電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ディケンズの時代の音楽は

2006年02月08日 21時49分38秒 | クラシック音楽
先に注文していた、チャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コパーフィールド』が届いた。岩波文庫版、全五巻、石塚裕子さんによる2003年の新訳である。少しずつ読むのが楽しみだ。

ところで、チャールズ・ディケンズというと、ずいぶん古い時代の英国の作家という印象があるが、クラシック音楽でいうとどんな時代の人なのだろうか。ちょっと調べてみた。ディケンズが生まれたのは1812年で、ナポレオン戦争の年にあたる。『オリバー・ツイスト』が書かれたのは1838年、R.シューマンが「幻想曲」を完成した年だ。『クリスマス・キャロル』が1843年、ちょうどこの年にメンデルスゾーンがライプツィヒのシューマン夫妻を訪れており、「楽園とペリ」を作曲した年にあたる。1850年『デイヴィッド・コパーフィールド』が書かれた年に、シューマンは交響曲第三番「ライン」を完成している。妻と離婚したディケンズは、翌1859年に『二都物語』を発表、この年にはブラームスが「ピアノ協奏曲第一番」を完成。『大いなる遺産』が書かれた1861年には、ブラームスが「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」を作曲している。

こうしてみると、チャールズ・ディケンズの活躍した時代は、音楽におけるロマン主義の最盛期であり、ベートーヴェンやシューベルトの死後、シューマンやメンデルスゾーン、ショパンが活躍し、ワーグナーが力をつけ、ブラームスが次第に認められつつある時代と一致する。ロマン主義の時代の現実が、実は『オリバー・ツイスト』や『大いなる遺産』に描かれたような時代だったとは、理系の歴史オンチには意外なことだ。Wikipediaによれば、エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』を書いて当時の資本主義の恐るべき実態を描いたのが1845年ということなので、それなら時代的に納得できる気がする。花開くロマン主義は、現実の悲惨から離れひとときの夢を見る内向的な方向と、現実を変革しようと多くの人々を駆り立てる力を志向する方向と、二つの異なる方向に走り出したのかもしれない。
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