電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

中山町岡の柏倉家に石山太柏展を見に行く

2008年10月05日 06時48分11秒 | 散歩外出ドライブ
連休の土曜日、地元紙の山形新聞に掲載されていた記事をもとに、中山町岡の柏倉家に、日本画の石山太柏展を見にでかけました。家内と一緒に出かけるのは久々のような気がします。国道112号から西に折れ、柏倉九左衛門家を目指します。駐車場に車を止め、ハス田の中の木道を通り、大庄屋・柏倉九左衛門家の長屋門で受付を済ませます。この土日は、石山太柏展のため、お茶席券も含めて一人1500円でした。


木道から見た柏倉九左衛門家の長屋門です。


柏倉家住宅の解説です。


柏倉九左衛門家から東側、村山盆地を眺める庭の景観です。


同家の西側、山を借景にした庭園の一部です。全景はとてもカメラに収まりません。

石山太柏は、大正~昭和期の日本画家だそうです。北村山郡小田島村に生まれ、小学校時代から画才を認められていたそうです。村の地主であった石垣吉蔵家の奥方が、中山町岡の柏倉宗右衛門家から嫁いでいた関係で、同じ柏倉一族の当主で日本画や人形をよくした柏倉雪章(本県の考古学の重鎮であった故柏倉亮吉氏の義父)に紹介、内弟子として師事することになったそうな。まだ10代の頃の絵も展示されていましたが、当時の画風はまだ師匠を手本としながらも、稚さを残すものでした。それがぐんぐんと上手になり、やがて師の雪章には教えることがなくなってしまいます。そこで、柏倉家の後援を受けながら東京に出て、雪章の師である玉章を介してなのでしょうか、寺崎広業に師事することになります。大正時代初期には、まさに大正デモクラシーの、ハイカラな空気が強かったのでしょうか、明らかに洋画の影響を思わせる作品もありました。

やがて、院展で何度も入選するなど、中央画壇にて認められるようになります。石山太柏後援会という組織の設立趣意書などもありましたが、発起人には作家の有島武郎などの名前もあり、会員には雪害対策に活躍した代議士の松岡俊三や、絵の勉強ができる発端となった石垣吉蔵家の一族の石垣倉治などの名前もあり、時代の雰囲気がうかがえます。


柏倉九左衛門家を後に、柏倉宗右衛門家を訪ねます。石畳の道が、風情があります。


いわゆる新屋敷、柏倉宗右衛門家に入る道です。


入口の受付では、酸漿が目を引きます。


石山太柏画伯が内弟子として修行した柏倉雪章さんの家です。こちらは個人の家ですので、公開されておりません。

いつもは公開されていない、柏倉九左衛門家の前蔵を見学し、柏倉宗右衛門家で、茶人でもあった太柏の手になる床の間や襖絵を眺め、お抹茶をいただきながら、久々にゆっくりとした心豊かな気分に浸ることができました。
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