続する弦のイ音が、正弦波によるスイープ音のように脳髄に突き刺さります。風邪などで体調の悪いときには、とてもではないが、聴いていられないほどです。でも、ふだん体調の良い時には、この緊張感が持続する中から、カッコウの声や、軍隊の起床ラッパのような音などが立ち上がってくるさまは、なかなかの聴きものです。

第1楽章、ゆるやかに、ひきずるように、自然の響きのごとく。たぶん夜明けなのでしょう。カッコウの声や軍隊の起床ラッパの音を模した部分などからわかるというよりも、全体的な気分が、夜明けと早朝のイメージです。実際の夜明けは、太陽が昇るのに4分30秒以上もかかることはないのですが、むしろ実際よりも誇張しているのは、いかにもしつこいマーラーらしいのかも。
第2楽章、力強く動いて、しかしあまり速くなく。まるで田舎のおっさんと太りぎみのおばはんが踊る舞曲のような、スケルツォ楽章。中間部はややテンポを落とし、優雅に。第3部では田舎風の第1部を短く再現します。体調の悪いときは、この楽章から聴き始めます。
第3楽章、荘重に威厳を持って、引きずらずに。コントラバスのソロが、カノン風に民謡風の主題を奏します。中間部では、失恋を悲しむ歌曲集「さすらう若人の歌」中の「私の恋人の二つの青い眼が」の旋律が歌われます。第3部では、やはり第1部を短く再現します。
第4楽章、嵐のように運動して。シンバルの一撃で始まる、急速でアグレッシヴな音楽ですが、やっぱりマーラーの音楽は単純に盛り上がって終わることはありません。終わるかな~と思うと終わらずに、もう一度しつこく盛り上がり、圧倒的なクライマックスを作って終わります。

作曲家28歳の時の作品。窮乏生活の中で、副指揮者の地位に不満を持ち、色々と衝突を繰り返しながら、初期の作品を生み出していた時期に、恋愛がきっかけになって生まれたものだとか。たぶん、作曲当初の動機となった恋愛の経験にもかかわらず、時の経過につれて体験の生々しさはうすれ、ハンブルクやワイマール、あるいはベルリンと、各地での演奏経験に基づいてブラッシュアップされ、抽象化されていった、と考えるのが良いのでしょう。一部に20代の青年の恋愛体験の片鱗が残されていると見ればよいのでは。それが「花の章」や副題の削除などの経過と見ることができます。作曲の経緯は複雑ですが、ジェイムズ・レヴァイン指揮ロンドン交響楽団によるこの録音(RVC R32C-3002)は、4楽章形式の第3稿によるもので、彼の最初のマーラー録音でした。

ジャケット写真からわかるように、録音当時のレヴァインは31歳、作曲家とほぼ同じくらいの年代です。ジョージ・セルの元で才能を認められ、野心に満ちて活動している頃の意欲的な録音は、年長の世代のマーラー演奏とはだいぶ趣きを異にしています。特に、オーケストラを絶叫させないで、木管楽器のひとふしを印象的に浮かび上がらせ、清澄さを保つ処理の巧みさ、打楽器や弦の内声部のバランス感など、音楽に共感しながらも、かなり客観的に表現しているようです。

■レヴァイン指揮ロンドン響
I=16'37" II=7'39" III=11'24" IV=19'28" total=56'18"
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