通勤の音楽に、今週は一週間通してマーラーの交響曲「大地の歌」を聞いた。道路に雪がなくなり、乾燥した路面で渋滞知らずの早朝出勤と、若干渋滞するがまだ明るい時間帯の帰宅路と、マーラーの音楽を聞きながらハンドルを操作する。けっこう快適だ。
交響曲「大地の歌」、20代や30代のころにはあまりぴんとこなかった。味わい深く聞けるようになったのは、やはり中年になってからか。最初に馴染んだ「大地の歌」がクレンペラー指揮のもの。次にインバル盤で、バーンスタイン盤が一番馴染みが新しい。通勤の音楽として三種の演奏をエンドレスに聞きながら、個別の歌い手や演奏の違いよりも、音楽に内在する、三者に共通する要素を強く感じた。
冒頭の荒々しいホルンの斉奏、木管とヴァイオリン、続くテノールの第一声が鮮烈で、聞き手をぐいと音楽の中に引き込む力がある。気分的に言うと、第1楽章と第2楽章が共通で、第3楽章、第4楽章、第5楽章が活発な要素が強く、最後の長大な第6楽章が暗く重く終わる、という構成になっているように思う。
クレンペラー盤のリーフレットには、ドイツ語の歌詞と西野茂雄さんの訳詞がついており、重宝する。第1楽章は「現世の悲しみを歌う酒宴の歌」とされ、酒宴の前にテノールが1曲歌うという趣向になっている。そして歌う歌が、なんと「生は暗く、死もまた暗い!」というものだ。これに対し第2楽章は、メゾソプラノ(オリジナルではコントラルト)が「秋の日に独りありて」で孤独の中で疲れ果てた心を歌う。要するに、私たちが酒宴の中で生きにくい世を愚痴るようなものか。
続いて第3楽章は「青春の歌」。池に逆さまに写る景色を眺めるというシニカルな要素はあるが、テノールが歌えばメゾソプラノも続く。管弦楽も諧謔的に鳴り響き、酒宴は盛んなようだ。第4楽章は「美しきものを歌う」。金色の陽光、そよ風、若い娘たち、若者と猛りたつ馬などのイメージをメゾソプラノと管弦楽が歌う、マーラーらしい美しい音楽。第5楽章、テノールが「春の日を酔いて暮らす」を歌う。周りが思わず差し出した手を、酔っぱらいが「かまわないでくれ」とはねのけるようなものだろう。ややコミカルな音楽だ。
最後の第6楽章は、「告別」。全曲の半分ちかくをしめる長大な曲で、古典派交響曲の1曲分に匹敵する長さ。この世に告げる別れなのか、特定の女性に告げる別れなのかは不明瞭。死を予感しこの世に別れを告げる音楽とも受け取れるが、またこの未練たっぷりの終わり方は、同時に生への執着とアルマ・マーラーへのメッセージと考えても理解できる。見よ、自然は美しく、人生はいとしい。マーラーの音楽を十二分に堪能できる楽章だ。
クレンペラー指揮の演奏は、1950年のウィーン響とのモノラル録音もあるようだが、それではなくて、クリスタ・ルードヴィヒとフリッツ・ヴンダーリッヒの畢生の名唱を記録した1967年のステレオ録音(東芝EMI CC33-3265)。
バーンスタイン指揮イスラエル・フィルの演奏は、クリスタ・ルードヴィヒとルネ・コロが歌ったもので、FDCA-540という全集分売のもの。
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏は、ペーター・シュライヤーにデビュー後5年という若きオランダの名花ヤルド・ヴァン・ネスが立派に歌ったもので、1988年フランクフルトのアルテ・オーパーでデジタル録音された、DENON COCO-70406 というCDである。こちらは録音が素晴しい。音量をあげて聞くと、思わず音楽に聞き惚れる。
演奏の好き好きはあろうが、クレンペラー盤が一番親しみが深いせいか、手に取る回数が多い。次が録音の良さもあり、インバル盤か。
参考までに、演奏データを示す。
■クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管 盤
I=7'58" II=10'03" III=3'37" IV=7'41" V=4'36" VI=29'25"
■バーンスタイン指揮イスラエル・フィル盤
I=8'30" II=10'06" III=2'55" IV=7'30" V=4'06" VI=30'10"
■インバル指揮フランクフルト放響 盤
I=8'19" II=9'31" III=3'14" IV=7'16" V=4'25" VI=28'35"
交響曲「大地の歌」、20代や30代のころにはあまりぴんとこなかった。味わい深く聞けるようになったのは、やはり中年になってからか。最初に馴染んだ「大地の歌」がクレンペラー指揮のもの。次にインバル盤で、バーンスタイン盤が一番馴染みが新しい。通勤の音楽として三種の演奏をエンドレスに聞きながら、個別の歌い手や演奏の違いよりも、音楽に内在する、三者に共通する要素を強く感じた。
冒頭の荒々しいホルンの斉奏、木管とヴァイオリン、続くテノールの第一声が鮮烈で、聞き手をぐいと音楽の中に引き込む力がある。気分的に言うと、第1楽章と第2楽章が共通で、第3楽章、第4楽章、第5楽章が活発な要素が強く、最後の長大な第6楽章が暗く重く終わる、という構成になっているように思う。
クレンペラー盤のリーフレットには、ドイツ語の歌詞と西野茂雄さんの訳詞がついており、重宝する。第1楽章は「現世の悲しみを歌う酒宴の歌」とされ、酒宴の前にテノールが1曲歌うという趣向になっている。そして歌う歌が、なんと「生は暗く、死もまた暗い!」というものだ。これに対し第2楽章は、メゾソプラノ(オリジナルではコントラルト)が「秋の日に独りありて」で孤独の中で疲れ果てた心を歌う。要するに、私たちが酒宴の中で生きにくい世を愚痴るようなものか。
続いて第3楽章は「青春の歌」。池に逆さまに写る景色を眺めるというシニカルな要素はあるが、テノールが歌えばメゾソプラノも続く。管弦楽も諧謔的に鳴り響き、酒宴は盛んなようだ。第4楽章は「美しきものを歌う」。金色の陽光、そよ風、若い娘たち、若者と猛りたつ馬などのイメージをメゾソプラノと管弦楽が歌う、マーラーらしい美しい音楽。第5楽章、テノールが「春の日を酔いて暮らす」を歌う。周りが思わず差し出した手を、酔っぱらいが「かまわないでくれ」とはねのけるようなものだろう。ややコミカルな音楽だ。
最後の第6楽章は、「告別」。全曲の半分ちかくをしめる長大な曲で、古典派交響曲の1曲分に匹敵する長さ。この世に告げる別れなのか、特定の女性に告げる別れなのかは不明瞭。死を予感しこの世に別れを告げる音楽とも受け取れるが、またこの未練たっぷりの終わり方は、同時に生への執着とアルマ・マーラーへのメッセージと考えても理解できる。見よ、自然は美しく、人生はいとしい。マーラーの音楽を十二分に堪能できる楽章だ。
クレンペラー指揮の演奏は、1950年のウィーン響とのモノラル録音もあるようだが、それではなくて、クリスタ・ルードヴィヒとフリッツ・ヴンダーリッヒの畢生の名唱を記録した1967年のステレオ録音(東芝EMI CC33-3265)。
バーンスタイン指揮イスラエル・フィルの演奏は、クリスタ・ルードヴィヒとルネ・コロが歌ったもので、FDCA-540という全集分売のもの。
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏は、ペーター・シュライヤーにデビュー後5年という若きオランダの名花ヤルド・ヴァン・ネスが立派に歌ったもので、1988年フランクフルトのアルテ・オーパーでデジタル録音された、DENON COCO-70406 というCDである。こちらは録音が素晴しい。音量をあげて聞くと、思わず音楽に聞き惚れる。
演奏の好き好きはあろうが、クレンペラー盤が一番親しみが深いせいか、手に取る回数が多い。次が録音の良さもあり、インバル盤か。
参考までに、演奏データを示す。
■クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管 盤
I=7'58" II=10'03" III=3'37" IV=7'41" V=4'36" VI=29'25"
■バーンスタイン指揮イスラエル・フィル盤
I=8'30" II=10'06" III=2'55" IV=7'30" V=4'06" VI=30'10"
■インバル指揮フランクフルト放響 盤
I=8'19" II=9'31" III=3'14" IV=7'16" V=4'25" VI=28'35"